魔法使い ルキフォ その3

文字数 5,256文字

 窓からは暖かな日差しが差し込んでくる。夜半過ぎから空を覆っていた雲もすっかりなくなり、太陽の覗く澄みきった蒼い空が展開していた。
 部屋の中にはエスティ、ミラン。そして、三人の侍女が控えていた。床に裾がつかないように、侍女が二人がかりで純白のドレスを持っている。ミランがそっとエスティに近づいた。

「さあ、エスティ様。もう一時間もすれば、始まってしまいます。衣装を……」

 エスティは黙ったまま、何も言わない。うつむいてただ立っているだけだ。
 エスティはどうしていいか判らなかった。二日前突然、リュードから結婚の話を聞かされた。まさか、そのような展開になると思っていなかった。エスティはまだ十五歳である。
 同じ年頃の娘が婚姻というのはないわけではないが、今のエスティは結婚など考えたことはなかった。リュードが相手ならなおさらだった。

「どうして……」

 ミランを見上げ、呟いた。

「エスティ様を守る為です。私が言えるのはそれだけ。リュード様を信じてください」

 両手をエスティの肩に置いて、諭すようにミランは言った。エスティが頷くことはなかったものの、どこか諦めに似た雰囲気がミランに伝わった。
 ミランは優しくエスティを促し、ドレスを持った侍女の前に連れていった。ドレスを持っていない侍女がエスティの背後に回った。侍女は壊れ物を扱うかのように、慎重に服をぬがし、エスティの着替えを始めた。

「兄様。姉様。……ルキフォ」

 無意識のうちに名を呼ぶ。自分は何をしているのだろうか。グレンは? フィンナは? そして、エスティがもっとも待ち望むルキフォはどこに行ってしまったのだろう。
 そこには、動くことに疲れただ周りに翻弄されていく、無力な十五歳の少女の姿があった。

        ★

「いいですか。精火門の霊宮は、他の門派の霊宮と違って、長とその家族の家を兼ねています」

 ガーゼルがルキフォに説明をしている。二人は火霊宮の裏、居住区のある区画に忍びこんでいた。忍びこむときに使った食材を、調理場の近くにある倉庫に搬入し、その倉庫の中に潜んでいるのだ。

「ですから、エスティが隠されているとすれば、この区域」

 食材の大きなハムに、ガーゼルはナイフで図を刻んでいる。その一部をガーゼルのナイフが示した。

「だだし襲名式はもう始まってますから、花嫁には衣装を着せてすぐに出れるようにしないといけません。だとすると、エスティがいるのは火霊宮の本宮。しかも、式典の会場となっている大広間の近くでしょう」

 ナイフが不格好な輪を刻んだ。その中心、大広間と思われる場所にナイフが刺さっていた。ルキフォはそれをじっと見つめている。

「簡単な地図ですが、重要な通路は全て示してあります。大広間までの道を覚えてください。ルキフォ君は本宮。私は居住区の方を見て回ります。万が一、エスティを私が見つけたら、君に連絡しますから」

 そう言って、ガーゼルは手のひらサイズの直方体を渡した。水晶でできており、表面には複雑な紋印が刻まれている。

「これは?」
「試作で造った、通信の魔導具です。従来のものよりかなり小型ですが、映像が送れません。それに通信できる距離も格段に短い。あ、この火霊宮くらいならどこに居ても大丈夫です。
 その代りと言ってはなんですが、従来のもののように複雑な手順が必要ありません」

 新しく買って貰ったおもちゃを自慢する子供のような口調で、ガーゼルは楽しそうに話している。

「……これで」

 ルキフォが呟いた。言葉には驚きの感情が込められている。魔術の系譜を学ぶ者として、魔導具がどういうものかをルキフォは理解していた。
 魔術の欠点の一つとされる呪文の詠唱。ルキフォの〝魔法〟と同じく、それを補うために生み出されたのが、魔導具による魔術の行使だ。だが、元素術に対抗できるほどの魔術を魔導具で行おうとすれば、その魔導具は個人で持ち運べる大きさを超えてしまう。
 実際、現在通信用に使われる魔導具は部屋一つ分を占領してしまう大きさだ。それを、ガーゼルが試作だといったこの魔導具は、手のひらに収まるサイズになっている。映像や通信距離の問題を除いても、十分すごいと言えた。
 驚かれたのがよほど嬉しかったのだろう。ガーゼルは年齢にそぐわないほど無邪気に微笑んだ。

