ルキフォとエスティ その2

文字数 8,389文字

「師匠!」

 次の日の朝、ルキフォは慌ててゴルドの所へ駆け込んだ。ゴルドはすでに旅支度をしており、入ってきたルキフォを何事かと見つめる。

「どうした?」
「あの娘が、いなく、なった、んです」

 よほど慌てたのか、喋る言葉がとぎれとぎれになっている。

「そうか」
「そうかって、知ってたんですかっ」
「いや、お前に聞くまで知らなかったよ」
「その割には、落ち着いているように見えますけど?」

 ルキフォはゴルドに疑いの目を向ける。

「本当だよ。予測はしていたがな」
「予測? じゃあ、師匠は知ってていかせたんですか?」
「落ち着け」弟子の取り乱しように、ゴルドは苦笑してみせる。「見ず知らずの土地に一人でいるってのに、あの娘は出て行った。儂が止めても無駄だよ」
「無駄って……あーもうっ」

 ルキフォは自分の頭を掻きむしって、ゴルドに抗議した。

「なんだルキフォ? 昨日会ったばかりの娘ことが、そんなに心配か?」

 ゴルドの瞳に悪戯っぽい光が浮かんだ。

「だって、あの娘トリフ山脈って言ってましたよ? あんな女の子が一人で行けるわけないじゃないですか。だいたい、一番近い精地門のいる街だって、どれだけ離れているか」

 元素術四門派は、それぞれ霊宮と呼ばれる独自の本拠を各地に構えている。ここから一番近いのはグランフォレストの街にある精地門の本拠だ。それも、徒歩なら一週間はかかる。

「なに。途中ではぐれたという知人に会うかもしれんだろ?」
「それは、そうかもしれませんが……でも、あの娘は何も装備をもってないんですよ?」

 ここに連れてこられた時、エスティに荷物はなかった。また、ここから持ち出されたものもない。エスティはここい来たときと同じく、何も持たずに出て行ったのだ。

「うむ。それほどまでに心配か?」
「はい!」

 半ば睨みつけるかのようにルキフォは言う。

「そうか……ルキフォ、お前惚れたか?」
「な、なっ――」
「まぁお前も年頃だし、あんな可愛い娘が目の前に現れれば仕方ないな。村の娘とは雰囲気も違う。ひと目惚れもしようってもんだ」

 ニヤニヤしながらゴルドは言う。完全にルキフォをからかっている。

「し、師匠っ。もう、いいですっ」

 顔を真っ赤にしながら、ルキフォは言った。そしてそのままゴルドに背を向けて出て行こうとする。
 その少年めがけて、ゴルドは大きなずた袋が投げた。ルキフォは気配を感じて振り返り、それを咄嗟に受け取った。

!?

 袋は思いのほか重かった。触った感覚から、中には衣類や薬草を運ぶ袋。そしてお金の入った袋があるのが分かる。ちょうど、いつも診療をしに村を回る時と同じくらいの内容の装備だ。
 ルキフォは驚いてゴルドを見つめる。

「用意はまだなんだろ? それを持って行けルキフォ」ゴルドは一転して真剣な表情で言う。「儂もあの娘には縁がある、ほおっておくことはできん。だが、儂はこれから回診に行かねばならん。待っている者も、儂にとっては大事だ」
「師匠……はいっ」

 ルキフォの表情が明るくなる。

「いいか、ルキフォ。あの娘は見た目以上に行動力がある。惚れたお前ではあの娘に振り回されるかもしれん」
「……しつこいですよ」

 ふて腐れたようなルキフォの声。だがそれ以上の抗議がないのは自分が行くことをゴルドが認めてくれたからだ。

「だから、気をつけろ。場合によっては元素術の人間と一戦交えることになるやもしれん」

 師匠の真剣な声に弟子の表情も引き締まる。

「お前はまだまだ半人前だ。けっして無理はするな。〝魔法〟は考えて使えよ」

 ゴルドの言葉に、ルキフォは真面目な表情で頷いた。

         ★

 ルキフォがゴルドと話している時、エスティは山を下っていた。昨晩の食事のあとで、エスティは自分がどこにいるのか正確な位置を教えてもらった。残念ながらソルタという地名に覚えはなかったが、ゴルドの住んでいる場所の近くにはいくつか村があることを知った。
 ゴルドはこの辺りでは有名な療術師らしく、回りの村やさらに遠方からも彼を訊ねてくる者がいるらしい。ゴルド自身もよく村へ回診に出るため、ゴルドの住処から村へ向かう道がいくつか出来ていた。それも昼間なら子供が通るのに困らない程度の整備がされている。

