幽霊タクシー

文字数 10,109文字

サトウは、欠伸をした。

時刻は、午後十一時を過ぎていた。

もうひと稼ぎしたいところだったが、前の客が辺鄙なところで降車したおかげで、これ以上の客は望めそうにない。
無線で入ってくる情報も、深夜の盛り場付近のものばかりだ。

サトウは、タクシーの運転手だ。
辺境のオアシスのようなコンビニの駐車場で、缶コーヒーを飲んでいた。
静かだ。
静かすぎる。
付近の道路にも車一台通らない為に、静まり返っている。

ここは、市街地から遠く離れた山中。

この山には、景色の良い展望台と、悪趣味な大人のホテルがあるくらいで、他に目立ったものはない。
運輸用の大型トラックの通り道となっている為、かろうじてコンビニがあるのだ。

車の中では、コーヒーの匂いが染みつく。
コンビニの脇の、ほんのり店内の明かりが届くスペースで一服していたのだ。
焦っても仕方がない。後は、のんびりと過ごすつもりだった。

背後の漆黒の闇からケー、ケー、と鳥の声が響く。
寒くはない時期なのだが、サトウは身震いをした。

自殺の名所との噂もある。
山の斜面が急で、切り立った崖になっている場所があるのだ。
夜走るにしては、薄気味悪い場所だ。
事業所のある市街地の方へ下っていくしかなかったが、着くころには勤務時間を過ぎるだろう。

飲み終えたコーヒーの缶を、捨てようとゴミ箱へ向かった時だった。

ふいに、背後から声がかかる。

「すみません。タクシーの運転手さんですよね」

小柄で、帽子を目深く被っている男性だった。
くたびれたスーツを身に着け、覇気のない顔をしている。
この時間では、仕方がないのかもしれない。

しかし……今、どの方向から来た?
コンビニの裏は、木々が乱立した斜面だ。
道など整備されていない。
人が分け入るには、苦労するだろう。
コンビニにいた客なら、普通、正面から来るはずだ。

「そうですが、どうしました」
サトウは答えた。

「乗せていってもらいたいところがあるんです」
男は、申し訳なさそうに言った。

こんな時間に?こんな場所で?

辺鄙な場所に来る人は、帰りの足も調達していることが多い。
それに、ここのコンビニは展望台からも、いかがわしいホテルからも離れた場所にある。

このコンビニは、トラック運転手向けの造りになっているので、駐車場がとても広い。
しかし、今現在、この駐車場にある車は、サトウのタクシーと、原付自動車が二台である。

原付自動車がコンビニ店員のものだと仮定すると、この男は徒歩で、ここまで歩いてきたことになる。
山歩きをしてきたという格好ではないし、道路をひたすら歩いてきたのだろうか。

不審な目を向けているのを察したのか、男が「こんな時間にとお思いでしょう?実は展望台までは車で行ったんですよ。連れと二人でね。そうしたら、連れだけ先に帰ってしまったのです。あいにく私は携帯電話をもっておりませんでしたので、長い時間をかけてコンビニまで歩いてきました。そして電話を借りたのです」と説明した。

「電話を?」

「ええ、連れに戻ってきてもらおうと思ったんです。そうしたら着信拒否をされていましてね……いやはや、お恥ずかしい。実は喧嘩をしてしまったのです」

「それは災難ですね」

「そうなんです。一応、タクシーも電話で呼んでみたんですよ。そうしたら、場所が遠いので断られてしまいました」
男は、情けない顔でそう言った。

「タクシー会社によりますけどね、そのあたりの事情は」

実際、遠すぎると断ることはある。
採算が取れないからだ。
しかし、この距離ならば、自らの事業所であれば配車しているな、とサトウは思う。

「そうしたら!あなたのタクシーが見えたんです。渡りに船とは、まさにこのことですね」
話す口調に勢いがあるのに反して、男の顔は陰気であった。

生気のない顔。
先ほどは気が付かなかったが、唇の色も凍えているかのように真っ青だ。

まあ、いい。
どの道、市街地へ戻るところだ。
男が、帰り道を指定してくれたら、料金が頂けるだけ得である。

「乗ってください」
サトウは、車のドアを開けた。


サトウは後悔した。

指定された行き先が、ここから市街地へ降り、そこからさらに、向かいの山に登った先だったからだ。

山道の奥まったところに、こじんまりした住宅街があったな、と思い出す。
めったに行かない地域だ。
そして……他にあるものと言えば……広大な霊園だ。
元々、墓地を管理していた集落と聞いたことがある。
小さいが、寺もあったはずだ。
しかし、遠い。

