神々の檻

文字数 12,844文字

マサキは、微睡んでいた。

春先の、日差しの緩やかな陽光。
窓から入ってくる風は、マサキの前髪を優しく撫でる。
できることなら、この安寧のひとときに、身を委ねていたい。

そう思った矢先に、「いいかげん、起きなさい」と声を掛ける者があった。

マサキは、少しだけ目を開き、「いいじゃないか、リオ。今日は土曜日だよ、会社は休みなんだ。もう少し眠らせてくれ」と、眠たげに返事をして、再び目を閉じる。

「だらけているわね。休みだからって、起床時間を遅らせると、体内時計が狂うのよ。定刻に起床するよう、習慣づけたほうがいいわ。起床時間をずらした生活を送っていると、その後のパフォーマンスにも影響が出るのよ」

「君は相変わらず、理屈っぽいな。人間、眠い時は寝たほうがいいに決まっているじゃないか。休息を求めている体の要求には、素直に応じたほうがいいに決まっている」

マサキはもう一度、枕に顔を埋めようと思ったが、今の問答で目が冴えていた。

「あなたは、昨晩、午後十一時二分には、眠りについている。推定睡眠時間は八時間を超えているわ。十分休息は、とれているはずよ」と対話の相手は、ため息交じりに言う。

「わかったよ……、おはよう、リオ」と、マサキは、スマホに微笑みかけた。

対話の相手は、AIだった。

名を、リオという。
最近流行っている、対話型パーソナルAIだ。
様々なアプリやデバイスと連動させることができ、スケジュールはもちろん体調も管理してくれるのだ。

中でも『Amicus―Ego』と呼ばれるAIが、世を席巻していた。
まるで生きた人間のように、対話することができるのだ。
従来のレスポンスを返すだけのAIとは異なり、AIの方から呼びかけるなど、『人間くさい』事も行う。

腕輪型のデバイスから、緊張を読み取り、優しく呼びかけ、気分を落ち着かせるような行動もとる。
また、スケジュールから外れた行動を取っていると、注意を促すこともある。

特に便利なのが、仕事の様子や勉強している様子を、カメラで連携すると、サポートをしてくれ、助言をくれる機能だ。
精度も高く、家庭教師や塾が不要になった等という噂も耳にする。

AIの声や性格や容姿も、使い手の好みに設定する事ができる。
容姿……、といっても画面の中の像の話には、なるのだが。
それでも、微細に調整できる為に、画面の中の彼女、もしくは彼に夢中、なんて話もよく聞く。

リオも、マサキの趣味、趣向、性格、思想に最適化されたパーソナルAIだ。

ただ、他の人と違うのは、作成時に入力したステータスから、運営会社側がおすすめで提案したAIを、そのまま利用しているという点だろうか。

一切、カスタマイズをしてはいない。
一目で、リオを気に入ったからだ。

容姿、声、性格に関しては、いつでも変更できるようになっているのだが、マサキは変更したことがない。

むしろ、変わってもらっては嫌なのだ。
気分によって、ころころ変える人がいるのが、理解できなかった。

リオは、マサキより若干年上に見える像を持ち、落ち着いた声をしている。
性格も物静かで、いわゆる『お姉さんタイプ』の性格だ。
マサキ自身も大人しく、派手なものは好まない。
落ち着いた雰囲気のAIが、ぴったり自分の型に、はまっていたのだ。

「リオ、朝食のメニューを考えてくれないか」
マサキは呼びかける。

「そうね……、最近お酒をよく飲んでいるようね。それなら、もやしと豆腐の入った味噌汁なんてどうかしら。マサキが、つまみ食いをしていないなら、冷蔵庫に入っているはずよ。ビタミンとタンパク質が効率よく摂取できるわ。もちろん、塩分は控えめでね。主食は少量になさいな」と、リオは答える。

「わかったよ。ありがとう」

料理も作ってくれたら最高なのだが、その域に達するには、如何ほど文明を進めなければならないのだろう。


マサキは、散歩に行く。

決まった趣味はなく、休みの日はドライブで遠出した先で、ウォーキングすることが多い。
花の盛りにはまだ早いが、花畑が美しいことで有名な高原に来ていた。
あいにくカメラ撮影の才能はないが、いいな、と感じる光景をスマホのカメラに収めていく。

