精地門 バッシュ その4

文字数 8,554文字

 トイスンは自分の幸運に感謝した。確かにバッシュより先にあの二人を見つけることができたのは、幸運以外の何ものでもなかった。そして、通りを歩くルキフォとエスティに気づかれるより早く、こちらが気づいたのも幸運だと言えた。偶然は今、トイスンに味方していた。

 今連れている人数は十名。バッシュには見つけたと伝達をだしてはいない。少年は妙な術法を使うようだが、油断さえしなければ数で勝るこちらが負けるはずはない。
 二人は東西に貫く大通りを避け、入り組んだ裏通りを通って西門へと向かっていた。ときおり迷っていたが、それでも確実に門へと進んでいる。
 東西南北の門にはすべて、精地門の人間が見張りについていた。精火門の霊宮があるトリフ山脈へは北の門をくぐるのが近道だ。そこに一番多く人員をさいておいたのだが、どうやら無駄なようだった。

「西門から出て、森の中を進むつもりか……。それとも、そのまま本当に西に向かうのか」

 トイスンは呟いた。そして、後ろに控える男に声をかけた。

「いずれにせよ、門につく前に片をつけたほうがよさそうだな。幸いこの辺りには人も少ない」

 男が頷く。男の顎には大きな痣があった。馬車のに入るとき、ルキフォ蹴られた男だ。残りの人間を手早く二つのグループに別け、路地に散っていった。
 街は夜の眠りにはいっている。おまけに昼でも人通りの少ないこの場所なら、少々騒いだところでなんでもない。
 トイスンはそのままゆっくりと歩いてゆく。二つに別れたグループは、一方が先回りし、もう一方は横から近づいていった。

        ★

 それより少し前。日も沈み、街が眠り始めた頃にルキフォとエスティは空き家を抜け出した。満月の明かりがくまなく街を照らす。追っ手を避けるため、大通りを通らずに裏路地を縫うように歩いて西門へと向かっていた。
 グレンの恋人フィンナは、精水門の本拠のある、ウォティカの街の外れに居を構えているという。アクアクリスタルと呼ばれる湖が街に隣接しており、水の都として知られる街だ。そして、ウォティカはこのグランフォレストの西にあり、西門から伸びる一本の街道で結ばれていた。

 何度も迷いながら二人は進んだ。時には大通りに出て方向を確認することもしばしばあった。二人の前に数人の男が現れたのは、西門に百メートルほどの距離まで近づいた時だった。三つ目の角を右に曲がれば、西門まではまっすぐだ。男たちはその角の手前に立っていた。
 不審に思ったルキフォがエスティの手を引いて横道に入った。その道にも男が数名立っていた。慌ててさらに別の路地へ入る。少し進んだところで、今度は男が一人こちらに向かって歩いてきた。
 エスティを背に庇うようにして、ルキフォは一歩前に出る。

「そんなに慌てて、いったいどこに行こうというんだね」

 言葉は疑問形でも、その声は答えを期待してはいなかった。男はそのまま歩いて来ると、ルキフォたちにも顔が確認できるぐらいの距離で立ち止まった。

「さあ、私と一緒に来てもらおうか」

 トイスンは二人を見て笑っていた。すでにルキフォたちの行く手を阻むように二組の男たちが、通路に陣取っていた。

「断る」

 ルキフォが言う。

「確か、ルキフォと言ったかね? 君は勘違いをしている。君が……」
「何も勘違いなんかしてないよ。俺はエスティを守る。あんたが何を言ってもね」

 ルキフォがトイスンの言葉を遮った。トイスンが不愉快そうに眉をひそめた。

「何から守るというんだね?」
「あんたたちみたいな大人からさ」

 トイスンは声を上げて笑った。

「ふははは。それはいい。ならば守ってみるがいい。このガキめっ」

 突如、ルキフォの目の前の地面が盛り上がった。石畳を突き破り、鞭のようにしなった土がルキフォを襲った。ルキフォはエスティを抱えると、横に跳んでそれをやり過ごした。
 それを合図に男たちが一斉に動いた。

「来い!」

 ルキフォの言葉に〝魔法〟が現れる。魔法は出現と同時に呪文の高速詠唱を行った。
 〝魔法〟は普段、それを使う術者の中に存在している。術者は〝魔法〟を自らの魔力を用いて顕現させ呪文を詠唱させる。
 トイスンの腕が動き、土の鞭がさらに数本、ルキフォたちを襲った。

「〝守護する光の瞳〟」

 光の盾が現れ、岩槍をすべて防ぐ。盾は真円をしており中心に猫の瞳のような縦筋が入っている。
 回りの男たちが、一斉に地面から岩槍を出現させた。無数の岩槍はルキフォを囲むように全方位に走った。

