#22:Heartwarming.

文字数 4,852文字

あの忌々しい実家に、また足を踏み入れなければならない。

そもそも、十年以上どちらかが一方的にでも連絡を入れたことすらも無い。さすがに健在だろうが、結婚…ましてや高校生の娘がいて、婿養子になろうとしている息子(ボク)に、彼らはどんな言葉をぶつけてくるのだろうか。

考えただけでも気が遠くなりそうだった。

あえて彼女と娘には同行してもらわず、一人で実家へと続く電車に揺られていた。

(憂鬱だな…)

昔から、あの場所は好きではなかった。

引越してきた当初の地元駅は、ホームへの入場はフリーパスで、電車を降りる時には、手渡しで切符を駅員に渡して通行出来るような所だった。駅を出たところには誰でも書き込める伝言板が掲示されていたし、いま考えると昭和の時代の話かと思ってしまうけれど、間違いなく平成になってからの話だ。

自動改札機が導入されると、何故だか分からないけれど()()()()()()()()()()よく弾かれていた。切符を入れると閉まるゲート。子供ながらに、自分の存在を全否定されたようなあの感覚は今でも忘れていない。

自宅の近くの関東村と呼ばれていた、在日米軍から返還された飛行場跡地の一角にスタジアムが建設されると、街全体の雰囲気も一変してしまった。

サッカーの試合や、大物アーティストのライブが開催される度に人で溢れかえり、静けさを取り戻すと彼らが残していったゴミが街中に散乱することも多く、住むことに窮屈さと嫌悪感を抱いていた。

街の発展と反比例するかのように家庭環境は衰退し、自分の居場所がどこなのか分からなくなっていた時、あの砂浜で彼女と出逢った。

何の意味も持たないと思っていたボクの中途半端な人生に、彼女と娘が意味を与えてくれた。

そんな自分を元の姿に戻したくなくて、忌々しい空気に大切な二人を触れさせたくなくて、ずっと避け続けていた。

久しぶりに訪れた『地元』は、道路も整備されていて、ボクの知っている姿を維持していなかった。

実家までの道程も、だいぶ様変わりしていて、街全体がボクのことを『知らない人』として迎えているように感じた。


「はぁ…」

インターホンを押す手を何度引っ込めたか分からなかった。意を決して押したけれど、正直なところ留守であって欲しかった。

『ピンポーン』

扉が開くと、母はボクの姿を見て、ボクであることを()()()()()()()()()こう告げた。

「どちら様ですか」

「あの…太陽です。お久しぶりです」

「ウチにそんな息子は居りませんが」

母はこういう人だ。ボクだと分かっていながら、大真面目かつ冷酷にこういうことを言ってのける。

確かに大学を卒業すると同時に、新居の住所も何も伝えずここを出た。十年以上も連絡すら寄越さない奴に、反論できるような隙は無かった。

「なんの御用でしょうか?」

「すみません…お話したいことがあります」

「…入りなさい」

もはや親と子のやり取りとは思えなかったけれど、全てを拒絶されてはいないようだった。


健さんと結子さんと久しぶりにお会いした時にも感じた、小さくなったという印象を母からも受けた。

居間に通されると、父は畳の上に置かれた低い脚付きの椅子に座っていて、テレビを見つめていた。

「お父さん」

母の呼び掛けに、ゆっくりとコチラに向けられた父の顔は、あの祖母と瓜二つの顔をしてボクに笑いかけた。

「あぁ…太陽か。いらっしゃい、久しぶりだな」

母から感じた印象よりも、さらに小さくなったように見えた父は、本当にあの時の祖母を見ているようで強烈な不快感をボクに与えてきた。

「はい…お久しぶりです」

父は何かを察したのかテレビを消し、ボクに座るよう促してきた。母も父と同様に椅子を使っていて、会っていなかった長い時間は、二人に『老い』という枷を蜷局を巻くように絡みつけていた。

