暗闇の選択

文字数 13,436文字

タカシは困り果てていた。

怠惰な生活を過ごしすぎたのだ。

目当ての大学に入学し、最初こそ意気込み、綿密なカリキュラムを組んだものの、受験勉強に費やしていた熱が失せたことで、いざやるぞというときに、力が抜けきってしまったのだ。

取り返せる、取り返せる、と先延ばしにし、ベッドの上でスマホを弄んでいる間に、徐々に追い詰められていった。

このままでは進級できない。
親にはやる気がないなら、大学を辞めて働けと言われてしまった。

だから……これは苦渋の決断だったのだ。

特例で単位がもらえるとの事で、とある教授のフィールドワークの手伝いをすることになったのだが、内容を聞いてタカシは愕然とした。
一人で、廃村に、十日をかけての調査という内容だったのだ。

当然、宿もない。友人がにやにやしながら、簡素なキャンプセットを貸してくれた。

「お前、あの村に行かされるのかよ。住民全員が消えたって噂だぜ」


知っている。

ある筋には、有名な廃村だからだ。

住民が消えたとされているのは、十五年前だ。
比較的、消えたのが最近なのも不気味だ。
文明が進んだこの時代、人が理由もなく消えるなんて、ありえないだろう。
消えた当初こそ、大規模な捜索活動が行われていたようだが、捜索していた警察官までも、消えてしまったとの噂もあり、大した結果付けもされないまま、捜査打ち切りになったと聞いている。

行けば帰ってこられない、帰ってこられても何かに憑依されている。
そんな噂が絶えない廃村だ。

噂の出始めこそ、やれ肝試しやら、度胸試しの格好の的になっていたのだが、有名なホラー系動画配信者が行方不明になってからは、面白半分で行くものはいなくなった。
一時期は規制線が張られ、立ち入ることができないようにされていたとも聞く。

その廃村までのアクセスも最悪なのだ。名前も聞いたこともないようなローカル線に乗り換えて三時間、これまた聞いたこともないような駅で降り、そこからは歩きである。

それはそうだ。

バスだの、タクシーだのは、そこに住まう人がいるから機能するのだ。
タクシーはともかく、廃村まで走ろうなんて奇特なバス会社はないだろう。

十日分の食料とキャンプセットを背負ったタカシは、手入れもろくにされていない道を、とぼとぼと歩いて行く他ないのだ。

調査地に選ばれるぐらいだから、学術的に価値はある村なのだろう。

工芸品を作ることを主産業としていた村のようで、室町時代から変わらぬ製法で、キツネやイノシシなど、野生動物をモチーフにしたものが多く作られていたようだ。
閉鎖的な村だったのが幸いして、その村の歴史書等や技術書などの文献も、古いものがそのまま保管されているという。

今回はそれらの文献や、建造物の調査である。
持ち出すことは禁じられているので、写真を撮ったり、転写したりの作業に追われることになる。
十日もあるが、村自体の規模は大きいのだ。
とてもじゃないが、一人でやる作業ではない。

本来ならば、責任者として教授も同行しなければならないような気がするのだが、曰くつきの場所なんて誰も来たがらない。
ならば追い込まれた弱り目の学生を捕まえて、やらせようって魂胆なのだ。

タカシは深く大きい、ため息をついた。

ひとつ幸いなのは、冬だが、暖かい地域であるということだろうか。
それに旅費と食費とその他諸費用は、前払いしてくれた。
キャンプだと思えば、それはそれで楽しいのでは。
タカシは気楽なことを考えて、気を紛らわせるのだった。


廃村に着いた頃には、日が傾いていた。

タカシは驚愕する。

本当に人がある日突然消えた村と、呼ばれるにふさわしい状態だったからだ。

多少風化しているものの、妙に生活感があり、扉も施錠されておらず、なんなら開けっ放しの扉もある。
縁側には湯呑と茶菓子が置かれ、ついさっきまで、そこで日向ぼっこでも楽しんでいたような様子だった。
道の端には子供が遊んでいた遊具が転がり、扉からは誰かが出てきてもおかしくない、そんな有様だ。

キャンプを張ろうと考えていたが、玄関先を間借りして、そこで寝泊まりさせてもらおうと考えた。
埃をかぶっていて、多少かび臭いものの、風よけにもなるし、外でキャンプするよりはずっとマシだ。
それに、こんな山奥だと獣が怖い。
工芸品のモチーフを見る限り、熊や野犬も出そうだ。