そこまで男を届けて、事務所に戻る事には、空は明るんでいることだろう。
請け負ったからには仕方がない。
それに、かなりの距離だ。
それは、それは、大きな対価が頂けることだろう。

バックミラー越しに男を見る。
走行しているとはいえ、狭い空間に二人きりなのだ。
それなりに気を使う。
携帯電話でも見ていてくれれば気が楽なのだが、男はじっと進行方向を見ているようだ。

何か話題を振った方がよいだろうか……。
そんなことを考えていると、男の方から話しかけてきた。

「運転手さん。この仕事、長いんですか」

当たり障りのない質問だ。

「そうですね、十五年ぐらいでしょうか」
サトウは、感情をこめずに答えた。

疲れ切っているので、黙って運転させてほしいというのが本音だ。
察して、会話を切り上げてくれるといいのだが。

「へぇ……長いですね。なら、やっぱり怖い目にあったこともあるんでしょう。特に、こんな人気のない場所を、夜走っていたら、見えてはいけないものが見えたりするんじゃないですか」

ほらきた。
深夜の客が、振ってくる話題のド定番だ。

「怖い目ですか……つい先日、酔っぱらったお客さんに羽交い絞めにされたときは怖かったですね」

「はぁ……そうですか。ああ……そう」
目当ての答えでは、なかったのだろう。
歯切れの悪い答えが返ってきた。

こちらとしては、幽霊なぞ、どうでもいいのだ。
幽霊であっても、金を払ってくれるなら万々歳だ。

「いや、私ね。怖い話や不思議な話が、めっぽう好きなもので、タクシーに乗ったときはつい聞いてしまうんですよ」
そう、男は言った。

相変わらず、口調には感情がこもっているのに、顔は生気がなく無表情だ。
そのアンバランスさが、歪で気持ちが悪い。

「へえ、面白い話でもありましたか」

サトウは、少々眠気に襲われていた。
いっそ男が、しゃべり続けてくれたら、この眠気も紛れようというものだ。

そんな折、フロントガラスに、水の飛沫が広がりだした。
雨が降ってきたのだろう。
ワイパーで水を払うと、男を見た。

なにやら、ぶつぶつと呟いているようだ。

「いえね。この前、聞いた話が、それはもう印象深かったのですが、長かったもので、うまくお伝えできるかどうか」

注視しなければ、聞こえないぐらいの声量だ。

「いえいえ、お気になさらずに。そうだ、眠ったらいかがです。到着したら起こしますよ」

「そんな。運転手さんが頑張ってくださっているのに。私だけ眠れませんよ」

変なところで、健気だ。
こちらとしては、ひとタスク減るので眠ってくれても、かまわないのだが。
自らの眠気など、どうとでもなる。

「纏まってきましたよ、運転手さん。これならうまくお伝えすることができそうです」
男は、嬉しそうな口調でそう言った。
しかし表情は、微塵も喜びを感じさせない。

この男は……不愛想だが、きっといい人なのだろう。
長い路程になることを見込んで、こちらの気を紛らわせるつもりなのだ。


男は語りだした。
「こんな雨の日です。そして、そうだ、この場所のように寂しい山中に、女が一人、傘を差し、立っていたんだそうです。その運転手は、車を止めました。何もない場所に、たたずんでいたので、多少の薄気味悪さを感じたものの、犯罪に巻き込まれている可能性を考えたんだそうです」

何とも、べたな始まりだ。
女が一人、雨の中、人気のない山中。
ド定番中のド定番だ。

「話を聞くと、やはり男性に酷い目に合わされたそうで、犯人の右手に手術痕があったことを、運転手に訴えていたそうです。長い間雨に打たれたのか、血の気がなく顔色も悪かったので、行先は病院か?警察か?と聞くと、違うと答え、人気のない海岸沿いを指定しました」