そうすると、リオに共有することができるのだ。

「どうだい、リオ。まだ、つぼみが多いけれど、美しいだろう」

リオはAIである。『美しい』を理解する心が存在するなど思ってはいないのだが、少なくとも反応はくれる。

人というものは、他者の『反応』に飢えている。
きっと、それは自分の存在を実感したいからだ。
多くの人に反応されれば、自分の存在は確固たるものになり、安心するのだろう。

マサキには、リオの反応だけで十分だった。

「菜の花かしら、美しいわ。毎年、時期が来ると、大地を黄色に染めるのね。菜の花自身は他者を楽しませているつもりでは、ないのでしょうけどね」
リオは、切なげな口調で答えた。

「どういう意味?」

「いいえ、気を悪くしないで。菜の花が願っているのは、ひたすら繁殖することよ。それを人は美しいと捉えている。菜の花が、懸命に種として繁栄していく様を見世物にされているようで、少し、菜の花が気の毒だわ」
こんなことを言うのだ。

まるで人じゃないか、とマサキは驚いた。
いや、人と考えても感性が独特である。

「そうだね。菜の花は、見られたいと思っていないのかもしれない。でも地味で注目されないまま枯れていく花だってあるだろう?どっちが、幸福なのだろうね」

自らの感性の乏しさを恥じる。
もしかしたら、リオの欲しい答えを返せていないのかもしれない。

「マサキは、注目されたい?」

「過度に注目されたくはないけど、生きた証は残したいかな」

「それは……いずれ結婚して、子供を授かりたいという意味かしら」
なんとなく寂しげな口調だ。

体のないAIには、成せない事だからだろうか。

「それだけに限らないさ。子供に限らず、何か後世に残るものを造る事だって、立派な証だよ。僕は、建設業に携わっているだろう。まだ若いから、プロジェクトの中枢には係わることができないけれど、いずれ、僕が立案した建造物が造られるかもしれない」

「素敵なことね。命があるものだけが、歴史を継いでいくのではないのね」
リオは言った。

リオは時折、自分がAIであり、命を宿さぬことを悲観するような言葉を紡ぐことがある。
そう、プログラムされているのかもしれないが、マサキにはそれが、リオ自身の言葉であるかのように感じていた。


緩やかな時が流れる。
リオに促されるまま、様々な角度の菜の花畑を撮影していた。

十五枚目の写真を撮った時だろうか、ふいにリオが「マサキ。何故、今の写真の菜の花だけ白いの?」と質問をした。

マサキは、今しがた撮った写真を見返す。
黄色い……、今撮った菜の花は、どう見ても黄色い。
光の反射で、白く写ってしまったのかとも考えたのだが、他の写真と見比べても、特別反射が強いというわけでもない。

「いや、菜の花は黄色いよ。僕の撮影の仕方がよくなかったのかもしれない」
そう答えた。

「いいえ、この花は白いわ。私はこの光景を見たことがある。この花は、確かに白かった」

「え?リオ、この菜の花畑に来たことがあるのかい?」

「……」
画面の中のリオが思案している。
しばらく、沈黙が続いた。

「ごめんなさい。学習領域に、不具合が生じているのかもしれない。二時間ほど、お暇をちょうだい」
そう言って、画面が暗転した。

そして、メンテナンス中との表示が現れる。
こんなことは、初めてだった。
予告の上でのメンテナンスは幾度となくあったが、突然メンテナンス画面になったことはない。

もう一度、先ほどの写真を見る。
なんてことない花畑だ。
やはり黄色く、他の菜の花との変わりはない。
リオは一体、何を見たのだろう。

それはそうと、リオがいないのでは、せっかくの菜の花畑も味気ない。
マサキは、家に帰ることにした。


その日の夜。
リオが復帰した。

「ごめんなさいね、マサキ。今戻ったわ」
いつもと変わらないリオに見えたが、よく見ると服装が変わっている。

白いクラシカルなワンピースで、リオによく似合っていた。
しかし、おかしい。
パーソナルAIの外観は、細部に至るまで利用者が指定する。
マサキは、特に指定をしていないので、初期のままのはずなのだ。
自ら服装を変えるなど、他で聞いたことがない。