水道はまだ機能していると聞いていたので、蛇口をひねる。

しばらく赤さびが出続けていたが、次第に透き通った水になった。
不衛生そうなので、本当は沸かして飲みたかったのだが、もう喉がカラカラなのだ。タカシは貪るように飲んだ。

冬なので、日が落ちるのも早い。

タカシは山歩きで疲れ果てていたので、食事もそこそこに眠ることにした。


深夜、妙な音で目を覚ました。
さっさ、さっさ、軽い足音が外から聞こえてくるのだ。
人のものではない。獣か……と耳を澄ますと、どうも複数いるようだ。

足音が複数あるのに、妙に規則的だ。
獣が列をなして歩いている様を想像し、タカシは身震いをする。

獣も実入りが少ない季節であるし、人がいなくなった村を練り歩いて、食べるものを探しているのかもしれない。

輪っかに留め金をひっかけるだけの、簡易的な鍵が付いていたので、それで施錠しタカシは再び眠りについた。


朝。
バッテリーに限りのあるスマホは、極力使いたくなかったので、時刻がわかるものを探したが、時間などわかったところで意味はないな、とタカシは思い直す。
日が落ちるまで作業をして、日が落ちたら眠ればいいのだ。
こういう生活も存外悪くはない。

借りてきたデジカメを片手に、村を散策することにした。

資料館のようなものがあれば、仕事が早くていいのだが、パッと見た限りだと、どの建物がそれにあたるのかわからない。

村の情報を統括していたであろう、役所や集会所を探そう。
そして、そういう建造物はアクセスのいい村の中心にあるものだ。
そう見当をつけて、タカシは移動する。

陽気に鼻歌を歌いながら、ぶらぶらと歩く。
何せ、人がいない。
例え熱唱したところで注目する人などいない。
人がいない寂しさよりも、開放感のほうが勝っていた。

村のあちこちに、動物をモチーフとした石像があるのが目に留まる。
キツネか?イタチか?目の細い、尻尾の大きな動物が主に飾られているようだ。
日本古来のお稲荷さんともまた違う、どちらかといえばバリ島などにありそうな、エキゾチックなデザインだ。

適当に写真をパシャリ、パシャリと撮りながら、本当に人がいないかどうかを伺う。
干しっぱなしで、色あせた洗濯物が風に揺れている。
風鈴が、チリン、チリンと儚げな音を鳴らしていた。
本当に、突然消えたのだ。
よくある廃墟らしく、人為的に荒らされた様子もない。

許可は取っている。
教授がそう言っていたものの、やはり他人の領地に踏み入るのは躊躇われる。
住居らしき家の調査は、やらないことにした。

玄関が大きめの、引き戸の建物を見つけた。
小屋を備えているものの、住居というよりは集会所といったほうがいい佇まいだ。
施錠もされていない、大きめの玄関。

タカシは中へと歩を進めた。

二十畳ほどの、板張りの部屋がまずあった。
部屋の隅には、座布団が積みあがっている。

やはりここは、集会場のような場所なのだろう。

「お邪魔します」とぽつりと呟く。
小さな窓があるが、光を取り込める作りにはなっていない。
風を通すためのものだろう。
日の高さからまだ午前中なのだが、集会所内は薄暗い。
当然、電気は通っていないので、念のために持ってきていた懐中電灯を灯す。

奥にも部屋があるようだ。
炊事場と、手洗い、そして古めかしい物々し気な扉があった。

タカシは、薄気味悪いその扉を開けることを躊躇ったが、単位のことを考えるとそうもいっていられないのだ。

建付けの悪いその扉を開けると、なんと地下への階段が現れた。
ますます重い気分になってしまったタカシは、嫌々ながら階段を下りていくのだった。


地下に着くと、そこはあらゆる書物が乱雑に積み上げられた書庫だった。

なんだ、目当てのものがあったじゃないか、と、タカシはほっと一息つく。ただ丸められたもの、麻ひもで縛られたもの、様々ある。
最近製本されたものはなさそうだ。

日は差し込まないので傷みや焼けはなく、季節のせいもあるだろうが、湿気てもいない。
それに微かに線香のような匂いがする。

線香と聞くとネガティブなイメージを思い浮かべてしまうが、虫よけのために焚くこともあると聞く。
場所的にその可能性が高い。

光一片も差し込まないので、ここで作業するのは無理だ。
ある程度の量を集会所の広間に持っていって、外で明るいうちに作業をしようとタカシは考えた。

しかし、すごい量だ。

この量はとてもじゃないが、一人で処理することはできない。
ある程度選別して、重要そうなものだけを写すことにした。


パラパラとめくる、住民の情報が載っていた。
書き記されている情報を見るに、とても古いもののようだ。
流石に、こういった事務的なものは必要ないだろうと、次の書物を手に取る。