 エスティはゴルドに見せて貰った近郊の地図から、南西にある村を目指す事にしていた。
 記憶力には自信があった。一度地図を見ただけだが、エスティははっきりとその地図を思い浮かべることができる。
 思い浮かべた地図の中で、その村からすぐ近くに街道が通っているのが見えた。その街道は西に伸びている。そしてその先には精地門の本拠のあるグランフォレストの街があると、ゴルドは言っていた。
 エスティがゴルドたちの元を早々に飛び出した理由もそこにあった。
 精地門と言えば、エスティを襲ってきた連中だ。最後にグレンを見たとき、兄はその精地門の元素術使いと戦っていた。

 エスティは兄の無事を信じていた。だがどこかで、その想いが否定される。自分を逃がすためにグレンはかなり傷ついていたのだ。
 兄の無事を想うたび、エスティの脳裏にはあの大男の元素術使いの影がちらつくのだ。そしてそれは、エスティを不安にさせる。
 もしかすると、グレンは精地門に捕まってしまったのかもしれない。エスティは最悪の状況の一歩手前を考えてしまい、居ても立ってもいられなくなったのだ。
 そうやって考え事をしていたため、エスティは自分に迫った違和感に気づかなかった。

 この場を満たしている精霊たちの中の違和感。エスティはグレンたちのように元素術は使えない。だが、精霊皇の祝福を受けた少女には、グレンでさえ分からない精霊たちの変化を感じることができる……はずだった。
 最初に感じたのは〝地〟に属する精霊の多さだった。山の中だから当然なのかもしれないが、精霊力が集中しすぎている箇所かいくつかあった。普段なら違和感として感じるはずのそれを、エスティは焦るあまり無視してしまった。
 だから躊躇うことなく、その違和感の中心を踏んでしまったのだ。

「きゃっ」

 数歩も歩かないうちに、地面が盛り上がった。エスティは突然の隆起に転んでしまう。
 盛り上がった地面は、少女の目の前で三体の人型を生み出した。
 人型の中心には精霊力の集中が感じられた。この土で出来た人形は元素術によって作られているのだ。それも、中心に感じる精霊力から精地門の使う元素術であることがエスティにも分かった。

 精地門の人間がエスティの探索用に放った《土人形》だ。意志を持たず単純な命令した遂行できないが、一度放てば大地が続く限りどこにでも現れることができる。
 《土人形》はエスティを見つけるとゆっくりとした速度で近づいて来た。
 エスティは素早く立ち上がると、《土人形》に背を向けて走り出した。《土人形》の速度は遅い。子供の足とはいえ、あっというまに引き離した。
 エスティは走りながら振り返り、《土人形》の姿が見えないのを確認する。そして安心して前を向いた瞬間、進行方向の地面が盛り上がっているのが見えた。

「!」

 それが何を意味するのか、エスティはすぐに理解した。今まで《土人形》に感じていた精霊力と同じものを目の前の隆起から感じる。
 隆起は二体の《土人形》を生み出した。振り返ると背後からは一体が近づいてくる。
 挟まれたエスティは咄嗟に動けなかった。前から伸びてきた《土人形》の腕に押されて、後ろに転げてしまう。

「いやっ」

 そして《土人形》の手が倒れたエスティに触れようとした瞬間、《土人形》の手が止まった。
 思わず目を閉じてしまった少女は、何も怒らないことを不審に思い目を開けた。目の前には二体の《土人形》。その《土人形》の一体が、もう一体を動かないように抑えていた。

「? 助けてくれるの?」

 エスティの言葉に、取り押さえている《土人形》は少女を一瞥した。エスティはすぐに立ち上がり、もみ合っている《土人形》の横を通り抜けようとする。だが走りだそうとしたエスティの腕を、背後からやってきた《土人形》に掴まれてしまった。

「いや、離して!」
「〝貫く光の牙〟」

 エスティが叫ぶと同時に特殊な発声による言葉が聞こえた。刹那、光が《土人形》を貫く。《土人形》は光に貫かれその場に崩れ落ちた。

「大丈夫!?

