第4話 水分と密度と空気

文字数 2,689文字

「にゃあああああ!」

 先生が陶土を取り出したところで、工房の外からノーラの鳴き声がした。ガリガリとドアを引っ掻いているあたり、かなりお怒りのご様子。
 ナツキがドアを開けると、サッと飛び込んで、一目散にトーマにすり寄る。
 どうやら外で眠っていたらしい。猫語が分かるのなら、どうして起こしてくれなかったのよ! といったあたりか。

「ノーラ。今から土練(つちね)りをするからね。トーマくんに踏まれないようにね」

 笑いながら先生が、ひとかたまりの土をトーマに手渡す。自分の手元にも同じものをひとつ。

「灰色……黒?」
「うん。これを素焼きするとね、こうなるんだ」

 疑問を予測していた先生は、白土の素焼きしたものを作業台に置いていた。本来はアイボリーだが、トーマの目には真っ白に映っているだろう。

「白い。焼いたら白くなるんですか?」
「そう。だから白土なんだ。赤土のほうは、焼く前はこげ茶で、焼いたらレンガ色って感じかな。まあ、色んな土があるけど、うちの土はこんな感じだよ」
「黒土は?」
「黒土は黒だ。だから、白土と間違って混ぜないようにね。違う種類の土を触る時は、その都度、手や道具類を洗ったほうがいいね」
「あ、そっかあ」

 まだ足元にノーラがまとわりついているが、トーマは椅子から立ち上がると、先生のやり方を見ながら土練りを始めた。立ってやるほうが力が入りやすいのだ。

 一キロの陶土。少ないので、菊練りはやりにくい量である。
 ナツキは三キロくらいがやりやすい。先生はその倍くらいを練っている。
 ビニール袋に入っていた土は、表面に水分が浮いてベタベタしている。作業台に水分を吸わせつつ、練ることで内と外の水分を均等にするのだ。
 荒練りをやってから、菊練り……は、さすがに難しいようだ。
 菊の花というより、アンモナイトのような模様になる練り方で、土のなかに残っている空気を押し出す方法。

 土練りが終わると下準備をする。
 先生に言われて作業台の上に並んだ道具は、手回しロクロ。
 洗面器に入れられた水。小さなスポンジ。木で出来た豆の形のようなコテ。なめし皮。切弓と切糸。定規。竹のヘラ。歯ブラシと、二枚の絞ったタオル。
 
 今回は紐作(ひもづく)り。
 茶碗なので、使う土は400グラムくらい。まずは三等分に。
 ひとつは底になる部分の土。テニスボールくらいを取って、それを左右の手でキャッチボールする。何気ない動作だが、色んな場面で土を締めている。
 残りの土で、指くらいの太さの土紐を作る。三本出来た。一本は少しだけ太め。
 これで下準備は完了。濡れタオルを上に被せて、乾燥を防ぐ。

 水分を均等にすること。土を締めるのを意識すること。空気を抜くこと。
 土には作りやすい硬さがある。まずはそこに持っていく。また、土を締めないと、立ち上げるうちにダレてしまう。
 加えて、気泡が入っていると最悪窯のなかで爆発する。空気が熱で膨張するからだ。乾燥が不十分でも爆発する。下手をすると隣の作品にも被害が及ぶ。

「これは私のやり方。私が教わったのは、街で陶芸教室をしてた個人作家さんなんだ。そこで習って、後は我流。だから、これが正しいなんてことはない。もっといいやり方はたくさんあると思うし、人によってかなり違う部分もあるよ。土も窯も釉薬も、作る環境もみんな違うからね。一通り覚えたら、自分のやりやすい方法を見つけたらいいよ。私のは、極端な例だと思っていい」

 そうなのだ。
 絶対はない。同じものを作っていても、その日の気温や湿度で失敗することもある。
 たまたま上手くいくことは、ほぼない。手をかけた分が作品の出来に上乗せされていく。しかしやはり、最後の窯出しまでは分からない。

 ナツキはまだ、本当に納得した作品を作れたためしがなかった。しかしそれが陶芸の面白さでもある。
 失敗するのは当たり前。たくさん作って、たくさん失敗して、原因と対策を考える。実験の繰り返しである。

 反ってしまったタタラ皿。ヒビの入った皿。中心を取れずに傾いてしまった器。削りに失敗して穴を開けたり、逆に削りが甘くて、重い仕上がりになったもの。
 成形の最中に崩れてしまったものは数知れない。
 粉引(こひ)きの皿は、化粧泥(けしょうでい)をかけるタイミングを逸して、全滅させたこともある。

 成形。乾燥。素焼き。釉掛け。本焼き。
 全ての段階で、どんどん失敗作が加算される。ひと窯分作って、最後にひとつも残らなかったなんてこともザラだ。
 しかし、どこかでポンとこれまでの経験が報われる時がある。思いもかけなかったご褒美をもらうように。それが楽しくて、続けてきたとも言える。

「トーマくんは、(ひも)を作るのが上手だね。力が入りすぎると、円柱じゃなくて平べったくなるからね」

 照れながらも、真剣に聞いているトーマが初々しい。
 他の人が教わっているのを隣で見ていると、客観的な視点で受け入れられる。
 分かっていたはずのことなのに、本当に分かっていたのかと。
 基本には根拠があるのだ。そうした方がいいという根拠が。
 環境が変われば、その基本もまた変化するものではあるが。しかし、変わらないものもある。

 ──水分と密度と空気。

 土をなだめすかして、思うような形に変える。なかなか言うことは聞いてくれない。基本を疎かにすると当然のように土に笑われる。

 トーマが遊んでくれないので、ノーラがつまらなそうに工房の隅で丸くなった。
 虫の声がする。窓の外はすっかり暗くなり、網戸から吹き込む風が涼しい。

 ナツキもようやく自分の作品を取り出して、オブジェの仕上げを再開する。
 夕方に拾った木の実を土に押し付けて、石畳の模様をつけるのだ。
 ひとつずつ。慎重に。角度を変えながら。奥に行くにつれて小さく。

 トーマは残りの土で、もうひとつ分の下準備を始めた。
 両手を八の字に構え、作業台の上の土紐を細く伸ばす。ころころと。丁寧に。
 先生はキッチンに珈琲を淹れにいった。

 同じ空間で言葉もなく黙々と手を動かす。
 聞こえるのはお互いの作業の音と、風に煽られる樹々のざわめき。
 しばらくすると、香ばしい香りとともに先生が戻ってきた。
 顔を上げたナツキは、先生からノーラのミルクを受け取る。

「ノーラ」

 しかし、工房の隅に視線を向けたナツキは、ギョッとして目を見開いた。
 慌てて、いま自分が見ているものの確認をする。

「と、トーマ」
「なんですか?」
「いま、ノーラのこと、どう見える?」

 ナツキの質問に、トーマもまた工房の隅に目を向けた。
 案の定、声が上がる。

「えっ。えええええ?」

 いつものように、のんきにあくびをしている猫は、普通サイズに戻っていた。

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