第51話

文字数 1,725文字

「ここの刺身が絶品でね。さあさどうぞ」
監督行きつけの完全個室の居酒屋で3人は飲んだ。監督とみなみ。そして付き添いの詩織だ。
壁が薄いせいなのか、周囲から活気あふれた陽気で甲高い声が、喧騒となって聞こえてくる。

男は勢いよくグラスを傾け、二、三回喉仏を上下に揺らすと豪快な吐息を吐いた。
その息に日頃の疲れをねじ込めせているかのようだ。

釣られるようにみなみと詩織も料理を頬張る。

「実はスポンサーの方から御伝達があったんですよ。脚本をちょっとばかり修正してくれないかってね」
いつもはひょうひょうたした印象の男が、重々しい口調で言った。


「どういうことですか?」咀嚼をやめてみなみが尋ねる。

「なんでも出資してくれる企業さんが、どこからか台本を入手したみたいなんですよ。それで物言いが入ったんです。
この台本を映像化したものが世間に流されたら提供会社のイメージが悪くなるから修正しろと。コンプライアンスを意識してない作品ですからね。修正しなかったら出資返却するからなと、圧をかけられましてな。つい昨日のことです。だから今日はピリピリしちゃってて」
だからマリアに当たっていたのか。普段は温厚だから違和感があったが、そういうことなら合点がいった。

監督はだんだんと出てくる肋汗をおしぼりで拭った。

みなみは眉間に皺を寄せてウーロンハイを飲み干した。
「なんですかそれ。急に脚本を変えろなんて無茶よく言えますね。それに世間に媚びない尖ったところが、この作品の肝じゃないですか」
酔いもあってか語気も強くなる。だが言い分はもっともだ。

「そもそも何を撮るか分からないのに企業はお金を出してたってことですか?こういうのは事前に知って、納得した上で投資するもんでしょ。それを後からイチャモンつけるなんておかしいでしょ」
  
当然の疑問を男に投げる。激昂している女に若干引いてる監督は躊躇いがちに口を開いた。  

「実はそれには訳がありまして。この映画は宗教に対してネガティブなイメージを抱かせる作品なので、
スポンサーがつかないかもしれないという懸念は持っていました」

ここでいうスポンサーとは、この映画を作る制作委員会に出資してくれる企業のことだ。

「なので我々製作陣は打開策として融資を募る際、この作品の概要をある程度濁して説明していたんです。
幸い私はネームバリューがあったので、ゴリ押ししたら融資者は首を縦に振ってくれました。
一旦走り出してしまえば乗り切れるだろうとたかを括ってましたが、考えが甘かったようです」

「そんな卑怯な、詐欺みたいなもんじゃないですか」目を開いて駁論するみなみだが、隣から手を伸ばされ制された。

「よくある手法よ、大金が動くんだもの。綺麗事は言ってられないわ」
大人の駆け引きを熟知している詩織が助け舟を出した。責められるのを覚悟していた監督は安堵した表情を見せた。

「大人の事情ってやつね」みなみは小さくつぶやいた。腑に落ちない事象だったがなんとか飲み込んだ。
だがもう一つの疑問が胸の中に広がる。それはこの仕事をしている者なら当然持ってるプライドからくるものだった。

「監督はそれでいいんですか?この作品の世界観を崩してでも上からの命令には従うんですか?」

まるで観念したような口ぶりだったので、否定して欲しかった。だが、、

「こっちがいくら良い作品を作りたいといっても、スポンサーにとっては金儲けとイメージ戦略でしかありませんからね。
いくら意欲があっても、金がなきゃ作ることさえできない。資本主義社会においてクリエイターというのは、夢があるように見えて、がんじがらめなんですよ」

監督から放たれた言葉は現実主義者のそれだった。

「そうですか。釈然としませんが監督がそう決めたなら私たちは従うしかないですよ」
ため息混じりにみなみは言った。これで話は終わりとばかりに卓上にある料理へ箸を伸ばす。

「ご理解いただき感謝します。では早速今後の変更点をまとめましたので、ご覧ください」
そういうと監督は鞄からクリップで挟まれた用紙の束をテーブルに置いた。

電話帳と同程度の厚さだった。協力的な態度をとったみなみも、さすがに難色を示した。
今夜は長くなりそうだと、まな板の上のコイになった気分になった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み