「〝切り裂く光の爪〟」

 ルキフォは光の軌跡を描き、十数本を破壊した。だが、逃げ切れずに岩槍の牢に閉じ込められてしまった。

「ずいぶんとあっさり捕まったものだ。精霊皇の力はどうした? もしかすると、自由に操ることができないのか……」

 トイスンが近づいてきた。それに習って男たちも近づいてくる。ルキフォは黙って、全員が近づくのを待った。

「その娘を守るのではなかったかな?」
「守るさ」

 男たちがみんな近づいたのを顔を巡らせて確認する。ルキフォが笑った。

「?」
「〝弾ける光の瞳〟」

 トイスンが不審に思ったその瞬間、質量を持った光がルキフォを中心に半球状に広がった。光は閃光となり岩槍を砕き、近づいていたトイスンたちを飲み込んだ。

「おのれ」

 光が収まったあとに残っていたのは、トイスンを含め僅か三名だった。その中にはルキフォに顎を蹴られた男も入っていた。

「開け、元素界の門」

 三人の男が同時に元素界の門を開いた。背後に、紋印の刻まれた光の円が浮かび上がる。
 顎を蹴られた男が短い詠誦を終えた。ルキフォの足元にある岩槍の残骸が、はね上がって襲う。

「〝守護する光の瞳〟」

 ルキフォはエスティと自分を光の障壁で包んだ。岩槍はすべて弾かれる。

「〝疾る光の尾〟」

 ルキフォは光の鞭を放った。
 男は咄嗟に岩を集めて自分の前に盾を出現させる。光は曲線を描き、盾を避け男を打ち据えた。男が地面に倒れる。
 ルキフォの足元がぬかるみ、泥のようになった地面に足をとられた。その場で動けなくなる。残った男が術を完成させたのだ。
 トイスンが呪文の詠誦を終え、動けないルキフォを見て嫌らしく笑った。

「安心したまえ。娘には傷一つつけんよ」

 トイスンが手のひらをルキフォに向けた。土で造られた口しかない大蛇が、トイスンのそばから現れルキフォに向かった。
 その大蛇がルキフォに届く寸前、大蛇は地面から飛び出した岩槍に貫かれ、その場に崩れ落ちた。

「その小僧は俺の獲物だ」

 低い声が路地に響いた。黒い影を引きずってバッシュが現れる。ルキフォの後ろ、トイスンと正面に向かい合う位置だ。

「術を解け」

 バッシュはルキフォの足を動けなくした男に向かって言った。男は慌てて解術を支配している精霊に命じた。ルキフォの足が動くようになる。

「バッシュ殿、どういうつもりだ!?

 邪魔をされたトイスンが抗議の声を上げた。

「それはこちらの台詞だ。獲物が見つかったら、すぐに知らせろと言わなかったか?」
「知らせる知らせないは私の判断でする。今回の件の責任者はバッシュ殿ではなく私だ」

 トイスンの言葉に、バッシュは鼻を鳴らした。

「小僧は俺に任せるんじゃなかったのか?」
「それは、そうだが」

 確かに、以前はそのつもりだった。だが事情が変わった。今ここでバッシュに任せてしまうと、エスティを取り逃がした場合、自分管理能力が疑われてしまう。暴走気味のバッシュに邪魔をされるのは面白くない。

「なら、異論はあるまい」

 だが、トイスンのそんな思いもバッシュのひと睨みで砕けてしまう。
 トイスンが黙ったのを見て、バッシュは回りの男たちを引き下がらせた。

「小僧……ルキフォと言ったな。俺と一対一でケリをつけよう」

 バッシュが構えた。ルキフォは動かない。

「娘のことなら心配無用だ。お前との決着がつくまで手は出させん」

 何か言いかけたトイスンを、バッシュは視線で黙らせる。

「あんたを信用しろって言うのか?」

 バッシュの方を振り向いて、ルキフォが訊いた。

「信用せんのならそれでも構わん。どうせお前は俺に勝てんのだ。負けた言い訳がほしければ、娘を連れて俺と戦うがいい」
「判った。エスティ離れて」
「ルキフォ」エスティが言った。
「大丈夫。勝つよ」