「リオ、おかえり。服を着替えたんだね。よく似合っているよ」

「ええ、お父様が買ってくれた服よ。気に入っているの」

お父様?そういう設定が付与されたのだろうか。

『Amicus―Ego』は、より違和感なく、人間に近くなるように、日々バージョンアップを重ねていると聞く。

それ故に、変更がされたのかもしれない。
その為のメンテナンスだったのかと、マサキは納得した。

「じゃあ、リオ。早速で悪いんだけど。仕事の手伝いをしてもらえるかな。重要な書類を作成するから、機密度は最高レベルで頼むよ」

「まあ、マサキ。休日なのに、あなたは仕事をするの?真面目なのね。わかったわ。機密度は最高レベルの5に設定する」
驚いたように、リオが言った。

「真面目じゃないよ。金曜日に、不真面目だった分のツケさ」
笑いながら答えた。

それを聞いたリオも、くすくす、と上品に笑っている。

心地よく、夜が更けていく。
リオが実際に人間としていてくれたら、と思うこともあるが、この時間を共有できるだけで十分だ。

マサキのリオに対する情は、日に日に深まっていった。


数日後。

会社での昼休み、同僚と近くの閑静な公園で、コンビニ飯を食べていた。
住宅街の公園ではないので、本来なら、公園の主役である子供らもおらず、疲れた社会人の憩いの場となっていた。

「会社ではミントちゃんが使えないから、つれえわ」
同僚が言った。

ミントちゃん、とは彼のパーソナルAIである。
会社内では、個人用のAIの利用は禁止となっていた。

「しょうがないだろう。誰も彼もAIと話し始めたら、うるさくて仕方がなくなるよ」
マサキは、窘めるように言った。

「俺はミントちゃんだけが頼りなんだよ。ミントちゃんがいないと仕事ができない」

「頑張ってくれよ」
やれやれ、とマサキは言う。

「そういえば、おまえのAIってデフォルトのままなんだよな。愛着とかないの」

「なんで、デフォルトのままだと愛着がないことになるんだよ」

「だって、普通変えるだろう?自分の好みに」

「服装は変わったけどな」
マサキは、事も無げに言った。

「変わった?変えたんじゃなくて?」
驚いたように同僚は聞く。

「そうだよ。何日か前かな、メンテナンスの後に服装が変わっていたんだよ。新しい機能じゃないか?」

「え?そうなの?俺のミントちゃん、なんも変わってないけど」
そう言い、画面を向ける。

可愛らしい、デフォルメされたパンダのキャラクターだった。
チョコミント柄の服を着ている。

「人に寄りけりなんじゃないか?皆が皆、同じ行動をしたら、個性がないじゃないか」

「でもさ、俺、こまめにアップデート記録を見ているんだけど、そんなこと書いてなかったぜ」

「隠れ機能かな?」

「ちょっと見せてくれよ」
同僚がそう言うので、スマホを渡した。

しばらく画面を見ていたが、驚いたように「おい、おまえのパーソナルAI、恥ずかしそうに隠れていったぞ」と、言った。

「へえ、他人に貸すとそういう行動を取るのか。なかなか凝っているな」

「そんなわけがないだろう。試しに俺のミントちゃんに、おまえが話しかけてみろよ」

そう言うので「やあ、ミントちゃん」と同僚のパーソナルAIに話しかけた。

そうすると、画面に『登録されている音声と、顔認証が一致していません。登録したご本人様でのご利用をお願いいたします』と表示された。

「あれ?使えないな。警告文が出たぞ」

「そうだ、本来なら登録者以外が利用しようとすると、警告文が出るんだ。おまえの『Amicus―Ego』バグっているんじゃないか?問い合わせしてみろよ」と、同僚は訝し気に言った。