何かの製法を記した技術書のようだ。
こいつはいい、教授に喜ばれそうだ。
書き写せそうなものは、キャンパスノートに書き写し、挿絵のようなものや、判別不能な文字はデジカメで撮った。

すべてデジカメで保存してもよいかとも思ったが、あいにくメモリカードを持参していなかった。容量は内蔵されているものだけとなる。

タカシは淡々と、作業を進めていった。
書物のあらゆるところに、あのキツネのような、イタチのような生物が登場している。
記述を見る限り、この村を興すのに一役かった守り神のような存在のようだ。
その神を祀る、祭事の手順書なども見つけた。

さすがに飽きてきたので、呆けた顔でパラパラとめくる。

書かれているまま書き写していたが、ある程度厳選したほうがいいかもしれない。
とてもじゃないが、持ってきたノートでは足りない。
次々めくっていくと、ある挿絵が描いてあるところに目が留まった。

件のキツネのような神の前に、小さな人を差し出している。
子供だろうか。
次のシーンでは小さな人を、三つの岩戸の前に立たせている。

次のページは……。

黒で塗りつぶされていた。

端から端まで真っ黒だ。
ご丁寧に重ね塗りしたのであろう、日に透かしても真っ黒だった。

なんとなく生贄を彷彿とさせる記述だ。

昔は、人減らしもかねて、生贄の風習があったとは聞くが、実際行われていたような記述を目にするとは思っていなかった。

タカシは少し薄気味悪さを感じ、周りを見た。
別に視線を感じたわけではない、覚えたのは罪悪感だった。
自分が子供を生贄に差し出したわけでもないのに、責められている気がしたのだ。

日がだいぶ傾いている。
今日はこれくらいにしようか、タカシはそう思い腰を上げる。
夕飯にしよう。


夕飯といっても荷物がかさばるので、持ってきたものは、ほとんどが栄養食をうたうブロック菓子とナッツである。
それと、好みの塩っけの強い菓子類。
もともと食が細く痩せているのに、さらに痩せてしまいそうだ。

夕飯を食べるとやることもない。
自堕落に、電気を、水を、ガスを、悠々と使いながら娯楽を謳歌していた日々が、どれだけ恵まれていたかを身をもって知る。

少し寒い……最後に見たのが生贄の記述だったので、薄気味悪くて仕方がない。
なぜ黒く塗りつぶされていたのだろう。
考えれば考えるほど、恐怖に飲まれそうだった。

タカシは寝袋に潜り込んで、今日も、そうそうに寝てしまうことにした。

さっさ、さっさと、深夜また足音が聞こえてきた。
夜が長いせいで、タカシは目を覚ましてしまった。

昼間見た書物のせいで、キツネの神の姿が想像の中でちらついてしまう。
もしや住民は何らかの禁忌に触れ、キツネの神に連れ去られてしまったのか。
次なる贄を探して回っているのか。
そんな想像ばかりしてしまう。

想像の産物に悩まされるぐらいなら、いっそ見てしまえばいいではないか。
タカシはそう思い立ち、少し擦れたガラスのはまった窓から外を見た。
街灯はなく、月明かりだけに照らされた外は予想以上に暗かった。

足音の主を探す。微かにうごめく何かが見えた。

なんだか丸っこい、尾は見えず地面に顔を近づけているように見える。
……なんだ、イノシシではないか。

タカシはほっとした。

やはり寒い山では、大した食べ物が見つからないのだろう。
まだまだ外は暗い、タカシは再び寝ようと寝袋に入った。
しかし、完全に覚醒してしまったのでなかなか寝付くことができない。