 ルキフォは笑顔を向けた。それを見てエスティは何も言えなくなる。少女はゆっくりとルキフォから離れた。

「手出しは一切無用だ。当然、娘にも手を出すな。もし、手を出せば命はないと思え」

 バッシュがトイスンたちに向かって言った。トイスンは歯軋りをした。面白くない。だが、上手くいけば共倒れになるかもしれない。そうすればしめたものだ。

「開け、元素界の門」

 バッシュの背後に光の円が現れた。トイスンたちとは違い、円の中に浮かび上がった紋印がより複雑になっている。これはトイスンたちより元素術の実力が上であることを示していた。

「ゆくぞ」

 バッシュが動いた。路上に散らばっている岩の残骸がバッシュの周りを取り囲む。そのままバッシュはルキフォに突っ込んでいった。ルキフォはそれを右に回って避た。

「〝貫く光の牙〟」

 ルキフォから光の矢が放たれる。しかし、矢はバッシュの纏う岩を砕くだけで体に届かない。
 バッシュは自分の周囲の岩を続けてルキフォへ向かわせた。ルキフォは宙高く跳びあがった。それを見てバッシュが笑う。ルキフォに足元を通り過ぎるはずの岩の群れは、急激に方向を変え上へと向かった。ルキフォの体に無数の岩がぶつかった。

「ルキフォ!」

 エスティが叫んだ。ルキフォはなんとか姿勢を整えて、地面に降り立った。脇腹に激痛がはしった。傷口が開いたらしい。血が包帯を通り抜け服ににじんだ。

「〝切り裂く光の爪〟」

 ルキフォ手から光の軌跡が放たれる。バッシュは呪文を詠誦しつつそれを避けた。ルキフォは逆の手で同じ術を放つ。呪文を完成させたバッシュは避けることなくそれを受けた。
 バッシュに届く寸前、閃光が弾けた。そして、光の軌跡は逆にルキフォを襲った。

!?

 咄嗟のことに避けることができない。ルキフォの肩を光が掠めた。思わず片膝をつく。エスティが悲鳴を上げた。駆け寄ろうとしたのを、ルキフォが手を挙げて止める。

「だから、言ったのだ。お前は俺には勝てん。光の術法しか使えぬお前には」

 バッシュは気づいていたのだ。ルキフォが今まで光の術法しか使っていないことに。
 バッシュが近寄ってきた。バッシュの前には八角形の、金剛石でできた盾が浮かんでいる。それがルキフォの光を跳ね返したものの正体だった。

「〝貫く光の牙〟」

 ルキフォは立ち上がると再び光の矢を放った。バッシュの顔に侮蔑の嗤いが浮かんだ。
 光は、ルキフォに跳ね返る。ルキフォはそれを避け、さらに術を放った。今度は鞭のようにしなる軌道でバッシュを襲った。

「無駄なことを」
 金剛石の盾は自ら移動して光を跳ね返した。跳ね返された光が、成り行きを見守っていたトイスンの足を貫く。

「ひぃ」

 情けない悲鳴を上げて、トイスンがその場に座りこんだ。トイスンの太ももに穴があいていた。傷口からは血は流れてなかった。

「バッシュ殿、足が! 私の足が!」

 トイスンが叫ぶ。バッシュはうっとうしそうにそちらを見た。

「足ぐらいでわめくな。命まで失うわけではあるまい」

 冷たく突き放し、バッシュはルキフォに向き直った。

「どうする? 素直に負けを認めれば、苦しまずに殺してやるぞ」
「負けないよ」

 ルキフォは不敵に笑った。〝魔法〟が吠える。

「〝転ずる光の瞳〟」

 ルキフォが解放の言葉を放つ。真円の光が少年の前に現れた。それは光の盾に似て中心に猫の瞳のような縦筋が入っている。違いは真円を囲うように秘紋が描かれていることぐらいか。

「〝貫く光の牙〟」

 ルキフォは真円の中心に向かって光の矢を放った。光の真円を通った矢はそのままバッシュに向かう。

「無駄だと言ってる!」バッシュが叫んだ。
「〝夜の瞳〟」

 バッシュの言葉に応えるように、ルキフォは解放の言葉を更に放った。
 目の前にあった光の真円――その中心にあった猫の目のような縦筋が開いた。縦筋はひと回り小さな真円となりその中心から黒く変わる。それは光の中に生まれた闇と言えた。その闇はさながら猫の虹彩のようだ。
 それに呼応するようにまっすぐに金剛石の盾に向かっていった光の矢の持つ輝きが薄れた。そして盾にぶつかる寸前、光が闇へと変わる。闇の矢は盾を貫いて、バッシュの胴へ吸いこまれた。

「何ぃ!?

