4-5 静かなる反撃  ……ミカエル

文字数 3,434文字

 おぼろげな冬の陽に、粉雪が揺れる。

 向かい風が冷たさを増していく。馬が小さく嘶き、体を震わす。そのたびに、腰に佩く古めかしい直剣が小さく哭く。

 ミカエルの横で、旗手を務める少年兵のヴィルヘルムが、月盾の騎士団旗を掲げる。背後には、月盾の騎士たちが続く。
 月盾の長たるミカエルを先頭に、総勢二千八百騎の月盾騎士団(ムーンシールズ)の馬蹄が、一体となり、雪原を進む。

 前方には、つい先日抜けてきた枯れた森が広がっている。それを前に、ミカエルは一度だけ背後を振り返った。
 雄々しき騎士たちの姿のさらに向こう、地平線の先に浮かぶ古城には、〈教会〉の十字架旗と、第六聖女の天使の錦旗がはためいている。

 ミカエルは再び前を向いた。
 「生きて帰還せよ」と言い残して、父は去った。これからは、長男であり後継者である自分が、ロートリンゲン家を、教会遠征軍を率いていかねばならない。
 それを思うたび、心は震えた。しかし、ミカエルは前だけを見た。守ると誓った、その決意を胸にして──。

 ボルボ平原の戦いから二週間。父ヨハンの葬儀が済んだのも束の間、いい知らせと悪い知らせが届いた。

 いい知らせは、ヴァレンシュタイン率いる教会遠征軍の第二軍との合流地点が決まったことだ。弟のアンダースが率先して動いてくれたおかげで、合流へ向けての行軍そのものは、思ったよりも順調に進んでいる。

 一方の悪い知らせは、敵の主力が接近しているとのことだった。

 悪い知らせが入った直後、ミカエルはすぐに軍議を開いた。
 ヴァレンシュタインとの連絡に出ているアンダースと、行方不明のウィッチャーズを除く月盾騎士団(ムーンシールズ)の将校、父の部下の将軍たち、そして第六聖女親衛隊のレア隊長が卓を囲む。遠征軍の総帥であるセレンも同席している。
「斥候に出ているアナスタシアディスから連絡が入りました。敵の主力が近づいています」
 ディーツが地図上を指し示し、説明を始める。冷静なその言葉が、雰囲気を重くさせる。
「兵站を整えたのか、犠牲を顧みぬ強行軍かはわかりません。とにかく、尋常ならざる速度です。このままではヴァレンシュタインとの合流前に追いつかれます」
 追いつかれるという言葉に、父の部下である将軍らが、一気に青ざめる。月盾騎士団(ムーンシールズ)以外の遠征軍本隊は、帝国軍の衝撃を直に受けただけあり、将兵らもその強さも身をもって理解しているのであろう。傍から見ても、露骨に狼狽えている。
「我々とヴァレンシュタインとの間隙に入り込まれた場合、分断され、各個撃破されるでしょう。少なくとも、我らだけでは敵主力には太刀打ちできません」
 ディーツの指先が地図を示す。ヴァレンシュタインとの合流地点付近、王の回廊上にある、ボフォースという古い廃城に、みなの視線が注がれる。
「ここで反撃します。敵の先鋒の出鼻を挫き、時間を稼ぐのです。ヴァレンシュタインとの合流まではたったの一日。この一日に、我らの全てを懸けます」
 ミカエルは頷いたが、諸将は固唾を飲むばかりで、無言だった。総帥たる第六聖女セレンも、幕舎の隅で体を小さくしていた。

 月盾騎士団(ムーンシールズ)二千八百騎、第六聖女親衛隊四千五百に、父の残存部隊一万を加えれば、まとまった規模にはなるが、しかし数は当てにできないのが実情だった。第六聖女親衛隊は実戦経験が少なく、有り体に言えば弱兵である。父の残存部隊で戦えそうなのは約半数で、残りは負傷者と落伍兵である。元帥死亡により、士気も極端に落ちている。
 負傷者はともかく、自らの武器すら投げ捨て逃げてきた落伍兵は、もはや兵ではない。戦意もなく、ただ生き延びるために蠢き続ける烏合の衆──正直に言えば、重荷でしかない。だとしても、彼らも〈教会〉の人間である。助けてやらねばならない。

 誰もが、縋りつく何かを求めていた。しかし、もう父はいない。
 序列でいえば、父の副官、もしくは上位の将軍が元帥の後任となり、総指揮権を引き継ぐところである。しかし、今は誰もが決断できないでいた。
 なし崩し的に、ロートリンゲン家の長男であるミカエルが、父の役目を引き継ぐこととなった。階級上はミカエルも将軍ではあったが、それにも増して今回は家柄が優先された。

 結果、戦える者たちだけで戦うという方針になった。その決断は、ミカエル自身が下した。

 第六聖女親衛隊と、父の残存部隊は、ボフォースという古城に立て籠もる。野戦は厳しくとも、籠城でなら耐え切れるだろう。そして、ミカエルら月盾騎士団(ムーンシールズ)は城外に討って出る。こちらが攻撃に転じるとは、敵も予想していないはずである。その虚を突ければ、勝機はある。
 合流までの一日、先んじて衝撃を与えることで敵の注意を引き、軍勢を釘づけにする。そしてその一日をしのげば、分断さえ防げれば、ヴァレンシュタインとは合流できる。