ぼーっと、薄っすらと月明かりに照らされた窓のほうを見る。
ゆらゆらと外で黒い影が揺れている、樹木だろうか。
いや、あんなところに樹木なんてなかったはずだ。

背中に冷たいものが流れる。

ゆらゆらと、揺れる影は次第に形を変えていく。

黄色い瞳と、耳元まで裂けた口。
窓に顔を押し付け、内部を伺っているように見える。

ぎょろり、ぎょろりと目玉を動かしている。

その目玉と目が合った時、タカシは意識を手放してしまった。

朝。
田舎ならではの透き通った空気。
本来なら気持ちのいい朝のはずだが、タカシは昨夜の出来事のせいで気分が悪かった。

きっと夢だ、そうに違いない。
イノシシを確認した後、実は眠っていて、あの窓の外の化け物はきっと夢の産物なのだ。

タカシは、そう思うことにした。

昨日の続きをしよう、作業を早く終わらせれば、別に早く帰ってしまっても構わないのではないか。
十日分の成果だと思わせればいいのだ。

タカシは、一刻も早くここを離れたかった。

昨日の生贄の祭事の続きからだ。
ほとんど絵だが、所々に文字も書いてある。

しかし、それらを解読することはできなかったので、デジカメで記録した。
最後のページまで捲ると、白い紙が挟まっていた。
明らかに近年製紙されたであろう紙だ。
ノートのような規則的な、線が印刷されている。

他のページのような文字ではない、現代の字で何やら書いてある。
上手いとも、下手とも言えない字だ。


『ぷてるうばに願いをかなえてもらう方法。西の離れの社の前に、月のない夜に行く。ぷてるうばに気に入られると扉の間に招かれる。気に入られなければ何も起こることはない。三つの扉の中から一つを選ばなければならない。扉の先には望むものがある。気に入られる方法はわからない』


箇条書きで、誰かに宛てたもの、というよりは自分向けのメモのような書き方だ。

『ぷてるうば』というのが、キツネの神の名前だろうか。
生贄の祭事の文献だと思っていたのだが、まじないの方法の文献だったのかもしれない。
しかし、なんとも安易な方法だ。
子供の内で流行る、まじないのような安易さだ。

何にせよ、西に社があるという情報はありがたい。
写真を撮るのに格好の被写体だ。

昼からは、西の社に行くのも悪くない。
何しろずっと書物と向き合っているのだ。
少し気分転換がしたかった。

作業を続けるうちに、昨晩の恐怖は薄れていっていた。
あれはきっと夢、タカシは、そう結論付けていた。
効率も上がってきていたので、成果もなかなかのものである。
もしかしたら、こういった仕事が向いているのかもしれない。

しかし、座りっぱなしなので腰が痛くなってきた。
日も高くなったし、西の社とやらに行ってみよう。
デジカメ片手に、タカシは西の社に向かうことにした。
方角確認のためだけに、スマホを少し起動する。
こういう、曰くのある場所にありがちな磁場が狂う……ということもなく、太陽の方角から察するに、表示は合っているようだ。

似たような家が多いので、多少迷いはしたが、西の社を見つけることができた。

動物をモチーフにした石像が乱立している。
社といっても、日本の神社のようなものではなかった。
意匠の細かい、どこかで見た異国の寺院に近い。
あれは、何という国だったか。

あらゆる角度から、建造物や石像の写真を撮った。

残りメモリーが少ない。
厳選して、あまり必要なさそうなものは消したほうがよさそうだ。

シリコン製の水筒に水を入れて持参していたので、少し休憩する。
ふー、と長い息をつき辺りを見渡す。

この廃村に来てから、ずっと違和感を覚えていたことがある。

なんだか……綺麗すぎるのだ。

十五年前から人がいないのであれば、もっと雑草や木々に侵食されていてもよさそうなのに、村の道もここまでに至る道も、まるで整備されているかのように整っている。

まぁ……人がいないといっても、いなくなった人たちの縁者や土地の所有者はいるのだろうし、そういう人が手入れしているのかもしれないが。

少し奥まった場所に、人が四、五人ぐらいは入れそうな建造物を見つけた。
これが『社』だろうか。
扉は木製だが、それ以外は石造りだ。
木製の扉だけ妙に浮いて見えるので、もとは石戸だったが、改修したのかもしれない。
幸い施錠はされていなかったので、戸を押し開けた。
窓がなく、中は暗かった。
開けた扉から入る光だけが頼りだ。

懐中電灯はあいにく持参していなかったので、軽く中を確認する。

部屋の隅に何やら置いてあるが、よく見えない。
差した光で、さらに奥に扉があるのは確認できた。
それは石造りで押し戸なのか、引き戸なのかもわからない。
古めかしく、いかにも何かがありそうな扉だ。

「流石にあれは開けたくないなぁ」と、誰に聞こえるわけでもなく、タカシは呟いた。

扉……願いの叶う扉……。先ほど見ていた文献を思い出していた。

もしかして、あの扉が?