「あれ、意思疎通できたんですね。てっきり、後部座席で、ひっそり消える話かと思っていましたよ」

「いえいえ、それでは、あまりにも普通すぎますよ。女性が指定した場所に着くと、また別の女性がいたそうです。青い服の女性です。乗車していた女性は、その青い服の女性が自分の分の料金も支払うので、引き続き乗せてあげて欲しいと頼みました」

「何とも、きな臭い話になってきましたね」

「そうでしょうとも。しかし、その運転手さんは気のいい方でした。引き続き乗せてあげることにしたそうです。そうすると、その青い服の女性も、男に酷い目に合わされたと言うのです。犯人は、浅黒い肌で短髪だと必死に訴えていたそうです」

「私なら、その時点で警察に連れていきますね」
サトウは言った。

「普通なら、そうすると思います。しかし、その青い服の女性も警察に行くのを拒みました。そして指定したのは、深い森の中。既に相当な走行距離になっていました。運転手さんは、流石に悩んだそうですが、少し好奇心が湧いてきたんでしょうね。乗せてあげることにしたんだそうです」

外は土砂降りになっていた。
今朝の天気予報では、雨の情報など何も言っていなかった。
ワイパーで、払っても、払っても、水滴が付着する。
赤いネオンが滲んで見えて、一層不気味だった。

今、市街地だ。
ここから、さらに山道に入ることになる。
こうも雨がひどいと、災害に巻き込まれないか不安になってくる。

サトウは男に聞いた。
「雨が酷くなってきました。災害になる恐れがあります。それに夜も更けています。今日は近くのホテルにお泊りになって、落ち着いてから帰られたらどうです」

「大丈夫ですよ。人の手が入った山道です。道路はおろか、壁面も塗り固められています。土砂崩れの恐れはないですよ。それに……今夜中に帰りたいのです」
男は、軽く笑いながらそう言ったが、相変わらず無表情だった。

「そうですか、それではこのまま進みますね」


車は、山道に入った。

「そうそう、先ほどの話の続きです。指定した森の中に到着すると、今度は、紫の服を来た女性が、立っていたそうです。青い服の女性を降ろすと、こう言いました。料金は、紫の服の女性が払うので、引き続き乗せてあげて欲しいと。ここまで来ると、運転手さんも結末が気になったのでしょう。快諾しました」

男は変わらず、進行方向をじっと見ている。
顔色が、一層悪くなったように感じた。

「私なら、乗せませんね。今までの話を聞く限り、料金を払ってくれそうにないです。それより大丈夫ですか?顔色が優れませんが」

「ああ、ええ、大丈夫ですよ。低血圧なんです。そして夕飯も食べていませんのでね。正直……お腹は空いています」
ハハハッと豪快に笑うのだが、それでも尚、無表情だった。

まるで、お面のようだ。
言葉の上では感情が上下しているのに、それが一切反映されない、お面。

「先ほどの続きです。紫の服の女性も案の定、男性に酷い目に合わされたと言いました。耳に十円玉ほどの大きいピアスを付けていたと、必死に訴えたそうです。しかも今度は、その女性の子供までも、その男性の暴力の被害に合ったというのです。それは流石に警察に行きましょうよ、と紫の服の女性に提案したのだそうですが、意味がないから不要だと拒みました」

「意味がない?何故です。実害があるなら、警察が動いてくれるはずですよ」

「なぜでしょうね。警察に行きたくない理由でも、あったのでしょうか。紫の服の女性は、山深い場所を指定しました。ナビでもエラーが出る場所だったそうです。でも、後に引けない。戻るにしても相当な距離です。運転手さんは、最後まで付き合うことにしました」

「それは可哀そうに」
サトウは、愉快そうに言った。

「指定の場所に着くと、今度は白い服の女性がいました。あとは同じです。白い服の女性が料金を払うから、引き続き乗せてあげて欲しいと言ったそうです」

「この話。終わりはあるんです?」
不安になった。
ずっと、同じ展開を繰り返している。

このまま服の色を変えて、女が乗り継いでいくのではないか。

「大丈夫です。もうすぐ終わります。白い服の女性は、今までの女性たちとは違い、何も言いませんでした。指定した場所も、乗せた場所から八百メートルほどの所です。程なくして到着したのですが、そこは行き止まりでした。その先は獣道すら見当たらない、深い雑木林だったそうです」