「さあ。別れる前に二、三注意をしておきます。エスティを見つけても、誰かがエスティと一緒にいたなら、決してルキフォ君だけで助けようとしないでください。リュードやその部下のミランが一緒だった場合は特にです。私が行くまで待機しているんですよ」

 あまりに真剣なガーゼルの口調に、ルキフォは思わず頷いた。そして頷いた後、少しだけ不満そうな表情になる。ガーゼルはそれを見て苦笑した。

「でも、エスティ一人だった場合は、遠慮せずに連れて逃げてください。花嫁を奪いさる恋人。格好いいですねぇ」

 ガーゼルは腕を組んでしきりに頷いている。あまりの呑気さに、今度はルキフォの方が苦笑した。いままで緊張していたのが嘘のように抜けていく。

「幸い、精火門の人間しか式典に主席していないようですから、少々の騒ぎは大丈夫でしょう。これがほかの門派も混ざっちゃうと、エスティの奪い合いになり兼ねませんから……。さあ、道順は覚えましたか?」

 ルキフォは自信を持って頷いた。

「では、ここで一旦別れましょう。くれぐれも私の言ったことは守ってくださいよ。エスティを助け出す前にバレたら、元も子もないですからね。それと、連絡を入れるときには、こちらの紋印に触れてください。呼び出せますから」

 再度ルキフォが頷いた。二人は何食わぬ顔をして食料庫を出ると、ふた手に別れた。
 ガーゼルはルキフォが無事に調理場を出ていくまで見守る。

「さて、私も行きましょうか」

 誰にともなく呟いて、ガーゼルは廊下を進んだ。ルキフォが向かったのと反対の方向だ。調理場を過ぎると、途端に人の気配がなくなった。みんな式典の方へかかりっきりになっているのだろう。
 ガーゼルは誰に咎められることもなく、居住区の中を歩き回った。途中、ドアノブのなくなった扉を見つけ、その前に立ち止まる。

「ふむ」

 ゆっくりと扉を開ける。中を覗いて見たが、人影はなかった。口を覆うように片手を当てて、ガーゼルは考え込んだ。しばらく考え込んだ後その場を離れて歩き出す。
 廊下を幾つか曲がり、階段を登ったところでガーゼルは足を止めた。扉の前に人が二人立っていた。どうやら見張りらしい。

「当たりクジ引いちゃいましたかね。だとしたら、ルキフォ君には悪いことをしましたね」

 ガーゼルは見張りの位置を確認すると、軽く目を閉じて精神を集中させた。口から特殊な発音で紡がれた言葉が流れる。

【我思う。汝は誘う風なりや。優しく流れ眠りを誘う】

 突然、見張りの男たちが倒れた。ガーゼルは近寄っていって、男たちが完全に眠っているのを確かめると、満足そうに頷いた。

「まだまだ、私の魔術も捨てたもんじゃないですね。……おや?」

 ガーゼルの目が、扉の一点で止まった。先程の扉と同じように、この扉もドアノブがなくなっている。これでは扉を開けてくれと言ってるようなものだ。だから見張りがいたという説もあるが、それにしても変だった。

「精火門はリュードに長が代わってから、扉にノブをつけなくなったんでしょうか……」

 普通の扉があったのをちゃんと見ているくせに、とぼけたことを言いながらガーゼルは扉を開けた。恐る恐るといった様子で、中を覗き込んだ。
 中には男と女が二人、椅子とベッドに座りこんでいた。ガーゼルは中に入ると、そのまま歩いていった。ガーゼルに気づいて、男が声をかける。

「ガーゼル様?」
「おや、確かグレン君でしたよね? 大きくなりましたね。だとすると、そちらの美人はエスティ……にしては随分発育がいいですね。ああ、フィンナ…さんですね。いやぁ、噂通り綺麗な女性ですね。二人して、こんなところで何をしているんです? あ、もしかしてお邪魔でしたか」

 ガーゼルはグレンに向かって一気に喋った。ガーゼルのとぼけた言葉にグレンは苦笑いをした。フィンナは突然の乱入者に、目を丸くして驚いている。

「相変わらずお元気そうで」

 グレンは懐かしそうに言った。

「いえ、それだけが取り柄ですから」
「あ、それ以上来ないでください」

 近寄って来るガーゼルにグレンが言った。ガーゼルが足を止めて、開けているのかどうか判らないほど細い目を、さらに細めた。手を頭に当てて髪を撫でている。どうやら照れ笑いをしているようだ。