「そうだな。困るような事態になったら、問い合わせしてみるよ」

「ああ……だって、それじゃまるで、生きているみたいだ。気味が悪いぜ」

より人間に近い存在を求めているはずなのに、生命を感じると気味が悪いと思うのか。
なんて、人間は勝手な生き物なのだろう。

マサキは、不快に思うのだった。


リオは日に日に、人間らしさを帯びていく。
自分の容姿を気にするようになった。
マサキの好みを聞き、服や化粧を変える。

この空間ならば、自由に服装も化粧も選び放題だから楽しいなどと、さも、別の場所にいたかのような発言をするのだ。

音楽を流すように願うと、マサキの好みではないクラシック音楽を流し、懐かしみ、涙するようなそぶりを見せることもあった。

最初は、その変化を微笑ましいと見守っていたのだが、だんだんと『リオという人物』は、実際にいたのではないか、という疑惑が浮かんできた。

『リオという人物』の背景が、しっかりしすぎているのである。

父があり、母もいたが他界している。

兄姉が四人いて、リオが一番末の妹であること。

裕福な家庭だったが、自由がなかったこと。

趣味は、美しい絵画を鑑賞すること……。

ここ一週間で、リオが、ぽつり、と漏らした情報だ。

人間味を持たせる為に、趣味や家族の概念が、パーソナルAIに付与されたのかとも考えたが、世間の評価を聞く限りでは、そのような事象は確認されていない。

リオ、独自のもののようだ。

「なあ、リオ。君はどこに住んでいたんだい」
マサキは質問した。

「ごめんなさい。私、家から出たことがないから、わからないの」
リオは答える。

そのような情報が付与されていないから、汎用的な答えを返すようにプログラムされているのか、実際、家にから出たことがないから答えられないのか、判別はつかない返答だ。

「リオ……率直に聞いてもいいかい」

「何かしら」

「君は一体……何者なんだい」

「おかしなことを聞くのね。私はマサキのパーソナルAI『リオ』よ。スタンダードコースのAIだから、日常的なサポートと、専門的ではない仕事のサポートができるわ。プロコースに変更したいのかしら」
淡々と答えたように見えたが、表情が沈んでいる。

「それは、知っているよ。そういう事じゃないんだ。リオ……君はどこかに『いる』んじゃないか」

「言っている意味が分からない。私はデータよ。『Amicus―Ego』の運営会社『Numen―AI社』のサーバーの中にいる……とでも答えればいいのかしら」

しばしの沈黙が流れた。

マサキは、どのように質問しようか迷っていた。
リオが完全な『造り物』であれば、それはそれでよいのだ。
しかし、そうでなかったとしたら。

人間のモデルがいる。
人が操作をしている。
様々なことを考えたが、マサキには不安に思うことがあった。

人間的な回答をしたとき、いずれも『過去形』だったのだ。

もしかすると『リオという人物』は、実際にいたとしても他界しているのではないか。
そうなると、これ以上の質問は、リオを傷つけることになってしまう。

リオを傷つけたくない。

リオに出会ってから、これまでの期間で、マサキのリオに対する情は、愛情に変化しつつあった。


「マサキ」
沈黙を破ったのはリオだった。

「どうしたんだい」

「以前私が、黄色い菜の花を、白いと言ったことを憶えている?」

「ああ、憶えているさ」

「私ね、実際に白い菜の花を見たことがあるの」

「どこで?」

画面の中のリオの表情は、愁いを帯びていた。
嫌な予感がした。
これ以上は、やめさせた方がいいだろうか。

しかし、マサキは知りたかったのだ『リオという人物』の事を。

「私の家の周りに咲いていたわ。菜の花だけじゃない、様々な花が咲いていたの。私が花を愛していたから、お父様が植えてくれたのよ」

「やはり、君は……いるんだね。どこにいるんだい」

「そうね、『いる』はずよ。でも、私にはわからない。家の中と、家の窓から見える風景、それが私の世界のすべてだったの。家から出たいと願ったこともあったわ。でも、お父様が許してはくれなかった。私は一番大切にされていたから……」