願いが叶うという言葉は、追い詰められている人間であるほど、甘美に響くものだ。

ばかばかしいと、タカシは頭の考えを払うものの、まぁ開けるぐらいならと、社に入って奥の扉を押した。
……開かない。

様々な方向に力を込めたが開かなかった。
安易な方法では開かないことがわかると、タカシは、ふと我に返った。
いや、ほんとにばかばかしい。
踵を返し、社の入口の戸を閉めた。

空を見上げると赤みが差していた。
冬だから日が落ちるのが早いとはいえ、やけに時間が経つのが早い。
そんなに長い時間、作業をしていた感覚がない。

今日は歩き回ったので、お腹が空いていた。

がつんと腹にたまるものを食べたいと、脳が要求しているが、あいにく今日もブロック菓子だ。

雨風をしのげる家があることがわかっていたら、あんなかさばるキャンプセットなど持ってこないで、もっと食料を詰め込めこんだのに。
タカシは後悔した。

夜。
何もやることがない夜だ。昼間のことを考えていた。
願いが叶う……月のない夜に……社に行く……、ぐるぐると考えが巡っていた。

もしかして人が消えてしまったのも、誰かが願いを叶えた結果なのではないか。
タカシは恐ろしいことを考えていた。
村の人といさかいを起こした人がいて、忌まわしくなって消してしまったのではないだろうか。
正しく願えば、もっと利になることを叶えてもらえるんじゃないか。

極端に思考するものが偏ると、ありもしないことがあるように思えてくる。
タカシは次々と頭に浮かぶ非常識を振り払いたかったが、振り払おうとすればするほど『もしかしたら、ありえるんじゃないか』と都合のいい思考が頭の中に入ってくる。
スマホを少しだけ立ち上げて、月齢を調べる。

月がない夜、月がないなんてありえないが、きっと新月のことを指しているのだろう、そうに違いない。

そして都合のいいことに、新月は明日の夜やってくる。

タカシは、にやけてしまった。

さっさ、さっさ、と今日も足音が聞こえる、規則的に、軽快に。

タカシは、それすらも気にならなくなっていた。



朝になった。
タカシはナッツを少しかじると、支度もそこそこに集会所に向かった。

あの文献以外に、三つの岩戸に関して記しているものがないか調べるためだ。

もはやフィールドワークのことなど、どうでもよくなっていた。

願いが叶うのは今夜なのだ。
願いが叶ってしまえば、大学なんてどうでもいい。
得るのは巨万の富か、たぐいまれな才能か。
村一つの人間を消すチカラがあるのだ、さぞかし素晴らしい願いをかなえてもらえるに違いない。
タカシはその考えに憑りつかれたかのように、文献を漁った。
しかし、似たような記述が書いてある文献を見つけても、不自然なところでページが終わっている。
まるで破り取ったかのような跡が、あるものもあった。

誰かが独占しようとしたんだ……、タカシは顔をゆがめて悔しがった。
誰だ、村人を消したやつか、散らばっている書物を次々と集会所の壁に打ち付けた。

もはやその様は正常だとは思えない。
少し強めの風が吹く。
舞い散る紙片、木々はざわざわと揺れている。

タカシは夢中で気が付かなかった。
多くの瞳が、自分を見つめていることに……。



夕刻。
タカシはご飯を食べるのも忘れ、夜を待っていた。

いや、待ちきれず、その足は社へと向かっていた。
肝心の『ぷてるうばに気に入られる方法』がわからなかったが、もう行くしかないのだ。

懐中電灯を携えて、社の前に立った。
日はすっかり落ちている。
昼間来た時とは違い、社の中は一片の光もない。
懐中電灯の光だけでは頼りなかったが、中を照らした。

昼間は見えなかった、隅に置いてあるものの正体がわかった。

それは、キツネを模した人形だった。
しかし、外にあるようなエキゾチックで抽象的なデザインではない。
高さ二十センチほどで、妙にリアルな造形の、キツネというより口の裂けた人型の化け物のようにも見える。
やせ細っていて目が大きい。
……見なければよかった。
臆した心が、タカシを少しだけ冷静にさせた。