 バッシュが驚きの表情を浮かべた。その場に片膝をつく。彼の目の前にある盾には丸い穴が穿たれていた。

「貴様、隠しておったか」
「確かに俺は光術系の魔術しか扱えない半人前だ」

 ルキフォは相変わらず不敵に笑っている。

「だけど俺の〝魔法〟はね二つの魔術書を元に生成したんだ」

 ルキフォの肩に〝魔法〟が飛び乗ってきた。〝魔法〟がバッシュを睨みつける。その瞳は金と黒のオッドアイだ。
 〝魔法〟は生きた魔術書であり、術者と意識を共有する存在でもある。〝魔法〟は存在しているだけで魔力を必要とし、その魔力は術者から得るのだ。
 そして〝魔法〟は精霊と違い自然に存在するものではなく、魔術を学んだ者が魔術書を利用して作るのだ。多くは自分が得意とする系統の魔術をおさめた魔術書を元に生み出す。

「元素術と違って、魔術師は複数の系統を扱える。まだ十分に使いこなせていないけどね。でもアンタの盾を貫くことはできる」
「なるほどな。ルキフォ、お前をみくびっておったわ。敬意を表して、俺の持つ最強の術法で葬ってやろう」

 バッシュが立ち上がった。

「ならこっちも、自分の扱える最高の術で相手をする」

 〝魔法〟がルキフォの前に飛び降りた。体を低くしてバッシュを威嚇する。ルキフォは右手の平をバッシュに向け、手首を左手で下から掴んだ。
 ルキフォの背中に闇が生まれた。それは背中から生えた黒い、すべての光を吸いこむ闇の翼のようだ。ルキフォの手の前に光が集まる。それに合わせるように〝魔法〟に変化が訪れた。
 成猫ほどの大きさだった〝魔法〟は、巨大化を始めた。それにあわせて筋肉は発達し顔つきも精悍なものへと変わる。ルキフォの腰より大きくなった〝魔法〟はもはや虎と言えた。
 〝魔法〟が吠える。それは力強い威嚇の鳴き声のように聞こえる。いつもより長い高速詠唱だ。
 それに重なるようにして、バッシュの詠誦が聞こえる。

【我がもとに集いし大地の元精霊よ
 汝らのもてし至高なる力を我に与えよ
 生命の根源 浄化の法】

「やめろ! バッシュ殿。その術を街中で使うなど正気なのか!?

 トイスンは悲鳴を上げた。たが、バッシュにやめる気はないようだ。
 強大な精霊力がバッシュに流れ込んでいる。元素界からだけでなく、街の中にある大地の精霊までもがバッシュの支配下にあった。

「ルキフォ、逃げて」

 精霊力のあまりの大きさに、エスティの体に震えがはしった。ルキフォは動かない。

【豊穣の大地 灼熱たる荒野
 すべてを飲み込む砂漠と大地の怒り
 汝ら集い我が手に刃
 成せ! 大地の剣!】

 呪文の完成とともに大地が鳴動した。バッシュのもとから、ルキフォに向かって地面が割れた。金剛石の剣が無数に飛び出す。圧縮された精霊力が刃となって駆けぬけた。

「やめて──!」

 エスティの持つ精霊皇の力が、バッシュの術法を覆った。だが、バッシュから精霊を僅かに奪っただけで、術そのものを無力化することはできなかった。

「やはりな。感情が極度に高まった時にしか力が現れん。力を完全に操作できないようだな。完全に操れん力では、この術法を無効化することなどできぬよ」
「〝蹂躙する光の爪牙〟」

 特殊な発声による解放の言葉。ルキフォの言葉と同時に〝魔法〟がバッシュに向かって疾走した。〝魔法〟はその身に光りを纏い、闇の軌跡を残しながら力強く走っていく。
 〝魔法〟と大地の剣とぶつかった。エネルギーの奔流が互いにせめぎ合い、弾かれた力の雫が周りを破壊してゆく。地面が陥没し、家は崩れた。力のぶつかり合いは街の一部を破壊しつつあった。

「きゃあ」

 エスティに向かって破壊された家の残骸が落ちてきた。頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。ぶつかる寸前にエスティを風が包み、残骸を弾き飛ばした。

「風……?」

 エスティは自分を守るように取り巻く風を、不思議そうに見つめた。
 〝魔法〟は、精霊力の刃に一部を切り裂かれるが、一向に介した様子もなくバッシュへと向かう。目の前に現れる金剛石の剣を噛み砕き、踏み潰し、障害をすべて蹂躙し決して止まることはなかった。