「元気だったか?」

「はい」

「悪いけどね、もう生きてないんじゃないかと思ってたわよ」

父と母の放つ言葉の乱高下に、さっそく心が折れそうになってしまった。

「………」

「どうなんだ最近は?」

「今日はご報告があって来ました」

仕事、結婚、娘、婿養子、病気…正直、何からどう話していいのか分からなかった。


「もうすぐ結婚したいと思っています」

「そうか…それは良かったな」

「相手は?今日は一緒じゃないの?」

母は、父の言葉に被せるように語りかけてきた。

「まずボクだけでと思って、今日は一人で来ました」

「こういうのって二人揃って来るものなんじゃないの?」

どこまでも細かくて小煩(こうるさ)い人だなと思ってしまった。

(別に今日一緒じゃなくても良いだろ…何か問題でもあるのか…)

「今日は、結婚したいという意思をお伝えする為にボクだけで来ました」

「で?相手はどんな人なの?」

「ボクと同い年の人です…」

()()()()()()()()()の子なんでしょうね?」

「何だよそれ!?」

「何だよってなによ?!」

「っ…そんなこと聞いて何になるんですか」

「そりゃあウチのお嫁さんになる人だもの、聞いても問題ないでしょう?」

「お嫁さん?別に母さんのお嫁さんになる訳じゃないんですが」

「ウチに嫁いでくるってことは、そういうことでしょ?」

「〝面倒くさいな…〟」

「なんだって?!」

「いや、もう良いけどさ、こんな()()()()()()()()家なんかには嫁がせないし、ボクが婿に入ることにしましたから」

「婿!?あんた(たぶら)かされてるんじゃないの?」

母は小馬鹿にしたように笑いながら責めてきた。

「はぁ?!」

(いったい何なんだこの人は…)

もうこれ以上まともに会話が出来るとは思えなかった。

「誑かされてなんか無いし、あちらのご両親も尊敬できる人だよ!婿入りの話だってボクからお願いしたことだよ!」

「そんなの分からないじゃない?」

「そうだね、母さんには分からないだろうね」

「まあ、二人とも落ち着きなさい」

「落ち着け?この家庭を壊した父さんにも分からないだろうね」

「なに?」

昔ボクに向けられてきたものと変わらない、父の眼光の鋭さに怯みそうになったけれど、もう止められなかった。

「あの時、父さんがお婆ちゃんを連れて来なければ、こんな事にはならなかった!そんな人に分かる訳ないだろ!」

「お前っ…親に向かって何だその態度は!」

「親?!笑わせないでよ…ボクだってもう子供がいる親なんだよ!ボクは父さん達とは違う!」

「あんた…それ本当なの?」

「何が?」

「子供がいるって…本当に言ってるのかって聞いてるのよ」

「本当だよ!もう高校生だよ」

「高校生って…あんたね!!」

母は身を乗り出して、ボクの左頬を思い切り叩いてきた。

「っ…痛いな…」

「何で今まで黙ってたの!よその娘さんに子供まで産ませて…何年経ってるのよ!それにまだ結婚してないだなんて!」

「それは…こっちの勝手だろ」

「勝手って…私達はどんな顔して親御さんにお会いすればいいのよ!」

「…………」

「〝ただいまー〟」

玄関が開く音がして、すぐに誰が帰って来たのか分かった。

「おー!太陽じゃん、久しぶりだな」

「あぁ、うん……」

「で?なに?この状況は」

兄の大地(だいち)…ボクの二つ年上で、上場企業で研究職をしている、所謂エリートというやつだ。どうやら結婚をしていないところは、実に兄らしかった。


「話をまとめると…太陽には子供がいて?その彼女?と結婚がしたくて、婿養子になるって話ね?」

「そうだね…」

「父さんと母さんも、落ち着いたよね?話はこれで間違いないね?」

「ああ」 「そうね」

「で?どこに問題があるの?」

兄のこういう思考は苦手だったけれど、今回ばかりは助かった。

「子供のことは…まだボクも大学生だったし、皆には言えなかった…ごめん」

「過ぎたことは仕方ないけどさ、そこは一言相談があっても良かったんじゃないかな?」

「相談って…あんな状態で相談なんか出来ないでしょ」

()()()()だよ。太陽も『親』なんだったら分かるでしょ?」

「………」

「まぁ、太陽は優しいから心配かけたくなかったんだろうけどさ、さすがに十五年以上も黙ってたのは良くないよな?」

「うん…」

確かにボクも親だと言ったけれど、彼女と娘とは十年以上も離れて過ごしていた。それは胸を張って親だと言い切れるようなものなのだろうか。

「婆ちゃんのこともあったけどさ、父さんと母さんの気持ちも少しは分かってやってよ」

今こうして親になって思えば、家庭に流れていた空気はお世辞にも良いとは言えなかったけれど、高校にも大学にも通わせてもらったし、食事も当たり前のように与えられていた。これは並大抵のことではないし、病を患って仕事からも逃げ出してしまった身からすると、決して足を向けられるものでは無かった。