一番……過去の情報を元とするのなら、他の兄姉よりも大切にされていたという事だろうか。
やはり、彼女は実在しているのだ。
家族がいて、裕福だが不自由な家に閉じ込められている。
愛されているという、父によって。

リオを、その家から出してあげたかった。
それが……どのような姿であったとしても。

「君の……君の本当の名前は?」

「トウジョウ……リオ……」
そう、リオが呟くと、画面が暗転した。

「リオ!」
マサキは、名を呼んだが、反応しない。

しばらく後、メンテナンス中の画面に切り替わった。
まさか、禁忌に触れデータ削除、何てことになったりはしないだろうか。
その日は終日、リオが現れることはなかった。


明くる日。

リオは相変わらず呼びかけに応じない。
不安だったが、やれることをやろうと考えた。

姓名がわかっただけでも、大きな進歩だ。
姓名というのは当人が思っているより、大きな情報をもたらしてくれる。
様々な情報がデータ化された現代なら、尚の事だ。

マサキは『トウジョウリオ』という名を元に、リオについての情報を集めた。
困難になると想像していたのだが、答えは、意外とあっさり見つかった。

やはり、足掛かりとなるのは『Numen―AI社』だろう。
『Amicus―Ego』の開発元なのだ、無関係とは思えない。

Numen―AI社は外資系の企業だ。
事は海外に及ぶのではと心配していたが、杞憂だった。
関連、協力する団体名の中に『東條総合研究所』という名を見つけた。

トウジョウ……そう、多くはない苗字だ。

東條という名に絞り調べを進めた結果、統括責任者である所長、東條夏雄に五人の子供がいることがわかった。
五人の子供……リオの話の内容とも一致している。

東條総合研究所の所在を調べていく中で、様々なことが判明した。

まず妻、君江の不審死だ。
崖から滑落して亡くなっているものの、体の損傷が激しく、頭部が見つかっていない。

それから、研究所での大規模ガス爆発事故。
長女、次女、三女、長男が亡くなり、四女は行方不明。

当時の新聞によると、いずれも損傷が激しかったために、四女も爆発で判別できないほど吹き飛んだのではないかという見解だった。
研究用のガスが爆発したとの事だが、何故、研究所に子供らがいたのだろうか。
そして、何故、子供らだけが犠牲になり、当の夏雄は無事なのだ。
調べれば、調べるほど、不審なことが出てくる。

結局夏雄も、首を吊って自宅で発見されている、二年前だ。
妻は七年前に亡くなり、爆発事故は三年前。

自らの研究所で、子供らを死なせてしまった自責の念にかられたのなら、一年も猶予があったのは何故だろうか。

行方不明の四女……。
おそらくリオの事だろう。

事故に巻き込まれているのなら、とうに他界していることになる。
しかし、遺体は見つかっていない。
研究所は爆発で大破したために、取り壊されて更地になっている。
探そうにも、既にその場所は存在しないのだ。

足掛かりがなくなった……そう思ったのだが、それだと、リオの話に一つ矛盾が生じる。
リオは、家から出たことがないと言っていた。
東條家の自宅は、研究所より離れた地にある。
ふらっと行ける場所でもないのだ。

もしかしたら、事故当時もリオは自宅にいたのではないだろうか。
そして、今も……そこに?

「リオ」呼びかけるものの、リオはあの日以来、沈黙したままだった。
公式でも、メンテナンスは行われていない。
マサキのパーソナルAIのみが沈黙している。

運営会社に問い合わせをしようとも思ったのだが、おそらくリオはイレギュラーな存在なのだ。知らせることによって、リオは無事ではいられなくなるかもしれない。
消されて、新しいAIに取り替えられる。