 たった一日──しかし、二週間前までは、追っていた。今は、追われている。
 全てが曖昧模糊となる雪の中、ミカエルはいつの間にか、その事実さえ忘れようとしていた。しかし、再開した父ヨハンは、その現実を突きつけた。

 弟が父を連れてきたとき、父はすでに冷たくなっていた。

 葬送の儀は簡素に済ませた。父は日頃から、「戦場で死んだときは、葬儀は簡単に済ませろ」と言っていた。息子として、その言葉に従った。
 ただし、元帥の死である。帰国すれば、国葬級の葬儀が営まれるだろう。そのときに、きちんと別れは告げるつもりである。

 弟のアンダースは、やはり任務を優先させ、葬儀には参加しなかった。それ自体は悲しいことだったが、父との不仲を考えれば、無理強いはできなかった。
 アンダースとは、口論となった日以来、任務でしか顔を合わせていない。もちろん、雑談など一切ない。ミカエルが話のきっかけを作ろうとしても、にべもなくそっぽを向いてしまう。昔から頑なに反発する点は徹底している。
 アンダースはヴァレンシュタインとの連絡に出ているため、数日前から本隊を離れている。せめてこの日の戦いの前に、もう少しだけ兄弟として話ができればと思ったが、今それを思っても仕方がなかった。

 ──降り続く雪が、視界を、行くべき道を霞ませる。
 父は道半ばで倒れた。教会遠征軍は一敗地に塗れ、もはや後退するしか道はない。それでも、敵は追ってくる。

 父が死んで、多くの将兵が意気消沈していた。当然、ミカエル自身も。しかし、アンダースだけは独り気を吐いていた。少なくとも、人前では決して弱々しい態度を見せなかった。

 その孤影は、悲しく、腹立たしく、羨ましかった。

 黒竜旗が見えた。
 騎兵の群れが、枯れた森を抜けてくる。半甲冑の槍騎兵。前衛だけでも千騎以上の縦隊。しかし、その足並みは無警戒で、バタついている。
 急いでいるのか、こちらが反撃してくるなど、考えてもいないのだろう。周囲に物見すら放っていない。考えることすら放棄した、ただの前進である。

 それでも、恐怖で心が震えた。それでも、ミカエルは剣を抜いた。

 大剣を背負った人面甲(グロテスクマスク)の巨漢が、隊列の一歩前に出る。リンドバーグの部下たちが、それに続く。
「いよいよですね。存分に剣を振るい、亡き元帥閣下の弔いとしましょう」
 月牙の紋章が雪に輝く。アンドレアス・アナスタシアディスが、そばで微笑む。『高貴なる道。高貴なる勝利者』と、ロートリンゲン家の家訓(モットー)が唱えられる。
「騎士団長。いえ、ミカエル様。月盾の長にして、ロートリンゲン家の新たなる長よ。この身命は、最期まで共にありますぞ」
 鎖帷子(くさりかたびら)とサーコートの古びた騎士が、力強く言葉を紡ぐ。騎士団長になって以来、ずっとそばで支えてくれた副官のディーツが、馬上で背筋を正す。

 仲間たちの存在が、ミカエルを勇気づける。多くの将兵が死んだ。いなくなった仲間もいる。父もすでに亡い。しかし、まだ月盾の騎士たちは残っている。弟のアンダースも、まだ生きている。

 ミカエルの横で、旗手のヴィルヘルムが、騎士団旗を高々と掲げる。
 月盾の騎士が、静かに猛る。
 戦うのだ。生きるために、守るために──ミカエルは黒竜旗に剣先を向け、馬腹を蹴った。
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登場人物紹介

・ミカエル・ロートリンゲン(二十歳)

・月盾騎士団団長 「月盾の長」

・〈教会五大家〉の筆頭であるロートリンゲン家の長男。

 ロートリンゲン家の私設騎士団である月盾騎士団を率い、〈第六聖女遠征〉に帯同する

・第六聖女セレン(十五歳)

・教会遠征軍総帥 「最も真摯なる者」

・〈教会七聖女〉の第六席、最も真摯なる者と称される少女。

 実権はないものの、〈第六聖女遠征〉の旗印として教会遠征軍を率いる

・アンダース・ロートリンゲン(十八歳)

・月盾騎士団上級将校

・ロートリンゲン家の次男で、ミカエルの弟。騎士団の中で独りだけ特注の装備で着飾っている。

 父ヨハンとの折り合いが悪く、日頃から軽薄さが目立つ

・マクシミリアン・ストロムブラード(四十歳)

・第三軍団騎兵隊長 「騎士殺しの黒騎士」

・焼かれた騎士の家紋を戴く、黒騎兵オールブラックスの隊長。第三軍団騎兵隊の友軍である極彩色の馬賊の指揮も兼任する。

 没落した下級貴族出身ながら、騎士であった実父を殺害したことで悪名を馳せる


・強き北のオッリ(三十五歳)

・極彩色の馬賊隊長 「強き北風」

・マクシミリアン・ストロムブラードの戦友。かつて〈東からの災厄〉で大陸を蹂躙した騎馬民族、〈東の王〉の末裔。

 比類なき弓馬の使い手であり、味方からさえ狂獣と恐れられる猛将


・ヤンネ(十五歳)

・極彩色の馬賊将校

・オッリの長男。

 極彩色の馬賊の部隊将校として父に従うが、父親や部族の年長者たちのことは蛮族同然に見なしており、快く思っていない

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