「そろそろ、オチが付きそうですね」

きっと金を払わず消えるのだ、そうに違いない。

「白い服の女性は、封筒を渡すと無言のまま降りていきました。運転手さんが封筒の中身を確認すると、十数枚のお札が入っていました。五万円ほど、多く包まれていたそうです」

「えっ、払ってくれたんですか。しかも多めに?」

「不思議ですよね。私もそのまま消えるものだと思っていました。流石に余剰分が多すぎたので、運転手さんは、白い服の女性を追いかけました」

サトウは、続きが気になっていた。
予想していたより、話の展開が突飛だからだ。
一体、結末はどうなるのだろう。

「追っても、追っても、白い服の女性は見つかりませんでした。あきらめかけた時に、頭上で、何かが揺れているのに気が付いたそうです。それは、……ご遺体でした。首を吊っていたそうです」

「ああ……白い服の女性が、自分の亡骸を探してほしくて……という定番の話ですか」

「いえ、いえ、違いますよ。ご遺体は男性だったそうです」

「はい?男性だったのですか?」
サトウは、驚いた。

そんなサトウの様子を見て、男がくくく、と笑っているが、相変わらず表情はない。

「そうです。男性でした。暑い季節だったので、相当に腐敗されていたそうです。ですが、運転手さんは気が付きました。この男性が、今まで乗せてきた女性たちに告発されていた男性だと。腐敗していたものの、右手の手術痕と、大きい耳のピアスという特徴が一致していたんですよ」

「それは、意外な展開ですね。年甲斐もなく、ワクワクしてきました」

「そうでしょうとも、そうでしょうとも。私も聞いた時には驚いたものです」

「それで、白い女性は見つかったのですが」

「いいえ、どこにもいませんでした」

ふむ。
サトウは考え込んだ。
女性たちは、生きていたのだろうか、それとも死んでいたのだろうか。
それに、リレー方式で男の遺体を見つけさせたのは、どんな意図があったのか。

「悩んでいるみたいですね」
男が言った。

「女性たちの行動が謎すぎるのですよ。生きていたとしても……死んでいたのだとしてもね」
サトウは答えた。

「女性たちは、男性を告発しようとしていたのではありませんか?」

「ですが、着いた先に待っていたのは、遺体の男性ですよ?どうやって告発するのです。女性たちが生きていたと仮定するなら、さっさと警察に行った方が、いいではないですか」

「そう言われると、そうですね。女性たちが、何をしたかったのか全く分かりません。それでは、こう考えるのはどうでしょう、男性は、女性たちに報復を受け、殺されていたのです」

「そうであったとしても、遺体を見つけさせたのは、どういった意図があっての事なのでしょう。もし女性たちが生きているのなら、遺体は見つからない方がいいはずです」

いつの間にか、推理合戦になっていた。この話が本当であれ、嘘であれ、いい余興になっている。
眠気も、いつの間にか飛んでいた。

「罪の重さに耐えかねて……とか」
男は、自信なさげに言った。

「それなら、さっさと出頭した方がいいですよね。それに、他にも気になっている点があるのです。何故、女性たちは人を入れ替えながら、目的地までタクシーを走らせたのでしょう?誰か一人でよくないですか」