「いやぁ、これは失礼しました。やはりお邪魔だったようで……」
「いや、そうじゃないんです」

 そのまま去ろうとするガーゼルをグレンが慌てて止めた。ガーゼルは振り返る。

「結界が張ってあるんで、こちらに来ると出られなくなるんです」

 ガーゼルは辺りを見回し、近くの床に結界を張る魔導具があるのを見つけた。

「なるほど。それにしても、随分古い型の魔導具を使っていますね。一年半ぐらい前に新しいのを持ってきたはずなんですが……」

 そう言いながら、ガーゼルは魔導具に近寄った。しゃがみこんで色々といじっている。

「もういいですよ」

 見た目にはなんの変化もなかった。グレンは半信半疑にガーゼルの方へ歩いていく。何の抵抗も受けない。結界はすっかりなくなっていた。
 ガーゼルとグレンが向かい合った。グレンの後ろにはフィンナがいる。フィンナは不思議そうにガーゼルを見ていた。
 ガーゼルはその視線に気づき、フィンナに視線を向ける。

「そう言えば、そちらのお嬢さんとは初対面でしたね。私はガーゼルといいます」
「精水門のフィンナです」

 自分でも間抜けだと思いながら、フィンナはガーゼルのおじぎ付きの馬鹿丁寧な自己紹介に、同じようにおじぎをして返事をした。

「フィンナは聞いたことないかい? トリフに住むガーゼルという名前」

 そう言われフィンナはしばらく考え込んでいた。が、何か思い当たるものがあったらしく、驚いた表情を浮かべた。

「トリフのガーゼルと言うと、あの魔術師ガーゼル? ……実在したのね」

 フィンナの反応を、ガーゼルは楽しそうに見ている。

「『実在したのね』は心外ですね。精水門にも知己は多いんですけどねぇ」

 ガーゼルが言った。顔に浮かべた悲しそうな表情が、結構わざとらしい。

「すみません」

 フィンナは素直に謝った。それを見て、ガーゼルは細目をさらに細くした。顔には柔らかい笑顔が浮かんでいる。

「素直で、いいお嬢さんですね」

 グレンに向かって言った。

「ありがとうございます」
「ところで、グレン君はなぜここに?」
「いえ。恥ずかしい話なのですが……」

 そう言って、グレンはこの半月にあったことを手短に話した。

「なるほど。リュード君はそこまで思い詰めてたんですか。彼も兄に負けないくらい、優秀なんですがねぇ」
「え?」

 ガーゼルの言う言葉の意味が掴めず、グレンは聞き返した。

「いえ。こちらの話です。エスティのいるところに向かいましょう。ルキフォ君が先に見つけてるかもしれませんが」
「ルキフォを知っているんですか?」

 フィンナが訊く。

「ああ。そういえば、貴女はルキフォ君と面識があったのですね。彼に頼まれてここに連れてきたんです」
「じゃあ、生きていたんですね」
「ええ。ぴんぴんしてますよ。元気過ぎて暴走しないか心配なくらいです」

 フィンナが安堵のため息をついた。

「ルキフォというと、あの少年かい?」

 フィンナにグレンが尋ねる。フィンナは頷いた。

「さっき、話してた子よ。あなたが廃虚で会った子」
「じゃあ、その子がエスティを助けに乗り込んできたのですか?」
「ええ。私はそのお手伝いです」

 どこか楽しそうに、ガーゼルは笑った。
 突然、単発の高音が部屋の中に鳴り響いた。グレンとフィンナは驚いて身構える。

「ああ。心配しないでください。これですよ」

 ガーゼルは懐から手のひら大の直方体を取り出した。

「ガーゼルです」

 紋印を押して、魔導具に向かって話しかけた。

〔ルキフォです。エステイを見つけました。侍女らしい女性と大広間の方に向かっています。今なら俺だけでも大丈夫ですから、エスティを助けに行きます〕
「ち、ちっょと、ルキフォ君。待っていなさいと言ったでしょう。ルキフォ君!」

 珍しく慌てた様子で、ガーゼルが魔導具にどなっている。グレンとフィンナは、それを呆気にとられた顔で見ていた。

「まったく。やっぱり彼を一人で行かせたのは間違いだったんでしょうか。エスティを見つけて、見境がなくなってますね」

 グレンとフィンナは今一つ事態が掴めていなかった。

「説明なら後でしてあげますから、今は私に黙ってついて来てください。ルキフォ君一人じゃ、危険過ぎます」

 ガーゼルは二人に構わず部屋から出ていった。二人は互いの顔を見た。どうするのか、選択の余地はなさそうだった。
 ガーゼルの後ろ姿を求めて、グレンとフィンナも部屋を出た。
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