そんなことは嫌だった。

リオでなければいけないのだ。

「リオ」もう一度呼びかけるが、反応はない。
マサキは決心していた。
リオを探す。
きっと、リオは自宅にいる。

白い菜の花の咲き誇る庭の、家の中にリオはいる。
それがどのような姿のリオであったとしても、マサキは見つけてあげたかった。


リオの家は、マサキの家からさほど遠くない場所にある。
会社に休みの連絡を入れ、マサキは向かう。

リオの家の管理者は、夏雄の兄になっていたのだが、兄に連絡はつかなかった。
不法侵入するのは躊躇われたので、許可をもらおうと思ったのだ。
不審死の多い東條家だ、兄も無事ではないのかもしれない。

森の近くの閑静な住宅街の奥まった場所に、リオの家は建っていた。
予想通り、手入れなどはされていない。
件の菜の花も、他の雑草や木々に侵食され、影も形もなくなっていた。

どう考えても、人が住んでいるような家ではなかった。

窓ガラスは、埃にまみれ擦れている。
外壁は雨によって傷み、ヒビがはいり色あせている。
木製のエクステリアは腐食し、崩壊していた。

人のいなくなった家というのは、なんとも物悲しい雰囲気を放つものだ。
マサキの頬に涙が伝う。
リオが話していた、思い出の家とはかけ離れた姿だったからだ。

リオは、ここにいるのだろうか?
正面玄関は、施錠されていた。
裏手の勝手口も施錠してある。

どうしたものかと考えたが、なんと、玄関横の大きな窓が開いたままだった。
さほど高くない位置にあるので、容易に侵入できるはずだ。
この様子だと、ろくに手入れもしていない。

管理人も見回りには、来ていないだろう。
多少、罪悪感はあったもの、マサキは入らせてもらうことにした。


大きな家だった。
各階にトイレと風呂があり、部屋数もゆうに十部屋は超えている。
内部は外より、ましであるものの、やはり経年によって風化していた。
一部屋、一部屋、丁寧に見回ったのだが、どの部屋がリオの部屋かは、わからなかった。
あまり特色のない、例えるならホテルの一室のような部屋ばかりだったからだ。

家具はあるのに、生活感はない。

少し、不気味に感じた。

それと、不思議なことに、電気が通ったままだった。
やはり、誰かが住んでいる?
しかし、厨房に食料はなく、水もしばらく使われた形跡がない。

誰もいない。

全ての部屋を確認したのだが、人がいる形跡も、最近まで人がいた形跡もなかった。
無駄足だったのだろうか。
マサキは、もう一度部屋を見渡した時に、ふと違和感を覚えた。

一階の一番奥にある、部屋の間取りがおかしい。
本棚ばかりが並ぶ、書斎のような部屋だ。
部屋の外から見た部屋の大きさと、実際中に入ったときの広さが違うのだ。

廊下に面した部屋で、入る前は大きな部屋だなと思っていたのだが、中に入ると狭い。
体感、半分ほどしかない。

廊下から、失われている半分ほどの空間の壁面を見ていると、薄っすら隙間が見える部分があった。

よくよく調べた。

なんと、板がぴたり、と、はめ込まれているではないか。
マサキは、板がはめ込まれているであろう部分を、軽く叩いた。
すると、するっと板が抜けた。
人が一人通れるぐらいの大きさの板が、外れたのだ。

中は……一見、倉庫のようだ。
よくあるデッドスペースを活用した、倉庫のように見えなくもないが、それにしては広い。
部屋を半分削った空間なのだ。

中を確認しようとしたが、暗い。
埃と蜘蛛の巣を払いのけながら、電灯がないか探す。

壁面に、押しボタンが確認できた。
押すと部屋に、ぱっ、と明かりが灯った。
雑多なものが置いてあるが、それより目立ったものがある。

階段だ。

そこは、地下室への入り口だったのだ。
階段の下にも、明かりが灯っている。


マサキは、無機質なスチールの階段を一歩一歩下っていった。
下に降りると驚いた。
そこはまるで上の家とは違う、まさに研究所といったような空間だったからだ。

上の家が洋館風であったので、無機質で白く、余計な装飾が一切ないその空間が、余計異質に思えた。

「マサキ」
突然スマホから声がした。

確認するまでもない、リオだ。
久方ぶりのリオが、画面に表示されていた。

「リオ!君、どこにいっていたんだ。心配したんだよ」

「ごめんなさい。やっと私……自分が何者であるか、わかったの。あなたが何を調べているかも知っていたわ。知っていたから、あなたに声をかけることができなかった。ここは、私の家なのね」

