第21話

文字数 2,255文字

 コンテストが放送されてから変わったことがあった。優勝者の文杏さんが全国的に有名になったことと、優勝は逃したが、その出来が良かった馬富さんの評価が上がったことだった。
 元からテレビでは多少売れてはいたが、その実力が認められたということだ。日曜の夕方やってる大喜利番組の前座的なものをBSで放送しているのだが、若手大喜利」と呼ばれている番組に、メンバーとして参加することになった。BSは地上派ほど視聴者が多い訳ではないが、それでも噺家としての仕事でテレビに出ることになったのだ。勿論、それまでのレポーターの仕事を無難にこなしていたこともあると思う。
「凄いね馬富さん」
 翠と電話をした時に素直に言葉が出た。
「うん、ありがとう。急に忙しくなちゃってね」
「体調管理なんかちゃんと、してあげてるの?」
「それはちゃんとやってるよ。栄養とかね。不規則な仕事だからさ。ああ、それから、今度結納交わして正式に婚約することになったんだ」
 わたしは、とっくに婚約してるものだと思っていた
「結納するんだ!」
「うん。賢ちゃんが、『そういうことはちゃんとしたいから』って言うから」
「お父さんとお母さん喜んだでしょう」
「お母さんは素直に喜んでいたけど、お父さんはやはり少し寂しいみたい。今と変わらないのにね」
 翠はそう言っていたけど、お父さんとしてみればやはり感じる部分もあるのではと思った。
「そうか、おめでとう! 式には呼んでね」
「ありがとう! 勿論! でも卒業してからだよ式は」
「先に成人式か」
「そうだね。里菜はもう二年だよね。ご苦労様」
「こっちは、ノンビリやりますわ」
 そんな軽口を言って通話を終えた。
 ノンビリと言ったけど、本当にノンビリやるつもりは無いのだが、そう言うより仕方無かった。顕さんの噺家としての仕事は少しづつ増えては来てるが安い仕事ばかりだ。この業界では二つ目のギャラは驚くほど安い。数をこなさないと食べて行けない。顕さんはやっと、何とか食べて行けるぐらいにはなった。だから必然的にわたしと逢う時間が減っている状態なのだ。
 逢えない日は寝付きが悪い。色々なことを考え過ぎてしまう。噺家としての小鮒さんの将来。そして二人の今後の関係。自分の進路のこと。幾らでも考える事はある。逢っている時は幸せな気持ちなので、そんな事は考えない。でも一人でベッドで布団に包まっているとそうも行かないのだ。
「ああ、逢いたいなぁ」
 独り言が思わず口から漏れる。意識しない自分の言葉に少なからず驚く。自分は弱い人間だと感じてしまう。
 こんな夜はバイクに乗りたくなる。ベッドを抜け出して着替えて表に出てバイクを車庫から出す。憧れの250ccを買うまでもう少しだ。それまではこのポンコツにも頑張って貰わねばならない。
 深夜なので表通りまで押して行く。エンジンを掛けて実咲公園を目指す。公園に着いて園内に入って行くと、何時ぞやの吾妻家に顕さんが居た。やはり落語の稽古をしていた。わたしは、もしかしたらとは思ったが、まさかこの前みたいに本当に稽古してるとは思わなかった。
「顕さん……」
 顕さんの稽古の声にわたしの呼び掛けの声が交じる
「里菜かい。こんな遅くどうしたの?」
「眠れないので、もしかしたらと思って来てみたの」
「そうか」
「稽古邪魔して御免ね」
「ああ、構わないよ。コンテストが終わってから、この時間は毎日ここで稽古してるんだ」
「毎日!?
「ああ、そうさ。今日も帰って来たのは遅かったけど、必ず寝る前にここで稽古をすると決めてるからね」
 わたしは知らなかった。顕さんは古琴亭小鮒として必死にここで毎日稽古をしていたのだ。それなのに、わたしは逢えないから寂しいとか自分で自分に甘えていた。それを思うと涙が流れた。それを見て顕さんは
「どうした涙なんか流して」
「ううん。嬉しくて。顕さんは、ちゃんと地面に脚が着いているんだと思って嬉しくなったの」
 わたしの言葉を聞いて顕さんは少し笑いながら
「もしかして翠ちゃんあたりから馬富のこと色々と聴いたんじゃ無いのかい?」
 ずばり当たりだった。
「うん」
「馬鹿だなぁ。人は人、己は己だよ。花だって早咲き遅咲きってあるだろう。かの名人の名を欲しいままにした六代目三遊亭圓生師だって、若い頃は全く売れなかったそうだよ。志ん生師だって売れだしたのは戦後だしね。若い頃から売れる人もいれば、その逆もあるんだよ。要は焦らないで実力を貯めておく事だよ」
 顕さんは凄い、わたしより四つしか歳上でないのに、そんな考えを持っていたなんて。
「まあ、師匠の受け売りだけどね。でも本当だと思うんだ。人の事を見て焦っても仕方ない。特に噺家は先が長い商売だからね」
 顕さんはそう言って、わたしが微笑むと稽古の続きを始めた。わたしは、それを聴いて顕さんの隣に座る。秋の夜の風が少し冷たい。隣に座った顕さんの体温を感じる。恐らく同じように顕さんも、わたしの体温を感じているだろう。
「翠と馬富さんが正式に婚約するんだって、翠が卒業したら式を挙げるそうよ」
「そうか、それは目出度いな。里菜も卒業したら考えてくれるかい?」
 それってプロポーズですか! 
「未だ二年あるから、どうしようかなぁ〜」
 そう言ってイタズラぽい表情をすると、思い切り抱きしめられた
「俺が頑張れるのも里菜が居るからだ」
 その言葉を聴いて、わたしはこの人にずっと付いて行くと決意した。
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