彰の才能

文字数 2,114文字

役者じゃない?
そう。
……。
なんだ、それなら最初からこんなにアガることもなかったろうに……という気の抜けた表情を浮かべる。

いや、しかし――結局どうであろうと鏡花を前にすれば自分はこうなっていたに違いない。それはよくわかっている。
キミに受けてもらいたいオーディションの内容、それは――
催眠術師なんだ。
さっ、催眠術師ぃっ?
そう、催眠術師。
えーと、それって、催眠術師の役ってことですか?
いいや、舞台の上で役を演じるという意味ではなくて、そのままの意味で催眠術師だよ。
(そ……そうか。演劇は役者だけじゃないもんな。鏡花先輩は脚本家だし、舞台監督や、照明、美術、衣装……色々と裏方の仕事の人がいっぱい居るんだ。そりゃ催眠術師だって……
……居るわけがない。

そんな「解せぬ」という彰の表情がよほど可笑しかったのだろう、天才少女は顔を綻ばせると軽い笑い声を上げた。
アッハッハ……いや、失敬。説明が不足だね。わけがわからないだろう。どうして催眠術師なのか、これから話すよ。
と言って、そこでふと手首を返し、腕時計を確かめる。
むっ。次の打ち合わせまであと十分か……あまり時間はないな。かいつまんでの説明になるが、許してくれたまえ。
は、はい……。
つまりは、さっき少し話した通りでもある。
自己暗示をかけることに効果があるのなら、何も役者一人一人が個別に自分に暗示をかけなくても、それをしてくれる専門のスタッフを用意して全体をケアすればいいのじゃないかという思いつきなんだ。
つまり、それが催眠術師……と。
そう、舞台に立つのではなくて裏方のサポートスタッフだ。是非、キミにお願いしたい。
でも、僕、催眠術なんて……。
かけたことも、いや、かけようとしたことすらない。そう言いたいのであろうと察した鏡花が先回りして人差し指をピンと立てて遮った。
そうだね。催眠術なんて試したことはないだろう。
でも、私にはわかるんだ。太田垣君にはその素質――才能がある。
ええ~っ?
そんなことの才能とか素質なんてあるのだろうか? ていうか、そもそも、自分にそんな潜在的能力があるなんて、どうやって見抜いたというのだろう。

彰がそう考えているだろうと踏んで、再び鏡花が察し良く説明する。
催眠術の素質というのは誰にでもあるんだよ。
私がさっき、キミに対して行ったのも、いわば催眠の一種だ。相手に暗示を与えて心に変化を起こさせるんだね。
確かに、彰はあれでかなり落ち着くことができた。催眠暗示の効果を直に確認できた。
そして、私は創作の為に色々な人を観察している……。
キミには間違いなく人並み以上の催眠の能力が秘められているんだ……!
そ、そんなこと言っても……。
どう観察したら催眠術の才能なんて見抜けるって言うんだ?

当然思い浮かぶであろう疑問を、またしても鏡花は先読みする。
簡単なことさ。催眠術をかけるとき……催眠術師が決まってする事があるだろう?
え……? え……と、それって……。
TVや漫画なんかで見かけるアレですか? 「あなたは眠くなる……」とか言って、紐でくくったコインを目の前でブラブラさせる……。
そうだね。コインでなくても良いのだけれど、人を催眠状態に導入するための一定のリズムというものがある……それはただ一定というだけでは駄目で、ある特定の、きっちりと決まった秒数が必要なんだそうだ。
なるほど、そういうものなのか。しかし、説明されればされるほど、自分とは関係ない事の様な。

……という顔をしてみせると、鏡花がいきなり手を伸ばして彰の胸元に触れた。
わっ……! せ、先輩っ……何を……?
気を落ち着けて……。
狼狽える彰に向かって微笑んでみせる鏡花。
しかし、これが落ち着いてなどいられようか。

彼女は彼の学生服の胸のボタンを器用にスルリと外して、更にその下のカッターシャツの中にまでその五本の指を潜り込ませ、胸板にペタリと手の平を押しつける。

ドクッ……ドクッ……!

高鳴る鼓動。
これだよ……心臓の音。心拍数には個人差がある。キミの心拍のリズムはまさに催眠導入のための理想的な間隔なんだ……!
ええええ~!
催眠術を学ぶ者は、この理想的なリズムを手に入れる為に長い時間をかけてトレーニングをするのだそうだよ。しかし、キミにはそんなもの必要ない。すでにリズムは生まれた時からずっと、こうしてキミの体内にあるのだから!
ほ、本当ですかあ?
彰は信じられないというように大きな口を開けた。

百歩譲ってその理屈が正しいとしても、どうやって彼女は彰に、催眠術をかけるのにおあつらえの、そんな便利な心拍が備わっていると見抜いたというのだろうか?

その疑問についても、鏡花の答えは準備されていた。
私がそのことに気づいたのは、キミの歩幅と歩速からだよ。人間の歩く速度は心臓の鼓動を基準にしているからね。少し注意して観察していれば簡単なことだよ。
……!
簡単なことだと鏡花は言ったが、とてもそうは思えない。

ある意味、催眠術の素質があるという話以上に信じ難いことだが……しかし、彼女なら――この常人離れした天才脚本家の美少女、神楽見鏡花なら、それぐらいの見極めはやってのけてしまうのかもしれない。

だが、それにしても突拍子もない話だった。
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登場人物紹介

神楽見鏡花(かぐらみ・きょうか)

桜坂すめらぎ学園の演劇部部長。
プロの劇団の脚本をも手掛ける才色兼備の美少女。

水城亜優(みずき・あゆ)

桜坂すめらぎ学園の新入生。
鏡花に憧れ演劇部に入部する。

太田垣彰(おおたがき・あきら)

桜坂すめらぎ学園の新入生。
亜優にはいつもヘタレ扱いされているが、スケベに関しては大胆なところも。

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