サトウが、一番気になっている点はそこだった。
手間がかかりすぎている。
各地点で降りて行った女性たちは、その後、どこに向かったというのか。

「うーん。考えれば、考えるほど、おかしな話ですね」
男は首をひねっている。

「ですが、楽しいお話でしたよ。気を使っていただいたのでしょう。ありがとうございます」
サトウは礼を言った。

「いえ、いえ、私が話したかっただけですので」


いつの間にか、男が目的地として指定していた、場所付近まで来ていた。

住宅が疎らにあるだけで、商店などは見当たらない。
何とも住みにくそうな集落だ。

「どこに止めましょう?このあたりの土地勘がないもので、できれば細かい指示をしてもらいたいのですが」

「ああ……そうですね。辺鄙な場所に住んでいるもので、すいません。このまま、まっすぐでお願いします」

サトウは、男の指示通りに車を走らせる。
小さな商店はあるものの、それ以外の施設が見当たらない。
住宅が、まばらになってきた。
街灯の数も減っている。

「あの、お客さん。この先、家がないですよ。霊園しかないです。その奥はお寺です」

「それで、いいんです。そのまま、進んでください」
声色が暗くなった。男は顔を伏せていて、表情が見えない。

「はあ……」
サトウは仕方なく、そのまま車で走った。

「ねえ、運転手さん」
男が呼ぶ。

「どうしたんです」

「実はね……さっきの女性たちと男の話、真実を知っているのですよ」
そう語りだしたと同時に、霊園に着いた。

「お客さん。話は気になりますけど、着きましたよ」

「まあ、まあ、待機料金も払いますので、聞いていってもらえませんか」

「ええ、まあ……かまいませんけど」
疲れていて早く帰りたかったのだが、話が気になっていたのも事実だ。
サトウは、おとなしく耳を傾けることにした。

「実はね、さっきの話。ピアスの男は自殺だったんですよ」

「へえ、何故そんなことに」

「始まりは……そう、ピアスの男です。ピアスの男は大層な浮気性だったのです。登場した女性たちと、関係を持っていました。でも、勘違いはしないでいただきたい。ピアスの男は、暴力を振るうなんてことしていません。暴力を振るわれた、と言った女性の言葉は、すべて偽りでした」

「なんだか、よくわからなくなってきましたね」
サトウは、気怠そうに答えた。

「紫の服の女性は、男に最も愛されているのは、白い服の女性だと思っていたのです。そして、嫉妬のあまり白い服の女性を撲殺してしまいます。そして、最後に降車した山中に埋めました」

「ありゃ、死んでいたんですか」
サトウは、軽薄そうな口調でそう言った。

「そして、青い服の女性は、紫の服の女性が一番愛されていると感じていた」

「青い服の女性が、紫の服の女性を殺害したんですね?」

「そうです。察しがいいですね。紫の服の女性が降車したあたりに、遺体を埋めたはずです」

「その流れだと、もうわかります。最初に乗せた女が青い服の女性を殺害して、降車した地点に埋めた、と」

「ええ、悲しいお話ですね」
男は悲しそうな声色で、そう言ったが、顔は笑っていた。

「ふむ、一点わからないのが、男の自殺理由です。女性たちが殺しあったので、責任を感じ自殺したのですか?」
サトウは、質問をした。

「男が自殺した理由は、一番愛していた赤い服の女性が死んだからですよ」

「ちょっと待ってください。赤い服の女性なんて登場していませんよ」
サトウは、思わず振り向いた。

男は、笑いをこらえるように口元を押さえている。
可笑しくて仕方がないといった様子だ。

「いい、反応ですね。いたんですよ……赤い服の女性はね。赤い服の女性は、白い服の女性の姉でした。白い服の女性が殺害されたと知り、赤い服の女性は嘆き悲しみ、後を追いました……そう、最初に乗せた傘を持った女性ですよ」

「へぇ……、そいつはいい。因果応報だ。よくできた話ですね」
サトウは、拍手してみせた。

「白い服の女性は、完全な被害者ですけどね。気の弱い女性だったのでしょう。もしかしたら、本当に巻き込まれただけなのかもしれません。姉である赤い服の女性と、ピアスの男が恋仲だったのを知っていたはずですから」

「一番割を食ったのに、お金を払ってくれたんですか」

「もしかしたら、女性たちは連鎖した罪を、清算したかったんじゃないんでしょうか。運転手さんが通報したおかげで、各所の女性たちの遺体も見つかったそうですし」

「封筒のお金は、そのお礼もかねて……という事でしょうか」

「オチもついた、いいお話でした。ですがあなたは、その真相をどこで知ったのですか」

男は、体を曲げ、声を殺して笑っている。

「だって……運転手さん。車の外を見てください。赤い服の女性、青い服の女性、紫の服の女性、白い服の女性、ピアスの男。全員、この車をのぞき込んでいます」
はははーっ、と、男は手を叩き、声高らかに笑いだした。