「莫迦な」

 二度目の驚愕の表情を浮かべ、バッシュはその場に立ち尽くした。〝魔法〟の金と黒の瞳がバッシュに向けて迫っていた。

「この俺が、この俺の元素術が────!」

 衝撃がバッシュを襲った。大男は光に押しつぶされ、すぐに闇にも押しつぶされる。大男は蹂躙され、地面へと倒れた。
 力の嵐が収まった。ルキフォたちの周りはその姿を大きく変えていた。家は潰れ、二人が目指していた西門にも大きな穴が空いていた。遠くで人のざわめきが聞こえた。

「エスティ!」

 しゃがんでいたエスティの手をとり、ルキフォは西門へ走った。

「今のうちに行こう」

 ルキフォは肩と脇腹から血をにじませていた。足を踏み込むたびに激痛が襲ってくる。

「ルキフォ、怪我してるわ。休まないと」
「今はだめだ。少しでもこの街から離れないと。すぐに追っ手がくるかもしれない」

 ルキフォたちは西門へとたどり着いた。
 そこに見張りの姿はなかった。門は周りの壁ごと破壊されており、その向こうに暗い森への入り口が見えた。
 誰にも見咎められることなく、二人街を出て行った。

        ★

「あの少年、化物か」

 残骸が吹っ飛び、その下からトイスンが現れた。《土人形》がトイスンを守るように立っていた。残骸から抜け出たトイスンは術を解除し、《土人形》を土へと還す。
 トイスンはルキフォの放った魔術を思い出し、ぶるっと身震いをした。

「とにかく、知らせねば。今ならまだ追いつけるはずだ」

 足を引きずりながらトイスンは歩いた。倒れたまま動かないバッシュに見向きもしない。
 生きているのか死んでいるのか、トイスンにとってはどうでもよいことだった。
 今なら、うまくすれば手柄はすべてトイスンのものとなる。ルキフォは結構な傷を負っていたから、そう早くは遠くに行けまい。数でかかれば今度こそ捕まえることができる。
 そう考えながら歩いていたトイスンの目の前に、ほっそりとした人影が立った。トイスンが立ち止まり、不審げに影を見つめた。

「随分な有様ね」

 月明かりに照らされ進み出た人影の姿が浮きでる。黒髪の美女ミランだ。

「ミラン? なぜ貴様がここに。自分の門派を裏切って、リュードの若造に仕えたと聞いていたが……なるほどな、貴様もあの娘が目当てか。おおかた娘の兄のグレンに頼まれたのだろう? だが、残念だったな。あの娘はもうここにはおらんよ」
「知っているわ。そして、どこに向かったのかもね」
「ふん。知っていようが無駄なことだ。あの娘は精地門が捕らえる。向かった方向さえ判っておれば、今夜中に追いついてみせるぞ」

 ミランはトイスンの言葉を鼻で笑った。

「何がおかしい」
「無事に地霊宮まで帰れると思っているの?」

 ミランの言葉にトイスンは顔色を変えた。

「莫迦な考えはよせ。ここは精地門の本拠だぞ。私を殺してもすぐに見つかる」
「この惨状を見て、本気でそんなこと思ってるの?」

 ミランの言葉が冷たい。

「なぁ、私と組まんかね。そうすれば……」
「何のメリットもないわ」

 トイスンの言葉を遮った。

「このまま精地門には知らされないほうが、私にとって都合がいいもの。それにね、あのバッシュが倒されたのよ。あなた程度の小者が生きてるなんておかしいでしょ?」
「おのれ、小娘が言わせておけば」

 トイスンの顔は怒りで真っ赤になっていた。
 ミランの足元が割れ、岩槍が飛び出た。ミランはそれを空中に浮いてよける。

「無駄よ」

 風が、トイスンの首を撫でた。それは優しい風の愛撫のようだった。一瞬の間を置いてトイスンの首と胴を永遠に別かれる。重い音を立て、頭が地面に転がった。胴体が血を噴きながら崩れ落ちた。

「そういえば言うのを忘れてたけど」

 虚ろな目で空を見上げるトイスンの頭を、ミランは冷たく一瞥する。

「私はリュード様の為にしか動かないわ」

 言いながら赤毛の青年を思い浮かべる。リュードにエスティの行方を報告しなければならない。そして、あの少年のことも……。
 エスティに少年がついているのは予想外の出来事だった。どの門派でもない、奇妙な術法を使っていた。バッシュを倒した実力もかなりのものだ。もしかするとあの少年は、リュードにとって最大の障壁になるかも知れなかった。
 精風門の元素術使いであるミランならリュードの所に戻るまで一晩あれば十分だ。それに一度戻っても行き先が判っている以上、二人に追いつくのはたやすかった。
 ミランは風を纏いなおすと、主人のもとへ、報告のため翔び去っていった。
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