 聞き覚えのある声がエスティの耳に飛び込んで来た。
 そして声の主――ルキフォはエスティの前までやってくると、庇うように少女の前に出る。少年の足下には、昨日エスティに懐いてきた銀色の猫の姿があった。

「あ、あなたは……」

 助けに来たのは昨日会ったばかりの少年。それは少女が思いもしない人物だった。
 いや、本当はどこかで追いかけてくるような気がしていたのかもしれない。ルキフォを見たエスティは思いのほか冷静だった。

「君は、下がってて」

 ルキフォの言葉にエスティは素直に従う。
 何故だろう。この少年の言葉なら聞いてもいい気がする。それはもしかしたら、この少年が真っ直ぐな目で自分を見てくれたからかもしれない。
 眠りから覚めたあとのエスティに初めて会う人間は、ほとんどが彼女を見てたじろいだ。少女の銀色の瞳を気にするのだ。そしてエスティと目を合わせると、一瞬だけ視線を反らす。気味悪がるのだ。
 眠る前とと同じように接してくれたのは、兄のグレンとその恋人のフィンナ。そしてリュードと館の使用人たちだけだった。
 だが、目の前の少年と少年が師匠と呼ぶ初老の男は違った。二人はまるでエスティの瞳の色がありふれたものであるかのように、普通に接してくれた。二人は身近な人間以外で初めてのエスティの瞳の色を気にしない存在だった。

 ――キュィィン

 突如、甲高い音が聞こえた。エスティの目が音のした方向を向く。音の主はルキフォの足下にいる銀色の猫だった。
 昨夜聞いた鳴き声とはほど遠い、文字通りの音。それをあえて声と言うのなら、人間の会話を無理矢理縮めて発音したような感じだ。

「〝切り裂く光の爪〟」

 聞き慣れない発声でルキフォが言葉を放つと同時に片手を振った。少年の指が描いた軌跡に沿って光りが生まれる。
 五つ光の筋は刃となって二体の《土人形》に向かった。もみ合って動けない《土人形》はあっさりと光の刃い切り裂かその場で崩れる。

「あっ!」

 崩れた《土人形》のうちの一体が自分を助けてくれたことをエスティは思い出した。ルキフォの背後から飛び出し、土塊になってしまった《土人形》の元へと向かう。しゃがみ込んで土に触れてみるが、先ほど感じたほどの強い精霊力はなかった。

「ありがと……ごめんね」

 エスティは手に取った土に向かって呟いた。

「……えっと、もしかして味方だった?」

 エスティの様子を見て、ルキフォが恐る恐るといった様子で訊いてくる。少女は振り向くと首を横に振った。

「上手くいえないけど、ちょっと違うかな」

 少し寂しそうにエスティは言う。

「それよりもありがとう。また助けてもっらったね。えっと……」
「ルキフォ」少年は突自分名前を言う。
「昨日教えてもらったのにね」エスティは恥ずかしそうに笑う。「改めてありがとう。ルキフォ……くん」
「ルキフォでいいよ。え、え……」
「エスティ。わたしもエスティでいいよ。なんだルキフォも忘れてたんだ」

 ルキフォは少女の名を忘れてはいなかった。彼女の笑顔に見惚れ、名前を呼ぶのを躊躇ってしまったのだ。

「おあいこだね。……エスティ」
「うん」

 ルキフォの言葉にエスティは微笑んだ。歳が近いことによる気安さか、少女が浮かべたのは自然な笑みだった。

「そ、それより怪我はない?」

 また見惚れそうになる自分に気づいて、ルキフォが慌てたように言う。

「うん。大丈夫。それよりもさっきの光……ルキフォがやったの? 元素術とは違うみたいだけど……」

 先ほどルキフォが放った光には、精霊力を感じなかった。エスティが見たことのない術だ。ルキフォに警戒心を抱いたわけではなく、ただの好奇心で少女は無邪気に訊いた。

「あ、うん。一応、魔術……かな」
「え? でも……」

 魔術は衰退した術法だ。昔は隆盛を極めたが、今では元素術にその地位を奪われている。それは子供であるエスティですら知ってる事実だ。
 実践するには多岐に渡る知識と研鑽を必要とする魔術は、一人前になるまで多くの時間を要する。また魔術の行使においては呪文の詠唱や触媒、魔力が必要となるなどの制約があり、またその効果は個人の資質によるところが大きい。
 それに対し元素術は精霊と対話できるという資質は必要だが魔術ほど複雑ではなく、定型となる呪文はあるものの小規模な術の行使においては必ずしも必要ではない。そういったハードルの低さから、元素術は魔術に代わり発達してきたのだ。