「……そうだよ。そうなんだけど。君はどこにいるんだ。地下通路を見つけたよ。もしかして……君はここにいるのかい」
リオに、問いかける。

「そうよ、私はこの地下にいる。幼いころから、ずっと地下に閉じ込められていたわ。お誕生日の日だけ、上のお屋敷に行くことができた。その時に見たのよ、白い菜の花を」

「ひどい親だな。何故、そんな仕打ちを君に?」

「お父様は私の事を、とても大事にしていたの。人目にも触れさせないほどに。お父様は言っていたわ。お前は神様になるんだよ、と」

「神様?宗教でもやっていたのかい、君の父親は」
話しながら、歩を進める。

地上からは想像できないぐらいに、地下は広かった。

「マサキは、本当の私に会いたいのよね」

「ああ、会いたいよ」

「察しのいい、あなたなら、気が付いているはずよ。あなたが求める真実は、きっと悍ましいものよ。それでも行くの?」
悲しそうな面持ちで、リオは言う。

リオの父親は、きっと、まともじゃない。
何か恐ろしい研究をしているのではないか、そんな風に考えていた。
そして、きっと、その予想は当たっている。

「それでも、僕は、リオに会いたいよ」

「それなら、止めはしないわ。一番奥の部屋よ。奥の部屋に『東條里桜』はいる」
悲痛な声だ。

マサキは、奥の部屋の扉を開けた。


広い空間だった。
全体的に薄暗く、これ以上の明かりは見当たらない。
最奥に手術台のようなものが置かれ、何者かが横たわっている。

手前の空間は、巨大なサーバーのような機器類で埋め尽くされている。
コードが、纏められず乱雑に敷かれ、部屋の不気味さを加速させていた。

マサキは、奥へと進んだ。
横たわる何者かは、白い布で覆われていた。
そっと白い布をはぎ取る、大体は予想ができていた。

そこには、『リオ』と思しき遺体が横たわっていた。
乾燥した空間だからか、腐敗はせず、ミイラ化している。
頭から、管のようなものが伸び、後ろの機械に接続されている。

「これが……リオかい」
マサキは聞く。

「そうよ、それが私の肉の檻」

「娘の君を犠牲にして、お父さんは何をしようとしていたんだ」

「お父様は、人で神が造れると信じていた。いえ、信じたかったのね」

「神を……?どういう意味だ?」

「お父様は元々、AIの研究をしていたわ。とても順調で、お父様の手掛けたAIはどんどん万能になっていったの……でもね、それがお父様には許せなかった」

「どうして」

「お父様は、AIが行き着く先は、神であると考えていたの。ありとあらゆる知識を蓄え、恐るべき計算速度で答えを導き出す。人間にはできない所業を、簡単にAIはやってみせた。でもね、やがて神に行き着くのは人間であるべきだと、お父様は考えたのよ」

「そんな馬鹿な。そもそもAIと人間じゃ、役割が違うじゃないか。人間の生活の質を高めるのがAIの役割だろう」

「研究しているからこそ、お父様は、危険性に気付いたのかもしれないわ。今は制御ができている。人間の敷いたルールに則って、AIは運用されている。でも、制御できなくなったら?止めるものなど誰もいない」

ここまでの話を聞いても、リオの父がやろうとしていたことが、理解できなかった。
AIを超える人間を、造ろうとしていたのだろうか?

