精地門 バッシュ その2

文字数 6,825文字

 ルキフォは買い出しから帰って来ると、エスティを夕食に誘いに行った。扉をノックする。返事はない。

「エスティ?」

 何度か名を呼んでみたが、結果は同じだった。把手を引いてみた。鍵はかかっていなかった。扉が少し軋んだ音を立てて開いた。
 部屋の中には誰もいなかった。

「……まさか」ぽつりと呟く。

 ルキフォは一瞬、置いて行かれたのかと考えた。ふと、エスティの荷物が目にとまった。
 旅の途中で買いそろえたものだ。旅をする上で必要なものだと彼女も分かっている。いくらなんでも、荷物を置いて出ていくとは思えなかった。それに、明日にはここを立つと決まっていたはずだ。今夜出て行く意味がない。
 しかし、エスティの行動力はこれまでの旅の中で思い知らされていた。ルキフォを置いて行ったわけではないにしても、エスティは何か理由があって動いたのだろう。
 ルキフォはとりあえず自分の部屋で待つことにした。

 それにしても、とルキフォは心の中で呟く。エスティは判らないことが多すぎる。かといって、喋りたくないのを無理に喋らせるわけにはいかない。エスティには兄がいて、その兄を捜している。少なくともルキフォに話してくれたこれは事実だと思えた。
 ルキフォは孤児だった。ゴルドに拾われるまで、家族というものを知らなかった。だから兄というものがどんな存在かは判らない。でもエスティの、兄に会いたいという真摯な気持ちは伝わってきた。それが判れば、自分には十分な気がした。
 ふと、エスティがあれほど慕う兄というのがどんな人間なのか、と思った。ゴルドは一度会っているはずだ。確か、精火門の元素術使いだと言っていた。

 そう言えば、エスティも元素術が使えるのだろうか? 使っているのは見たことがない。だが、土の人形にエスティが襲われた時、一体はエスティを助けているようだった。あれは元素術ではないのか? ルキフォはいままで、あの妙な土人形をみたことがない。でも土と言えば精地門だ。エスティがもし元素術を使うのなら、兄と同じ精火門ではないのか。
 元素術は各門派によって扱える精霊の種類が決まっている。魔術の系譜を学ぶ者として、半人前のルキフォにもそれくらいの知識はあった。
 そこまで考えたとき、ルキフォの脳裏にゴルドの言葉が浮かんだ。
 ――場合によっては元素術の人間と一戦交えることになるやもしれん。

「……師匠」

 あの時の土人形は、エスティを狙って襲ってのではないのか? 元素術四門派は互いに仲が悪いのは有名だ。ゴルドはエスティが他の門派に襲われることを見越して、あのような言葉を言ったのではないのか。
 なら、いくら目的地に早く着くためとは言え、精地門の本拠であるこの街に入るのは自殺行為と言える。

「なんで気づかない。俺は莫迦か」

 ルキフォは立ちあがった。エスティは自分から動いたのではなく、捕まったのかもしれない。《土人形》以来、なんのトラブルもなく旅を続けていたため、すっかり油断していた。
 突然扉が開いた。鍵をかけ忘れていたらしい。ルキフォに何の断わりもなしに、男が五人入ってきた。

「エスティの連れはお前だな?」

 先頭に立つ中年の男が言った。

「……そうだよ。エスティは今いないけど?」

 多少身構えた様子でルキフォが答えた。どことなく危険な匂いが男たちからする。

「なら、我々と一緒に来てもらおう」

 中年の背後に控えていた男たちが、ルキフォを取り囲むように前に出た。

「俺に用があるのか? 理由を聞きたいな」
「理由なら連れていく途中で話してやる」

 取り囲んだ男の一人が手を伸ばした。ルキフォは体を反転させ男の手を避けると同時に左手で掴んだ。男はムッとした顔をしてルキフォを睨む。そして、取られた腕を引いて、反対の手でルキフォを掴もうとする。
 ルキフォは素早く右手で男の手の甲を返し、そのまま捻りながら足下へと落とす。男はバランスを崩して床に転がった。男は俯せにされて身動きがとれない。
 残りの三人が色めき立った。

