第5話 妹の神秘

文字数 1,883文字

 森鷗外の短篇「山椒大夫(さんしょうだゆう)」を読んだことのある人は多いだろう。

 安寿恋しや、ほうやれほ。
 厨子王恋しや、ほうやれほ。※1

 の、あの「山椒大夫」だ。
 直接鷗外の原文を読まなくても、子供用に書き直された絵本等で、大部分の日本人はこの物語に接したことがあるのではないかと思う。
 では、鷗外の「山椒大夫」を原作とした溝口健二の映画『山椒大夫』を御覧になったことはあるだろうか。

 1954年に公開され、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した名作だが、わたしはこの映画を初めて見た時、冒頭のところからある違和感を覚えた。最初はその違和感がどこからくるのかわからなかったのだが、そのうちようやく気づいた。

 鷗外の原作では、姉弟であった安寿(あんじゅ)厨子(ずし)(おう)が、溝口映画では、なんと兄妹に変わっているのだ。映画版では厨子王が兄、安寿が妹なのである。人買いに(さら)われ、山椒大夫の奴隷になるというストーリーは同じなのだが、「きょうだい」の関係性が逆になっているのである。鷗外の原作が「姉の力」を描いているとするなら、溝口映画が描いているのは「妹の力」なのだ。
 
 溝口映画は一般に、女性を描くのに()けていると言われるが、ダメ男の描き方も冴えている。厨子王は、山椒大夫の奴隷になって以来、すっかり自暴自棄になっている。花柳喜章演じる厨子王のダメ男っぷりが印象的だ。
 そんな厨子王を支え、励まし続け、また機転を利かして逃がしてやり、最後は入水自殺して果てる妹・安寿。安寿を演じているのは、当時23歳の香川京子。この香川安寿の健気で可憐な美しさは、花柳厨子王のダメ男ぶりが堂に入っているために引き立ち、正に映画史に残るものとなっている。その「妹の力」全開の魅力は、『鬼滅の刃』の禰豆子に勝るとも劣らないとあえて言いたい。

 溝口版『山椒大夫』の安寿にしても、『鬼滅の刃』の禰豆子にしても、どうして一見弱弱しく可憐な彼女たちに、自分より年上で、体力的にも優れた兄を助ける力が秘められているのだろうか。
 柳田国男は、古代から信じられたきた女性の神秘的な力の存在を指摘する。

 遠い昔から女にはいろいろの禁忌があって、漁猟・戦争のごとき男子の専業には、干与(かんよ)しあたわざるきびしい慣習のあったのが、元の意味が不明になって、いつしかこのような形式をとるに至ったのである。(中略)汚いとか(けが)れるとかいう語で言い現していたけれども、つまりは女には目に見えぬ精霊の力があって、砥石(といし)をまたぐと砥石が割れ、釣竿(つりざお)天秤棒(てんびんぼう)をまたぐとそれが折れるというように、男子の膂力(りょりょく)と勇猛とをもってなしとげたものを、たやすく破壊しうる力あるもののごとく、かたく信じていたなごりに他ならぬ。※2 
 
 こうした神秘的な「精霊の力」が女性にあると仮定すれば、映画の安寿が知恵においても行動力においても機転においても、兄の厨子王を凌駕しているのは、ある意味当然ということになる。
 前述したように、『鬼滅の刃』第5巻の「蜘蛛の鬼」累との対決場面で、禰豆子の「妹の力」は存分に発揮される。累の糸によって、全身をボンレスハムのように雁字(がんじ)(がら)めに縛られ、逆さづりにされた禰豆子は、その状態のまま眠り込んでしまう。禰豆子は人を喰う代わりに眠ることによって、その神秘的な力を回復させるためだ。 
 強敵累の前に、炭治郎が絶対絶命のピンチに陥った時、死んだ筈の母が突然現れ、眠っている禰豆子に次のように語りかける。

 母:禰豆子 禰豆子起きて 今の

……頑張って 禰豆子…お兄ちゃんまで死んでしまうわよ……


 この瞬間、禰豆子はかっと目を見開き、一瞬で状況を理解すると、今までしゃべれなかったのが嘘のように、こう叫ぶ。

 禰豆子:血鬼(けっき)(じゅつ) 爆血(ばっけつ)!!

 すると、禰豆子の神秘の力によって累の糸が焼き切れ、炭治郎を助ける。この時、必殺の技を繰り出しながら叫ぶ炭治郎の言葉が、この作品のテーマを鮮やかに表現している。

 炭治郎:俺と禰豆子の絆は誰にも 引き裂けない!!※3

 この場面は、ufotableが制作したアニメ版では第19話として放送され、その流れるように美しく且つ迫力に満ちた映像が大きな話題を呼んだ。わたしの目にはこのシーンが、東日本大震災以後、人と人との美しいつながりを表す言葉として脚光を浴びた「絆」――そのビジュアルイメージの象徴のように映ったのである。


※1 森鷗外『山椒大夫・高瀬舟』、新潮文庫、1968年、P183。
※2 柳田国男『妹の力』、角川ソフィア文庫、1971年、P21~P22。
※3 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』5、集英社、2017年、頁数記載なし。






 
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