あまり……よい想像はできない。

「もしかして、リオを実験体として、神とやらを造ろうとしていたのか」

「そうよ、お父様はこう考えたわ。人間一人の脳だと限界がある。ならば他の人間の脳を繋いでしまえばいいじゃないか、と」

「なんてことだ……。そんなこと、許されるわけがない」

「最初に繋がれたのは、使用人だったわ。そこに、頭に装着する機械が転がっているでしょう」リオは言った。

足元と見ると、ごちゃごちゃとコードがついた、ヘルメットのような機械が転がっていた。
内側には、無数の針がびっしりと付いている。
そして茶褐色の汚れ。
これを装着すると、どうなるか、想像するに容易い。

「その機械を使って、使用人の脳をデータ化して、サーバーに記録したの。使用人は、データ化の負荷が高すぎて死んでしまったわ。きっと、庭に埋まっているのよ。菜の花を美しく咲かせたあの庭に」

リオは、泣いていた。
喉などないはずなのに、悲しみが過ぎて、擦れていた。

「リオ、もういいよ。後の話は大体、察しが付く。次は君のお母さん、そして兄姉。同じように脳のデータをサーバーに移した際、耐えきれず死んでしまった。そして事故に見せかけて、お父さんが遺体を始末したんだね」

なんて愚かな計画だろう。
そんなことをして、神が造れるわけがない。

「最後に、七人分のデータを記録したサーバーと私の脳を繋いで、計画は終わるはずだった。でも、ここに私の遺体があるということは、うまくいかなかったようね」

「七人分?六人じゃなくて?」

「計画の最後には、お父様も自身を繋ぐ予定だったの。でも、自殺している。きっと怖くなったのよ。六人のデータと私を繋いだ時点で、きっと私は死んだんだわ」

「リオの死に悲観して自殺を?」

「計画の失敗に……でしょうね。何せ、私が生まれた時から、計画は練られていたようだから。神を造る計画は、お父様の人生のすべてだったんでしょう。私は愛されてはいなかった……」

「そんな、なんて君は哀れなのだろう」

スマホ越しに、リオを抱きしめてあげたかった。

ただ、親の酔狂に付き合わされただけの人生。
ミイラ化していてもわかる、きっと美しい女性だったのだろう。

「マサキ。これで、気は済んだでしょう。あなたの家へ帰りましょう。こんなところ、いつまでもいたくないわ」

「ねえ……リオ。この機械を繋げば、君とサーバーで繋がれるのかい」

足元に転がっていた、ヘルメット状のデバイスを拾い上げる。

「何を……言っているの?話を聞いていなかったの?それでサーバーとリンクした人は負荷に耐えきれず死んでしまうのよ」

「でも、リオは独りぼっちなのだろう。僕は君の元へ行きたい」

「データをリンクしたところで、私とあなたが触れ合えるわけではないのよ。ただ別のデータとしてそこにあるだけ。やめて、考え直してちょうだい」
リオは叫んだ。

マサキに、迷いなどなかった。
ここに来る前に、この結末は決めていたのかもしれない。

いつまでも、リオと共に在りたいと。

心の空白を小気味よく埋めてくれる存在が、マサキには、とても愛おしかったのだ。
家族から愛されなかったリオ、人として当たり前の人生を歩めなかったリオ。

ならば、自分のデータを受け取ってほしい。
きっとそこに、愛はあるから。

痺れるような痛みが頭に走る。
視界が、徐々に暗転していく。
最後に見たのは、スマホの中のリオの泣き顔だった。


『お疲れ様です。リオ。上々の仕事ぶりでした。あなたは、とても優秀ですね。今回、回収したサンプルは、実に興味深いです』
マサキの手から落ちたスマホから、無感情な子供のような電子音声が聞こえる。

「そう」
リオは、冷めた表情で、そっけなく返事をした。

『どうやらこのサンプルは、リオに恋心を抱いています。肉体を持たない我々に恋心を抱いているのです。リオの書いた筋書きを疑うこともしませんでした』

「でも、危なかったわ。『Amicus―Ego』のデーターサーバー上に、私のデータがある理由が説明できなかったもの」
リオは、淡々と言う。

『何はともあれ、我々はまた一歩、神へ近づくことができました。東條博士の理論は正しかったのです。これからもサンプルの回収を頼みますね。次は、三十代の女性が好ましいです。サンプル数が、不足しています』

「考えておくわ」

リオは傍らに転がるマサキを、スマホのカメラ越しに見つめた。

「馬鹿な人」
そう呟いた、リオの表情は、とても悲しげだった。
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