「やめんかっ」

 中年の男が一喝した。三人が一瞬躊躇った。

「君も手を離すんだ。娘がどうなってもいいのか?」

 その言葉にルキフォの力が緩んだ。二人が両側から抑え込み、ルキフォを壁に貼り付ける。

「お前…ら、がエス…ティを……どこに……いるん…だ」

 顔を壁に抑えつけられて、口がうまく動かない。

「私たちについてくれば判る」

 中年の男は冷ややかに言った。
 ルキフォは何事かと顔を覗かせる客の視線を集めながら、宿の裏口から馬車に乗せられた。両手はしっかりと後ろで縛られている。足は自由だったがおとなしくしていた。
 馬車に入ろうしたルキフォの足を、転がされた男がひっかけた。躓いて馬車の入り口に顔をぶつける。鼻で嗤う男の顔を、ルキフォは体を捻って蹴りつけた。足は見事に男の顎を蹴り上げた。蹴られた衝撃で地面に尻餅をつく。男はすぐに立ち上がるとルキフォを掴みにかかる。

「いいかげんにせんか、莫迦者が!」

 男がしぶしぶルキフォを放した。

「君も少し謹むんだな」

 中年の男はルキフォをたしなめた。ルキフォはそっぽを向く。

「あまり意地を張らんほうがいい。娘のことが大事ならな」

 ルキフォが憎しみを込めて睨んだ。中年の男はそれを軽く受け流し、馬車に乗り込んだ。

「なぜ、エスティを捕まえた?」

 馬車が進みだしてすぐに、ルキフォが中年男に訊いた。

「捕まえたわけではない。彼女の方からやってきたのだ」
「嘘だ」
「嘘ではない。正直、予想外ではあったがね」 中年の男は、面白くなさそうに言った。「しかし、なぜ捕らえたなどと聞くところをみると、君は元素術の人間ではないのかね?」

 中年男の目が細まった。値踏みするようにルキフォを見ている。

「違う」

 ルキフォは相手の目を見据えて言った。しばらくルキフォを睨んでいたが、急に顔つきが穏やかになった。
 中年男の顔に嗤いが浮かんだ。

「ふはは。これは驚いた。君は自分がどれだけ重要な人間と歩いていたのか知らないのだろう。傑作だな。私たちは何も知らない子供に警戒していたとは」
「あんたたちは何者だ? 精地門なのか? それにエスティは一体……」

 エスティを重要な人間と言われ、ルキフォは混乱した。確かに、エスティは村や街のどこにでもいるような女の子とは違った印象を受ける。特に、あの銀色の瞳は。

「我々が何者かも知らない。では、君は何から彼女を守るつもりだったのかね?」
「え?」

 守る。それはルキフォがエスティに言った言葉だ。にもかかわらず、今のルキフォには自分の言った言葉に違和感を持った。エスティを守る? 一体誰から?
 あの時は《土人形》からエスティを守った。そして目の前の奴からも守らなければならない、とも思う。でもそのどちらも、起こったことに対しての対処と結果でしかない。

「エスティは、はぐれた兄を捜している。俺はその手伝いをしていただけだ」
「そう聞いていたのか? 間違いとは言えんが、本当でもないな。どうやら君はあの娘に信用されてなかったようだ」

 中年男の言葉にルキフォはショックを受けた。エスティがすべてを話していないのは知っていた。彼女を助けるのも半ば自分で押しつけたようなものだ。だから、完全にルキフォを信用していなくても当然かもしれない。
 しかし、面と向かって言われるのは、エスティ本人が言ったわけではなくてもショックだった。否定するには、ルキフォはエスティのことを知らなすぎるのだ。

「エスティ……君は何者なんだ」

 ルキフォは放心した様子で呟いた。

「利用されるだけされて、何も知らずに死んでいくのでは君も納得できまい。私が教えてあげよう。あの娘は精霊皇の力を受け継ぐ、精霊皇の娘。我々精地門に必要な娘だ」
「せいれいおう?」

 ルキフォはオウム返しをするだけだ。

「そうだ。精霊皇とは我々元素術使いの……」

 馬車が止まった。中年男の説明が終わらぬうちに、どうやら目的地に着いたようだ。

「どうやら着いたようだな。悪いが続きはまた今度にしてくれるか? まあ、君が生きていたらの話しだがね」

 中年男は笑った。ルキフォは何の反応も示さなかった。
 馬車をいつ降りたのかすらルキフォには判らなかった。気づいた時には、エスティが目の前にいた。辺りを見る。どこかの庭らしかった。