「うん。でも魔術はなくなったわけじゃないんだ」

 魔術は滅んだわけではなかった。魔術そのものは実践を伴わない学問として残っているし、ゴルドの療術や〈門〉などの魔導具といった形で実践される魔術の系譜は残っている。
 しかし、ルキフォが先ほど行ったような、攻撃を伴う実戦的な術法としての魔術はなくなって久しい。

「ただ魔導具や療術のように形を変えただけなんだよ。さっき俺が使ったのもその形を変えた魔術の一種なんだ。〝魔法〟って言うんだけど」
「〝魔法〟?」
「魔術の欠点の一つである呪文の詠唱。これを別の存在に肩代わりさせたってのが、〝魔法〟の始まりなんだ。師匠の受け売りだけどね」

 ルキフォの話しはこうだった。末期の魔術師たちは元素術に対抗する術を考えていた。その答えの一つが魔術の術行使に必ず必要となる呪文の詠唱の短縮。詠唱中は無防備になる魔術師の弱点を詠唱の短縮を行う事によってなくそうとしたのだ。
 そしていくつかの文節を省き呪文を短くした短呪や、そもそも呪文の詠唱を必要としないように魔術と同じ効果を得られる魔導具を生み出したりした。
 だが、短呪では魔力の弱い者はその威力を十分発揮することは出来ず、また魔導具で元素術に対抗しうる効果を得るには個人が持ち運び出来る限界を超えてしまう。
 そこで考えられたのが、魔術師本人の代わりに呪文を高速で詠唱してくれる〝魔法〟という存在だった。

「これがその〝魔法〟」

 そう言って、ルキフォは自分の足下にいた銀色の猫に似た小動物を抱き上げた。エスティの目の前に差し出された〝魔法〟は外見に違わす、猫に似た鳴き声を上げる。それはまるで挨拶しているようにも思えた。金と黒のオッドアイがエスティを真っ直ぐ見つめている。

「これが?」

 話しを聞いてもエスティはまだ信じられない。そっと〝魔法〟の前に指を差し出す。すると〝魔法〟はぺろりと舐めた。

「うん。師匠は鷹に似た〝魔法〟を使ってる。師匠と俺は、療術師であると同時に、〝魔法〟使いなんだ。もっとも俺は、どっちもまだまだ半人前なんだけどね」

 そこで一度、ルキフォは言葉を切った。そして何度か口を開きかけ、同じ数だけ閉じる。それを数回繰り返すと、意を決したように口を開いた。

「だけど、君を守ることはできると思う」
「え?」

 驚いて見つめるエスティの前でルキフォは恥ずかしそうに視線をそらす。
 エスティはルキフォの言った「守る」という言葉がいつまでも耳に残っていた。つい最近、その言葉を聞いたばかりなのだ。それは彼女がもっとも信頼する存在。ただ一人の家族である兄の口から聞いた言葉だった。
 ――お前のことは必ず守ってみせる。
 兄の言葉が声が、エスティの耳蘇る。少女の目から涙が溢れた。

「え? あ、俺……えっと、なんか、ごめん」

 急に泣き出したエスティに、ルキフォは狼狽する。腕の中の魔法〟が暴れ、地面へと降りる。〝魔法〟はエスティの足下に歩いて行き、慰めるように体をすりつけた。
 エスティは両手に顔を埋め、首を横に振った。

「違うの、ルキフォが悪いんじゃないの」

 自分を守ると言ってくれた兄は傷つき、離ればなれになってしまった。今はその安否すら分からない。我慢していた感情が溢れだしていた。会いたい。兄に会ってその腕に抱きしめて欲しい。自分を安心させて欲しい。