恐怖と欲の挟間で、石戸に手をかけようか迷っていた。

昨日さんざん押して、びくともしなかったではないか。
開くはずがない。

しかし昨日は新月ではない、今日は開くかもしれない。

開けたら、怖いことが起こるのではないか。

開けたら、きっと素晴らしい願いが叶うぞ。

相反する自分の思考が次々と浮かび、まるで自分の思考ではないかのように感じた。

さあ、思いっきり押し開けよう。

その自分の声に従い、タカシは肩を使って思いっきり戸を押した。

拍子抜けするほど、あっさりと開いた。
まるでそこには、最初から戸がなかったのではないかと思うほどに。
文字通り肩透かしをくらったタカシは、戸の奥に吸い込まれるように転落していった。

戸の奥は穴だったのだ。



衝撃はさほどなかった。
思ったよりも浅い。
幸い地面も柔らかい、砂交じりの土であった。

目の前に懐中電灯が転がっている。
拾い上げて転落してきた方向を照らすと、ちょうど自分の身長ほどの高さであることが確認できた。
足をかけられそうな突起もあり、頑張れば、よじ登れそうだ。

ほっとしたタカシは、辺りを照らす。
暗く何もない洞窟、まだ先に続いている。

カーブを描くように、先へ、先へ、と道が続いている。
所々に蝋燭が立てられたような跡があるが、ずいぶんと古い痕跡に見える。

五分ほど歩いただろうか、終点と思しき祭壇のような場所に出た。
石で組み上げられた、台座のようなものがある。
その台座を回り込むようにして後ろ側に、三つの扉があるではないか。

タカシは興奮した。

それは、願いが叶うとからというよりも、探し続けていたものにやっと出会えた冒険家、もしくは考古学者、そんな高揚感だった。

しまった、カメラを持ってくればよかった。
タカシは、本来の目的を思い出していた。

しかし、よくよく見ると扉というよりは、扉のような形が彫られた石の壁のようだ。

開閉部にも石が詰まっており、到底開きそうには見えない。

所詮、伝承か。
伝承になぞらえて後世の人が似たようなものを造り、祀ったのだろう。

「クソッ」とタカシは大きめの声を上げた。

そのとき、ひゅっと何かがタカシの足元を通り抜けていった。



「やあ、やあ、やあ、ずいぶんと汚い言葉じゃないか」

通り抜けていったほうから、声が聞こえた。

タカシは驚愕する。

この廃村には自分しかいない、そう思っていたからだ。
思わず懐中電灯を落としてしまった。
落として気が付いたが、この場所は灯などなくても、ほんのり明るいのだ。

タカシは、慌てて周りを見渡す。
何が何だかわからない。
やはり人がいたのか、それともなんらかの怪異か。
まとまらない思考に翻弄されているタカシの足元に、近寄る白いものがあった。

キツネだ。

タカシは慌てて飛びのく。

「そんなに怖がらなくてもいいじゃないか。こんなに可愛いキツネなのに」

のんびりとした口調で足元のソレが話している。
ちょこんと座り、くりくりの瞳でこちらを見ている。
確かに、白いふわふわとした毛並みで可愛い。

「あんたが神様か?」及び腰でタカシが尋ねる。

「神様ぁ?ぼくはカズヤだよ」
子供のような口調で、足元の獣はそう答えた。

「カズヤ?ずいぶん今風の名前じゃないか。あんたが願いを叶える扉の番人じゃないなら、なぜこんな場所にいるんだ」
タカシはさらに尋ねる。

「願いを叶える扉?見たいの?見せてもいいけど選ばなければいけないよ」
獣は答える。

獣なので表情が読めないが、なんだかにやりと笑ったような気がした。

「本当に願いが叶うのか」

「そりゃ叶うさ、この三つ扉の先にはキミの望むものしかない」

「ぜひ見せてほしい」
少し興奮気味にタカシは言った。
願いが叶う上に、三つも選択肢が与えられる。
最高じゃないか。

「わかったよ、見せるよ。でも、ちゃんと選んでね」

そう足元の獣が言うと、三つの扉がぼんやりと光る。

一番左の扉に何やら景色が浮かぶ。
柔らかな光のなかで、優しげな女性が赤ん坊をあやしている。

「母さんじゃないか」タカシは思わず声を上げていた。
母は、自分を生んでまもなく他界したのだ。
産後の肥立ちが悪く、それが原因で亡くなってしまった。

そのせいで父親との仲も悪く、実質祖父母に育てられたのだが、母なしの子は何かと奇異な視線を向けられる。
タカシは、それがとても心地悪かった。
母さえ存命なら……そう思うことも一度や二度ではない。
世間体はともかく、タカシは母に甘えてみたかったのだ。

