6◆彼女の不幸
文字数 2,203文字
それから琶右 はアリエルによって何度となくヌイグルミを摘出された。
悲鳴にも似た声があげられる度にヌイグルミの数が増えていく。
すでに体力は限界を迎え徐々に反応も鈍くなっていく。
それでも垢を削られる際には身体が激しく痙攣した。
繰り返される行為に意識は薄れ、涙と唾液がだらしなく垂れ流されている。
それはアリエルの髪と腿を汚していたが、それを当人たちは気にしてはいない。
赤い瞳で外耳道を覗き、探索を続けるアリエルが不意に話をはじめた。
「人間の耳はね、聞くものを選ぶことができないの……」
すでに琶右 に意識がないことはアリエルも承知している。
それでもひとり作業をする寂しさを紛らわすよう、彼女はしゃべり続けた。
「だから、嘘や不満、妬み、そんな汚れた言葉が入り混んでしまうと、それはドンドンと積もってしまう。
それを自分で取り除ける人もいるけど、琶右 にはそれができなかったから……。
そして真面目だから汚れた言葉にも振り回されちゃう。
だからこんな場所に着てしまった……」
最初、アリエルは琶右 のことを何も知らなかった。
だがいまはちがう。
アリエルは、垢を排除する瞬間、それがこびりついた時の映像が見えてしまうのだ。
故にアリエルは琶右 が体験した不幸を知っている。
職場で上司の誘いを断ったことに契機に始まった嫌がらせ。
若く優秀であったせいで、同僚から理不尽に妬まれる。
苦境を親兄弟に相談しても、要領の悪さをあげつらうだけで、出鱈目な救いを提示されるだけの日々。
その時、琶右 がどんな想いだったかまではわからない。
だが後に彼女が起こした行動を知れば想像は難しくない。
そもそも、アリエルの部屋にやってくる者のほとんどが、理不尽に負わされた傷に耐えきれなくなった者なのだ。
アリエルは脱力しきった琶右 の左腕を引き寄せると、その綺麗な手首に「たいへんだったね」と口づけをする。
「でも、もう大丈夫だよ。
あなたを苦しめるものは全部あたしが取り除いてあげるから。
痛みも快楽で忘れさせてあげる」
そして最後に残ったひときわ大きな垢へと耳掻きを伸ばした。
触れた瞬間、意識のないハズの琶右 の唇が動いた。
――それはダメ
音にならない言葉で願いを告げる。
それを観たアリエルは一瞬だけ表情をしかめた。
琶右 が何故そう願ったのかはわからない。
だがアリエルは訴えを黙殺し、耳掻きでそれをこすりはじめた。
静かに、ゆっくりと、万が一にも琶右 を傷つけないよう丁寧に。
琶右 はそれに抵抗してみせた。
意識は失われ、自分がなにをされているのかさえ理解できていないのに。強固な束縛にこれまで以上に抵抗してみせる。
だがこれまで多くの耳を掃除してきたアリエルの手は止まらない。
的確に琶右 を快楽へと引きずり落とし、その抵抗を和らげていく。
そしてとうとう最後の垢は白金の匙に削りとられた。
その瞬間、アリエルは琶右 に想い人がいたことを知る。
それは金のアクセサリで飾った若いホストだった。
世辞にもいい男と呼べる相手ではなかったが、それでもクラブでは琶右 に良くしてくれた。
やがて琶右 から望み、身体の関係ももたれるようになった。恋人ではなかったが、職場での辛い出来事もその男といるだけで癒えた気になれた。
だがそれも長続きはしない。
慣れないクラブ通いと、強引な男の誘いは、琶右 の仕事に悪い影響を与えたのだ。
それを理由に職場を追われると、すぐに貯金も尽きることとなる。
クラブに通えなくなったことを知ると男の態度は変貌した。
琶右 見ると露骨に面倒な顔になり、店以外での交遊を拒むようになった。
それでも彼女は彼を追いかけたが、携帯の番号を変えられ、店の出入りを禁止されるとそれっきり会うことすらできなくなったのだ。
そこでようやく気づいた。
相手の住居すら知らされていない、単なる客でしかない自分の立場を。
そして琶右 は己の手首に包丁を突き立てた。
「愚かな子ね……」
自分が搾取されていただけの存在と気づきながらも、それでもその苦しい記憶にすがっていたのだ。
だがアリエルの表情に侮蔑の色はない。
これまでと同じように、取り除いた垢を吹き飛ばす。
それは凶暴そうなシャチとなって床に転がった。
それっきり琶右 の身体は動かなくなった。
風船のように宙に浮かび、その姿は薄らいでいった。
「そろそろ目覚めの時間よ」
アリエルは空に溶けるように消えていく琶右 にそう声をかけた。
自らの髪を一房抜くと彼女の手首へと巻く。
それはすぐにそれは可愛らしいリボンへと姿を変えた。
「身体の方は人間のお医者さんが直してくれたから、あとはあなたが帰るだけ。
精神 ももう大丈夫だよね?