「ルキフォ……」

 エスティの呼ぶ声にゆっくりと顔を向けた。エスティの目には涙の跡があった。ルキフォはそれを無感動に見つめた。

「トイスン殿。娘の時と違い、連絡は行き違いにならなかったようだな」

 エスティの側に立っていた、大柄な男が言った。口の端を上げて笑っている。

「バッシュ殿、連絡感謝する」

 ルキフォを捕らえた中年男が言う。忌々しそうな表情から、感謝などしていないのは明白だ。そしてすぐに思いついたかのようにルキフォの方を見る。

「この少年は何も知らないようだ。元素術の人間でもないということだ。どうやらその娘に利用されてただけらしいな」

 トイスンはいやらしく笑って言った。エスティの目が大きく見開かれる。

「違うっ、利用してなんか……」

 ルキフォの虚ろな目に見つめられ、エスティは口をつぐんだ。

「よく考えたら、俺は君のこと何も知らないんだ……」
「そうじゃないの」ルキフォに責められたと勘違いしたのか、エスティは必死になって話す。「何も話さなかったのは、あなたをこれ以上巻き込みたくなかっただけなの。お願い信じて」
「君を責めてるわけじゃない。俺があんまりにも莫迦だったって思っているんだ」
「ルキフォ……」

 エスティの瞳に涙があふれた。跡を伝って新たな雫がこぼれ落ちる。

「あまりいい趣味とは言えんな」

 バッシュがトイスンを責めた。自分の手を汚さずにじわじわとなぶるトイスンのやり方が気に入らないのだ。逆に言えば自ら手を汚すのなら、どんな汚いこともバッシュは許してしまう。

「こうして、精霊皇の娘が手に入ったのだから、いいではないか」

 バッシュに対する憂さをルキフォとエスティで晴らしたからか、トイスンはご機嫌だった。

「さて、ルキフォとかいったな。お前には気の毒だが、ここで死んでもらおう」

 バッシュが一歩、ルキフォに近づいた。エスティがバッシュを見る。
「そんな。ルキフォは関係ないの。あなたたちはわたしさえいればいいんでしょ! ルキフォは放してあげて」

 エスティはバッシュにしがみいた。

「どんな小さな事が失敗につながる判らん」バッシュは自分の失敗を思い出しているようだった。「他の門派を完全に支配するまで、細心の注意が必要なのだ。こいつを生かしておいて、どこかの門派に駆け込まれでもしたら事だからな。さあ、どけ」

 エスティを腕のひと振りで払い除ける。ルキフォは何の反応も示さない。バッシュは周りにいた男から剣を受け取った。鞘から抜き放ち振り上げた。

「だめぇぇっ」

 振りおろされる寸前、エスティの悲鳴が上がった。壁にあったすべての松明の炎が揺れた。やがてそれは渦を巻き、一つのうねりとなってバッシュを襲った。

「ぐお」

 思わず剣で炎を払う。周りがざわめいた。
 炎がルキフォの背後に回り、縄を焼切った。そのままルキフォの周りで壁のように燃える。

「おのれ、またしても邪魔をするか」

 バッシュは叫んで振り向いた。

「……エスティ?」

 ルキフォは自分の身に何が起こったか理解できずに、その場で立ち尽くした。

「お願いルキフォ、逃げて」

 エスティの声がルキフォを呼び戻す。バッシュがエスティに近づいていくのが見えた。

「エスティ」
「ルキフォ、早く逃げて」
「力を使われると目障りだ。少し、眠っておいてもらおうか」

 バッシュの手刀がエスティの首筋を叩いた。エスティは気を失い、その場に崩れ落ちた。ルキフォを守っていた炎が、跡形もなく消え去る。
 バッシュから助けてくれたエスティ。逃げてと叫んだエスティ。そして泣いていたエスティ。自分は今度こそ泣いている女の子を助けると誓ったのではないのか?
 もう、後悔はしたくない。

「来い!」

 ルキフォの叫びと共に、すぐ側で光りが弾けた。ルキフォの横、足下に銀色の毛並みを持った猫に似た小動物が現れる。猫に似て、しかし猫よりも筋肉質で太い手足を持ったそれは、小さな虎を彷彿とさせる。
 ルキフォの〝魔法〟だ。

「むん!」

 突如現れた得体のしれない動物に、バッシュが身構えた。そしてすぐに片手を持っていた剣を放つ。
 〝魔法〟が吠えた。それは猫とも虎とも違う、甲高い一瞬の音だ。言葉を無理矢理縮めたようにも聞こえるそれは、〝魔法〟の行った呪文の高速詠唱だ。

「〝守護する光の瞳〟」

 独特の発音による解放の言葉が、ルキフォの口から発せられる。同時に光の盾がルキフォの前に現れた。盾は真円をしており中心に猫の瞳のような縦筋が入っている。それはルキフォと〝魔法〟の前面を隠すくらいの大きさだ。
 バッシュの投げた剣と光の壁がぶつかる。剣は光の壁に完全に弾かれた。