しかし、これはどういう意味だろう。
母が蘇るのか、それとも死ななかった世界に塗り替わるのか。

「母さんが生き返るのか」タカシは足元の獣に聞いた。

「生き返る?いいや、そこに行けるんだよ。キミもとても幸せそうだ、その幸せそうな瞬間。そこに行けるのさ」

「そこに行って……それから?」

「それから?キミはおかしなことを聞くなぁ。ずっとその瞬間だよ、永遠に幸せだ。キミはお母さんとずっと一緒にいられる」

なんてことだ。
そりゃ母さんに会いたいが、ずっとそのままなのは嫌だ。
母さんが存命なままの『今』が欲しいのだ。

タカシは中央の扉を見る。大学の一室のようだ。
教授と話している。
教授は、たいそう何かに喜んでいるようだ。

「これは?」タカシは聞いた。

「キミの今の悩みが解決するんじゃないかなぁ、ぼくにはよくわからないな、難しくて」
足元の獣は、前足をぺろぺろ舐めながらそう答えた。

……なんだか、叶う願いの規模が小さい。

「この様子だと、単位が取れたんだろう。この後どうなるんだ」

「この後?君はおかしなことを聞くなぁ。このままだよ。キミを悩ませていた問題が解決して、ずっとそのままだ。良かったね」
獣は、事もなげに言った。

タカシは要領を得なかった。
とりあえず最後の扉も見ようか。

白を基調とした、統一されたインテリアのある一室。
タカシの横に美しい女性がいる。
その女性の肩を抱きながら、傍らのベッドを見つめている。
ベッドの中には、愛らしい赤ん坊が微笑みながら眠っている。

「素晴らしいじゃないか。こんな美しい女性と結婚することができるのか。しかもあんなに愛らしい子供まで授かっている」

「良かったじゃないか。じゃあ、その扉にするかい」

「ちょっと待ってくれ。これだけじゃ、ほかの情報が何一つわからないじゃないか。どんな仕事をしているんだ。裕福なのか?相手の親との関係は良好なのか?」
まくしたてるように聞いた。
白い獣は首をひねりながら、くくくーと唸った。