嫌な記憶は全部なくなったのだから……。
もうこんなところに来てはダメよ」
天井へと浮かび、溶けて消えた少女にアリエルは別れを告げた。
悲鳴にも似た声があげられる度にヌイグルミの数が増えていく。
すでに体力は限界を迎え徐々に反応も鈍くなっていく。
それでも垢を削られる際には身体が激しく痙攣した。
繰り返される行為に意識は薄れ、涙と唾液がだらしなく垂れ流されている。
それはアリエルの髪と腿を汚していたが、それを当人たちは気にしてはいない。
赤い瞳で外耳道を覗き、探索を続けるアリエルが不意に話をはじめた。
「人間の耳はね、聞くものを選ぶことができないの……」
すでに
それでもひとり作業をする寂しさを紛らわすよう、彼女はしゃべり続けた。
「だから、嘘や不満、妬み、そんな汚れた言葉が入り混んでしまうと、それはドンドンと積もってしまう。
それを自分で取り除ける人もいるけど、
そして真面目だから汚れた言葉にも振り回されちゃう。
だからこんな場所に着てしまった……」
最初、アリエルは
だがいまはちがう。
アリエルは、垢を排除する瞬間、それがこびりついた時の映像が見えてしまうのだ。
故にアリエルは
職場で上司の誘いを断ったことに契機に始まった嫌がらせ。
若く優秀であったせいで、同僚から理不尽に妬まれる。
苦境を親兄弟に相談しても、要領の悪さをあげつらうだけで、出鱈目な救いを提示されるだけの日々。
その時、
だが後に彼女が起こした行動を知れば想像は難しくない。
そもそも、アリエルの部屋にやってくる者のほとんどが、理不尽に負わされた傷に耐えきれなくなった者なのだ。
アリエルは脱力しきった
「でも、もう大丈夫だよ。
あなたを苦しめるものは全部あたしが取り除いてあげるから。
痛みも快楽で忘れさせてあげる」
そして最後に残ったひときわ大きな垢へと耳掻きを伸ばした。
触れた瞬間、意識のないハズの
――それはダメ
音にならない言葉で願いを告げる。
それを観たアリエルは一瞬だけ表情をしかめた。
だがアリエルは訴えを黙殺し、耳掻きでそれをこすりはじめた。
静かに、ゆっくりと、万が一にも
意識は失われ、自分がなにをされているのかさえ理解できていないのに。強固な束縛にこれまで以上に抵抗してみせる。
だがこれまで多くの耳を掃除してきたアリエルの手は止まらない。
的確に
そしてとうとう最後の垢は白金の匙に削りとられた。
その瞬間、アリエルは
それは金のアクセサリで飾った若いホストだった。
世辞にもいい男と呼べる相手ではなかったが、それでもクラブでは
やがて
だがそれも長続きはしない。
慣れないクラブ通いと、強引な男の誘いは、
それを理由に職場を追われると、すぐに貯金も尽きることとなる。
クラブに通えなくなったことを知ると男の態度は変貌した。
それでも彼女は彼を追いかけたが、携帯の番号を変えられ、店の出入りを禁止されるとそれっきり会うことすらできなくなったのだ。
そこでようやく気づいた。
相手の住居すら知らされていない、単なる客でしかない自分の立場を。
そして
「愚かな子ね……」
自分が搾取されていただけの存在と気づきながらも、それでもその苦しい記憶にすがっていたのだ。
だがアリエルの表情に侮蔑の色はない。
これまでと同じように、取り除いた垢を吹き飛ばす。
それは凶暴そうなシャチとなって床に転がった。
それっきり
風船のように宙に浮かび、その姿は薄らいでいった。
「そろそろ目覚めの時間よ」
アリエルは空に溶けるように消えていく
自らの髪を一房抜くと彼女の手首へと巻く。
それはすぐにそれは可愛らしいリボンへと姿を変えた。
「身体の方は人間のお医者さんが直してくれたから、あとはあなたが帰るだけ。
嫌な記憶は全部なくなったのだから……。
もうこんなところに来てはダメよ」
天井へと浮かび、溶けて消えた少女にアリエルは別れを告げた。