「会いたいよ」
「え?」

 少女が思わず漏らした呟きをルキフォは聞き逃さなかった。

「会いたいよ、グレン兄様」

 エスティは自分が兄の名を呟いたことにすら気づかない。両手に顔を埋めたまま、小さく肩を振るわせている。
 そんな少女の姿をルキフォは言葉もなく見つめていた。

「俺が、会わせてげるよ」

 思わず、そんな言葉が口をついて出る。
 エスティは驚いて顔を上げた。瞳からは涙が溢れている。ルキフォはこんな時でさえ、エスティのことを可愛いと思った。

「お兄さんに、俺が会わせてあげるよ」

 そう言ってルキフォは真っ直ぐにエスティを見つめる。自分を見つめてくる少年の真摯な表情から、ルキフォが本気でそう思っていることがエスティには分かった。

「でも……」

 自分のことを本気で考えてれる人がいる。右も左も分からない土地で、エスティのことを知っている人間が誰ひとりいない場所で。
 昨日会ったばかりの少年は本気でエスティを助けようとしてくれている。
 嬉しかった。でも同時に怖かった。
 自分を守ってくれたグレンは傷つき、一緒に館に住んでいた使用人たちの安否も分からない。みんな自分のせいなのだ。望んだことではないとは言え、精霊皇の祝福を受けた自分をめぐって今回の争いは起きたのだ。
 これ以上、他人を巻き込みたくなかった。

「ありがとう、ルキフォ」

 エスティの言葉にルキフォの表情が明るくなる。だがそれも、次にエスティが口を開いた瞬間に消えてしまう。

「でも、大丈夫。わたしが自分でなんとかしないといけないことなの」

 エスティは涙を拭いて、気丈に微笑んで見せた。ルキフォはただ黙ってエスティを見つめている。そんなルキフォの様子を見て、エスティは自分の言葉に少年が傷ついたのだと思った。

「ルキフォの気持ちは嬉しい。ホントよ」

 だから、本心からの言葉をエスティは口にした。

「……昔ね、師匠に怒られたことがあったんだ」

 唐突に、ルキフォは話し始めた。エスティ口を開きかけたが、少年がふざけているのではないと分かって黙った。

「師匠の使いで近くの村に行った帰り道に、山の中で女の子が一人泣いていたんだ。理由は分からない。だって、こっちがいくら話しかけても、泣くばかりで答えてくれないんだ。
 だんだん腹が立ってきて、時間も遅くなったから、結局ほおっておいて帰ったんだけどね。帰ったら師匠に遅れたわけを聞かれたんだよ。だから正直に話した。女の子が泣いていたんで遅れましたって」

 そこで一旦、ルキフォは言葉を切った。

「そしたらこっぴどく怒られた。泣いている女の子をほおって帰ってくるとは何事だ、ってね。お前が帰ったあと、その娘はすごく不安になっただろうって。
 そのあとすぐに師匠は家を飛び出して、女の子を捜しに行ったんだ。俺は師匠に引きずられて連れてかれた」

 その時のことを思い出しているのか、ルキフォは苦笑して見せる。

「その子、見つかった?」
「うん。女の子は同じ場所でまだ泣いてた。迷子になった村の子だったんだけど、師匠がなんとか話しをきいて、村まで連れていったんだ」
「そう。よかった」

 エスティは安心したように言う。

「その子が親に抱きついて泣いてるのを見て、よかったって俺も思った。俺は捨て子で師匠に拾われたから家族のことなんて分からないけど、いいなって思った」
「……ルキフォ」

 少年の告白に、エスティは言葉を失う。

「あ、いや、そうじゃないんだ」

 エスティが誤解したことに気づいて、ルキフォは慌てて訂正する。

「俺には師匠っていう家族がいる。だから寂しいとかそんなんじゃないんだ。師匠がその子を助けてよかったって思っただけなんだ。そして、自分が助けなかったことを、すごく後悔した」

 そこでルキフォはエスティを見つめる。会わせてあげると言った時の、真摯な表情で。

「泣いてる女の子がいま目の前にいる。ここで助けなきゃ、絶対に俺は後悔する。そんなのは嫌だ。
 だからエスティがなんて言おうと、俺は君を助ける。会いたい人がいるなら俺が会わせてあげる」

 それ以上の言葉はなく、二人は互いに視線を合わしたまま動かない。しばらくして、諦めたように視線をそらしたのはエスティの方だった。何かに耐えるように俯いてしまう。

「ルキフォ……ありがとう」

 そして顔を上げ、泣きだしそうな、でも嬉しそうな笑顔を浮かべてエスティは言った。少女の目の端に浮かぶのはうれし涙だ。
 ルキフォも笑顔でそれに答える。

「さあ、行こう」

 自然な様子で、ルキフォはエスティの手を取る。
 それを見て足下の〝魔法〟が猫のように鳴いた。
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