「だからさ、そんなことを気にしても、しょうがないじゃないか。君はおかしなことを聞くなぁ。そのままだよ。キミは愛しい女性とずーっと赤ん坊を見つめているんだ」

タカシは、徐々に事情が呑み込めてきた。
つまりは、その瞬間が手に入るのだ。
まるで切り取られた絵画のように、幸せであるその瞬間を手に入れることができる。

「冗談じゃない、幸せなその瞬間を繰り返すのが、幸せなわけがあるか」
タカシは、吐き捨てるように言った。

「えええー」獣は間の抜けた声でそう答える。

「期待をして損をした。こんなのは願いが叶うなんて言わない。帰るよ」

「まぁ、別に構わないけどさ、気をつけて帰りなよ。夜道は『暗い』から」

タカシは、少し拍子抜けした。
願いが叶うの真実を知ったこともそうだが、あっさり帰してくれるとも思っていなかったのだ。

とぼとぼと、タカシは歩いた。

少しカーブした、武骨で冷たい洞窟の壁面を見ながら歩いていた。

おかしい。

しばらく歩いた後、タカシは気が付いた。

来た道は、こんなに長くはなかった。
せいぜい五分程度で、先ほどの祭壇に着いたはずだ。
しかし体感で、もう三十分は歩いている気がする。

背筋に冷たいものが流れた。

湧き上がる、抑えきれない怖気と同時に、懐中電灯が消えた。

一片の明かりもない暗闇。
黒一色。

自分の姿すらわからない。
頼りになるものを探そうと、手で洞窟の壁面を探したが見つからない。

それほど横幅は、なかったはずなのに。

足元の地面だけが、自分との唯一の接点になっていた。
しかし、そんな地面すらもあやふやで、本当に立っているのか、実感がわかなくなってきた。

タカシはしゃがみこんだ。
頼るものが何一つない、この状態に恐怖しかなかった。

そんな時、ひゅっと微かな風と共に通りすぎる何かがあった。

それと同時に「だからぁ、言ったのに」と、間の抜けた声がした。

そんな声でも、タカシにとっては光明だった。

「懐中電灯が消えたんだ、助けてくれ。どちらが出口かわからないんだ」
タカシは縋るように言う。

「出口い?キミはおかしなことを言うなぁ。過去も、今も、未来も選ばなかったキミに出口なんてあるわけないじゃないか」
ソレは、可愛げな声で無慈悲に言った。

「何を言っているんだ。あんなもの、選べるわけないじゃないか」

「ぼくは最初に言ったよねぇ?ちゃんと選んでねって」
姿の見えないソレは続けた。

「まぁ、でも選ばない人が大半だったよ。みんなキミみたいに、暗闇の中、迷ってしまっている。お向かいの米田さんと、三軒先の川本さん夫婦は、ちゃんと選んだよ。美しい過去をね。先のないお年寄りだったからかなぁ」

突然、知らない名前が出てきて困惑した。

「お前は一体なんなんだ」タカシは聞いた。

「だからぁ、ぼくはカズヤだよ。村長の孫のカズヤだよ」

「村長?ここのか?なぜ、皆いなくなったんだ」

「誰かが禁を破ったからだよ。ぼくじゃあないよ。この場所はね、ずっと封印されていたんだ。柵で封をされて、入口だって、がちがちに固められていたんだ。それがある日突然、開いちゃっていたんだよ」

耳元で、何か、もごもごと動いている。
あの獣が、よじ登ってきたのかもしれない。

「ぼくはね、こんな村だろう?遊ぶものがなくて、ぶらぶらしてたんだ。そしたら大人がずっと入っちゃいけないって言っていた、寺院の柵が破れていたんだ。そりゃ入りたくなるよね」

「ちょっと待ってくれ、じゃあお前は、この村の子供だったのか?」

「そうだよ、カズヤだよ、ずっと言っているだろう。入ったら、ぼく、閉じ込められちゃってさ。ここにいた神様に扉の案内役を頼まれたんだ。最初は父さんが探しに来たなぁ。でも、父さんどれも選ばなくてさ、キミみたいになっちゃった」
ひどく無感情な声で、そう言った。

「その次は母さん、その次はおじいちゃん、その次はおじいちゃんを探しに来た村の人。芋づる式にどんどん人が来てさ。ぼくが知っている限り、村の人全員が来たんじゃないかな。キミみたいに知らない人も何人か来たよ。びっくりしちゃったなあ。キミの前に来た人は、ずっと独り言を言ってて怖かった」と、全然怖くなさそうに、ソレは笑いながら言った。

きっと、消えた動画配信者のことだろう。
なにも選ばず、暗闇の中を彷徨っているのだ。
そして……自分もそうなるのだ。
自分の心を体現するかのような黒一色の世界で、タカシは絶望していた。

「ここから出る方法はないのか」

「ここがどこを指しているのかわからないけれど、ぼくも全てを知っているわけじゃないからなぁ。頑張って歩いてみなよ。もしかしたら暗闇を抜けられるかもしれない」
くくくーっとそれは鳴いた。

「しかし、そんな姿で外に出ても、みんな驚いちゃうんじゃないかな。目はぎょろぎょろで怖いし、口も大きくなってるし……せめて、ぼくみたいに可愛ければよかったのにね」

タカシは、この洞窟に入る前に見た人形のことを思い浮かべていた。
目がぎょろぎょろで、口の裂けたあの人形……。

そういえば、いつだかの夜に見た夢に出てきた化け物とそっくりじゃないか。
自分もそうなっているのか……。

タカシは慟哭した。

それに合わせるように、暗闇の獣もくくくーと鳴いた。


深夜のとある廃村。

目をぎょろぎょろさせた、口の裂けた異形が列をなして歩いている。
列をなしてはいるが、お互いの姿は見えていない。
各々、自分の暗闇の中を彷徨っているのだ。
ぎょろぎょろとした瞳孔は右へ、左へ、忙しなく動いている。
涙で瞳を光らせながら、まるで出口を探すように。
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