#7:Disposal.

文字数 2,397文字

(これからどうすれば良いんだろう…)

ボクは、生きる目的を完全に失っていた。

毎週欠かさず観ていたアニメも、三分と観ることができない程に精神は疲弊していた。

一度目の休職期間中は復職に向けて前向きに、心と体が健康になっていくことを感じられていたし、正直言って楽しく過ごせていた。

こうして二度目の休職を言い渡された今のボクは、ダメ人間というレッテルを貼られた惨めな存在のように思えた。

死んでしまった方が楽かもしれない…。

何もかも全部捨ててしまいたいと、本気で思っている自分がいた。

そもそも明日生きている保証なんて誰にも分からないことで、明日になったらもう目覚めることは無いかもしれない。そう思うと、何となく身辺整理をしておきたくなって、自宅中の無駄を消し去ることを始めた。

死ぬことは(たい)して怖くはなかった。

もしそうなってしまったら、十年以上会ってもいない両親や兄に、連絡がいくのだろうか。休職しているから、会社から捜索願が出ることは無いだろうし、クリニックの先生から会社なりに連絡が行くかもしれないけれど、緊急連絡先を伝えた記憶は無かった。

そんなことを考えるのは不毛な気がして、とりあえず自宅にある『お金にならない』ような、不用品の整理から始めることにした。

買っただけで新品のままの掃除グッズ、賞味期限が切れてしまっている調味料、浴びるほど飲んでいた頃に買った中途半端に残っているリキュール、食事を作る気力が無くなってしまってから、放置し続けていたお米。充電ケーブルを挿していないと稼働しないiPod、試供品でもらったシャンプーや歯磨き粉、使わないのに取っておいたショッパー。中には何で今まで捨てずにいたのか分からない物もあって、意外と骨が折れた。

寝室のクローゼットにあった、何を入れているのか覚えていない、収納ボックスに手をつける。

すぐに『開けるべきじゃなかった』とボクは後悔した。

ここに引っ越してきてから、そのまま放置し続けて、意図的に見ないようにしていたのに、最悪のタイミングと精神状態で我を忘れていた。

ボックスを開けた一番上には、記憶の深淵に置いていた一冊の『アルバム』が鎮座していた。

これを見ても涙が出ることは無かった。

こんなにも薄情で、性格が破綻してしまっている自分は、あの忌々しい両親の血を引いていて、それを否定し続けていた自分も、両親と同じで他人の気持ちなんて尊重できない、自分勝手で腐った人間なんだと改めて思い知った。

アルバムを開くと、あの日、あの決意をした、一枚のポストカードが、贅沢に一ページ目を占領していた。

それ以降のページは、ボクには見る資格は無いと思って、開くことは出来なかった。



最後に観たい景色があった。

飛行機に乗るのは何年振りだろうか。学生は春休みの時期だったけれど、平日なので空席が目立っていた。

天気予報では晴れマークが続いていたので、傘を持たずに来れたことは運が良かった。

『気分転換に旅行をしてみよう』と思ったのは、うつ病患者だった作家さんの書いたコミックエッセイで、ベトナム旅行をしたという話を読んだ影響だった。

日常と違う環境に身を置いて、自分を見つめ直してみたかった。

東京は未だ寒さが残っていたけれど、旅先は春を感じる暖かさがあって、それだけで心が(ほぐ)れて、ほんの少しだけ幸せな気持ちになれた。

目的地には早めに着きたかったけれど、出来るだけ身軽で行動したくて、ホテルに荷物を預けることを最優先にした。

荷物があれば、とりあえず戻る場所がある、そんな心持ちだった。

街の雰囲気は、十二年前に来た時と変わっているのか、あまり良く分からなかった。当時は、気もそぞろで観光どころではなかった。ここに来る時は、いつも心ここに在らずだった気がする。

それが良かったのか悪かったのか、今回は見える景色が全て新鮮で『観光地』だけあって、旅人を大いに歓迎してくれている雰囲気が漂っていた。

(誰もボクの事を知らないし、病気のことも過去のことも何も知らないんだよな)

そんな環境に居ると、自己肯定感を高めることができた。


目的地に着いたボクが観た『その景色』は、あの時から何も変わることなく、そこに存在していた。

透き通った青い海と、どこまでも続く水平線。裸足で歩く白い砂浜の感触も、当時のままだった。

「綺麗だな…」

広がる景色の美しさと壮大さは、ちっぽけなボクを際立たせるもののように感じたけれど、抱えている悩みも、積み上げて崩してしまった仕事や環境も、小さいことのように思えた。

この海だって、いつも穏やかな顔をしているとは限らない。何もかも飲み込んで消し去ってしまう、恐ろしい一面を持っている。

何もかも全てが上手く行く訳はない、そう分かっていたけれど、自分の抱えている弱さや想いは、小さいものなんかじゃなかった。

向き合いたくないものだってあるし、見たくないものもある、逃げ出してしまっても良い。

誰かに助けを求めることも出来たはずなのに、それが出来ない人もいる。簡単に相談しなさいなんて言われても、出来ないものは出来ない。

自分の頭の中で、色んな感情が支離滅裂に交錯して、涙になって流れ出した。

嗚咽しながら見る海は、滲んでキラキラと輝いていた。

あまりにも綺麗で眩しくて、いたたまれなくなって、涙を乾かそうと仰向けに寝転んだ。気がつくとその場で眠ってしまっていた。


また、あのふたつの光の夢を見た。


目が覚めると、夕陽が水平線にかかりそうになっていて、まるで『あの日見た景色』を再放送で観ているようだった。

ふと手元を探ると、読もうと思って持ってきていた小説が開いていて、挟んでいた『あのポストカード』が無くなっていた。

砂を踏みつける音が近づいてきて、海を描いたポストカードがボクの目の前に差し出される。

その姿は、逆光でシルエットになっていて良く見えなかった。

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