「自分の主張ばかりで、申し訳なかったです…」

すると父は、あの時のことを初めて語ってくれた。

「父さんもな、お婆ちゃんのことは申し訳なかったと思ってる。でも自分の母親を一人にさせたくなかったんだよ」

「はい…」

「母さんにも酷く苦労をかけたし、お前達にも辛い思いをさせたと思うけど、父さんは後悔したくなかったんだよ」

「………」

「まあ、言っても女同士だからね、私じゃなきゃ出来ない事が多かったから…」

確かに母は常に不機嫌だったけれど、弱音を吐いたり投げ出したりしなかった。

「私達も自分のことで精一杯だったのよ…」

「なあ太陽、お前も大人になったんだから分かるよな?」

「うん…」

どう考えてもボクは自己中心的な考えをしていたんだと気付いた。父と母を恨み、祖母を妬み、兄とは分かり合えないと勝手に思い込んでいた。

「あの時はさ、俺もいっぱいいっぱいでお前のこと守ってやれなかったから、悪かったと思ってるし…まあ、家族全員余裕が無かったんだよ」

「そうだね…」



「それとさ、お前まだ何か隠してるだろ?」



「えっ…?」

「なんつーか、何だろうな…久しぶりに会ったからか分からんけど…なんか大丈夫か?」

「あぁ、うん、たぶんだけど…病気したからかな」

「病気って何のよ?!」

「その…うつ病だって言われてさ…仕事も辞めたんだ」

「あぁ、どおりで…少し暗い顔をしてると思ったのよ」

「ごめん…いまは、彼女の実家で働かせてもらってるよ」

「すまないね…父さん達も言いづらい雰囲気にさせてしまっていたな」

「今は大丈夫なのか?」

「今は、もう大丈夫…通院も月一だし薬も飲んでないから」

「そっか、よく頑張ったな」

頑張った。

初めてそう言われた。

兄からのその一言は、あの思い出したくも無い日々が全て報われたように思えて、涙を堪えることが出来なかった。


「結婚の話は分かったわ。母さん達は反対なんてしないし、鈴宮も…ウチは本家でもないし、お兄ちゃんがいるから大丈夫よ」

「まあ、俺は彼女なんていないけどな?」

「だけどな太陽、ちゃんと父さん達は向こうさんに頭を下げなきゃいけないんだよ。それだけは分かっていてくれよ?」

「うん…分かってる。申し訳ないです」

「にしても知らない間に孫がいたなんて、父さんと母さんも良かったな?」

「まぁ、驚いたけれど嬉しいものね」

「あのっ、次は三人で来てもいいかな…?みんなにも早く会わせたいから…」

「楽しみだな」

父は優しく頷いてくれた。

「そういえば子供…私の孫は男の子なの?女の子なの!?」

「女の子だよ。声が大きいところは母さんに良く似てるかも」

母も自分に孫が出来ていたことを、本当に喜んでくれている様子だった。

「まぁなんだ、今日は久しぶりにメシでも食ってけよ」

兄は結局、両親とボクの間でいつも板挟みにされていて、家族の中で一番苦しかったんだろうなと思うと、本当に感謝でしかなかった。

「ありがとう…」

「じゃあ、太陽の好きなオムライスを作ろうかしら」

オムライス…そういえば、あのオムライスはボクの好きな母の手料理だった。少し濃い目に味付けされたチキンライスに、ダイスカットされたチーズを混ぜたオムライス。

「母さんのオムライス…彼女も、娘も…その、ひまわりって名前なんだけどさ、皆それが大好きなんだよ」

忌々しいと思っていたボクに流れる血は、本当は優しく温かくて、娘にもしっかりと受け継がれていると思うと、ほんの少しだけおかしかったけれど、とても嬉しかった。
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