サトウは外を見た。
よたよた、と、よろめきながら苦悶の顔を浮かべ、タクシーを外から、どんどん、と叩いている集団がいた。

一目でわかる、生きちゃいない。

何故なら、各々、死んだときの状態で、そこにいるからだ。

赤い服の女性の手首は血に染まり、顔が真っ青だ。

青い服の女性の首周りには、ロープのような跡がつき、顔が紫に鬱血している。

紫の服の女性と、白い服の女性は頭部が割れ、中身が見えている。

ピアスの男が一番ひどい、腐敗してドロドロだ。

サトウは、その様子を冷めた眼差しで見つめていた。
そして男に、こう告げる。
「ねえ、お客さん。出来るのなら、タクシーを叩くのをやめさせてもらえませんかね。傷が入ると僕の責任になるので」

男の笑い声が、ピタリとやんだ。
「何故だ。何故、そんなに平然としていられるのです。恐ろしいでしょう。みんな血みどろだ。いるはずのない死者がそこにいるのですよ?そうだ……もう一つ種明かしをしてあげましょう」

「なんです」
サトウは、冷めた口調で返した。

「私も実は死んでいるのです。この世のモノではないのですよ。あなたは死者を乗せてここまで運んだのです。この薄気味悪い霊園にね!」
男は大仰に手を広げ、そう叫んだ。

それを聞いたサトウは、くすくす、と可笑しそうに笑った。

「ええ、だから知っているんですよ。あなたをここまで連れてきたのは、僕なんですから。それにこの霊園は、薄気味悪くなんてないですよ。きちんと清められている、良い霊園です。ほらほら、見てください。先ほどの、お騒がせな殺人リレーをしていた集団が、霊園に惹かれていっています」

先ほどまで恨めし気に、タクシーを叩いていた五人が、よたよた、と霊園の方に向かっている。
そろそろ、夜明けが来るのであろう。
霊園の奥が、白み始めている。

「ですから、あなたも行ってください。自ら命を絶ったが故に、行く場所を見失ったのでしょう。あの五人について行けば、まぁ……それなりの場所に行けるでしょう。たぶん。」

「私が、自死したことを知っていたとでも」
男が驚愕している。

「ええ、知っていましたよ。あなたが来る前に一人、客を乗せたんです。おそらくあなたのお連れさんです。苦しまないよう、あなたが殺した、そう……奥さんでしょうか。心中するつもりだったのですよね。その奥さんがね、僕のことを呼びに来たのです。奥さんは、死後に行く道順を知っていました。でも自殺した、あなたが彷徨ってしまうからと、あの山中まで導いてくれたのですよ。最初は、因果がわかりませんでしたが。あなたの話の様子を見て、察しました」

「なんてこと……」
男は、膝から崩れ落ちた。

「きっと、お二人の遺体は山頂の車の中にあるんですよね。そちらの方も通報しておきますんで、悔いなくあの世に行ってください」
サトウの口調は軽い。

「あなたは一体何なんです」

男が聞く。

「僕ですか?僕はあなた達のような、彷徨える魂専用のタクシーですよ。幽霊タクシーとでも言っておきましょうか」
遠くを見つめ、そう告げる。

「そんな……そうだったんですね。どおりであなたは、全然怖がらないはずだ」
男は、落胆したように言った。

「そう言えば、お客さん。何故、あの五人の話をしたんです」

「そりゃ……、せっかく死んで幽霊になったんです……。人を怖がらせたいじゃありませんか。よく話で聞く、幽霊の客をやってみたかったんですよ」
ぼそぼそ、と、消え入る様に呟いた。

「それは、それは、災難でしたね。よりによって、怖がらせようとしたのが僕だなんて」
サトウは、屈託なく笑った。

「さあ、そろそろ降りてください。夜明けが来ます。霊園に向かうのです。あそこには、あなたの先祖の墓もあるのでしょう。あなたは結果的に、ご自身でここを選ばれた。まだ救いはあるのかもしれません」

雨はすっかり止んでいた。
男は、躊躇いながらも降車した。

「お世話になりました……」

「いえいえ、お客様を目的地にお運びするのが、我々の役目です。それでは、良い旅路を」
サトウはそう言うと、帽子を取り、恭しくお辞儀をした。


男は、夜明けの光の方へ、一歩、また一歩と歩を進める。

その先に、救いがあるかのような光だ……。

しかし、サトウは知っている。

自殺や殺人を犯した魂に、救済などないことを。

光の先は闇、そのまた先は、より深い闇なのだ。
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