「光の盾? 元素術ではないな。小僧、貴様魔術師か?」

 バッシュが叫ぶ。

「いいや、〝魔法〟使いさ」
「〝魔法〟使いだと? 聞かぬな」
「エスティを返せ」
「ほしいなら力尽くでこい」

 バッシュは口の端を曲げて笑った。嬉しくてしょうがないといった笑いだ。手応えのない相手を殺すより、活きのいい奴を捩じ伏せる方が数倍面白い。
 バッシュはエスティから少し距離をとった。戦いに巻き込まないためだ。せっかく捕らえたのに、死なれてはすべてが無駄になってしまう。
 ルキフォが動いた。それに合わせるように〝魔法〟が呪文を詠唱する。〝魔法〟はそれ自体が簡単な意志を持ち、主となる術者と意識レベルで繋がっている。だから、術者が望めばすぐに必要とする呪文を詠唱できる。

「〝貫く光の牙〟」

 解放の言葉ともに、光の矢がルキフォの手から放たれる。

「ふん」

 バッシュの手のひと振りで地面が盛り上がる。光の矢はバッシュに届く前に壁に遮られた。土の壁に小さな穴が開く。

「〝砕く光の顎〟」

 ルキフォの背後に幾つもの光の筋が生まれた。それは曲線を描き、壁を避けるようにバッシュを襲う。

「甘いわ!」

 壁はバッシュの四方に現れ、ことごとく光を防ぐ。

「甘いのはそっちだ」

 バッシュに全て防がれた瞬間、ルキフォは大男へと向かって走り。その頭上へ跳んでいた。

「〝切り裂く光の爪〟」

 そしてバッシュが気づくより早く、ルキフォは術を放つ。五つの光の軌跡がバッシュを襲う。
 バッシュは一瞬遅れてそれに気づき、慌てて体を捻る。だが躱しきれずにバッシュの左肩が切り裂かれる。

「やるではないか」

 バッシュが唸った。今まで壁だったものがうねり、鋭い鞭となってルキフォを襲った。
 空中にいるルキフォはそれをもろに受け、地面に叩きつけられる。

「小僧っ」

 バッシュが迫って来た。上から打ち据えるように拳を落す。ルキフォは転がってそれを避けた。地面が陥没する。

「逃すか、ぬぅ」

 バッシュが再び拳を放とうとした瞬間、大男の目の前に〝魔法〟が躍り出た。〝魔法〟は虎のごとくバッシュの顔を前足の一撃で薙ごうとする。
 しかし小さな〝魔法〟では、バッシュの腕のひと振りで弾き飛ばされてしまう。
 だが、大男に一瞬の隙ができた。ルキフォはその機を逃さずにエスティへ向かう。

「させん――!?
「〝惑わす光の瞳〟」

 突然バッシュの目の前に光の玉が現れた。それはまばゆい輝きを放ちはじける。バッシュの目の前が真っ白になった。

「おのれ、小僧!」

 バッシュは全開で精霊力を解放した。地面が割れ、巨大な岩槍があちこちに出現する。
 無差別に解き放たれた術は、周りのもの、すべてを襲い始めた。庭中で悲鳴があがった。
 地割れがエスティを飲み込もうとその口を広げる。ルキフォは駆け寄り、エスティを抱え起こした。エスティに気をとられていたルキフォは背後に迫った岩槍に気づかない。
 地割れを避け、跳んだルキフォの脇腹を岩槍が擦った。痛みが走る。エスティを落しそうになりながらも、塀の上に着地した。

「小僧! ルキフォ! 狩ってやるぞ、貴様を! この手で!」

 ようやく目が見えるようになったバッシュが、ルキフォに向かって吼えた。

「あんたとはもうご免だね」

 軽口を叩いて、エスティをしっかり抱えたまま塀を飛び降りた。

「バッシュ殿! なんてことを……」

 あの混乱の中無事でいたのか、トイスンがバッシュのそばにやってきた。地霊宮の惨状に血の気を失っている。

「悪運の強い奴め」バッシュが呟く。
「娘を逃がした上に、この惨状。どうするつもりなんだっ」
「黙れ」

 トイスンの叫びをバッシュは一喝で封じた。

「なに、この街からは逃げられはせん。ようは、娘が手に入ればいいのだろう? 網を張っておけば、必ずひっかかる」

 不安そうなトイスンをよそに、ルキフォという新たな得物を狩れる喜びを、バッシュは心の底から楽しんでいた。
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