プロローグ  ミカ、もんじゃを蹴る

文字数 6,522文字

 ランチを食べすぎた午後はいつも眠たくなる。職場のビルから見下ろす町を飛ぶカラスがなんとも自由そうに見えて、(羨ましいな…)そんな事を考えていた時だった。
「ミカちゃん来月はどこまでライブ見に行くの?」
前の席でパソコンを叩いている島村さんが話しかけてきた。島村さんはミカより三つ年上の男性社員である。
「来月は新宿とシモキタです。今日は横浜でーす」
え?と島村さんは驚いて言った。
「今日なの?今日は営業二課の石野課長の歓迎会だよ。機械営業部は参加必須だぜ」
私は手を顔の前でフリフリして答えた。
「知っていますよ!もちろん出ますよ。部長も来る会だし、さすがに出ますってば!」
私は得意げに続ける。
「最初から見たかったけれど、今日は四つのバンドが出るライブだから。そんなに急がなくても大丈夫なんです。彼らようやくトリやるんです。ようやくトリ!あ、トリってわかります?最後ってことですよ。ちょっとほかのバンドより長く演奏するし、アンコールもやるんですよー嬉しい!」
島村さんはちょっと困り顔で浮かれた私の方を見ながら言った。
「横浜はここから行けば近いけど、歓迎会の場所からだとちょっと遠いかもよ。高木課長の実家が月島でもんじゃ焼き屋さんをやっていて、今日はどうしてもそこでやる!って意気込んでいたからさ」
「はぁ?月島?」
まじか!月島?なんだそれ聞いてないぞ!月島もんじゃに恨みはないが、高木に物申したい!!
「私、突然お腹痛くなってきました…今日早退しようかな…」
 その時後ろから思いっきり肩を叩かれた。
「杉野ちゃーん、ダメだよダメだよー。今日は若者にも参加してもらわないとさー。そのために今日はみんな定時に仕事終われるようにしてね!杉野ちゃん有給も良く取るからさあー、今日ぐらい、付き合ってよね」
出た!高木!高木は営業一課の課長だ。社内でも営業成績がピカイチで、機械営業部を引っ張る切れ者だ。面倒見もよく部下からの人望もあつい。が、声がデカいのと気合いが入り過ぎて少々あつくるしいのがたまにキズだ。
(高木!肩でもお触り禁止だぞ!)私は心の中で叫びながら、高木に向かって言った。
「あのお…今日は何時くらいまで歓迎会ですかねぇ…一次会には必ず参加しますからぁ…二次会は勘弁してくださいよぉお願いしまぁす!」
私は両手を胸の前で合わせると、とっておきの可愛らしさを見せながら言った。高木はちょっと笑って、
「杉野ちゃんはいつも二次会いないからさー、飲み会参加も久しぶりなんだからさー、今日は必ずカラオケ参加で!頼むよ!」
島村、見張っとけよ!という言葉を残して高木は嵐のように去っていった。
「ミカちゃん今日、横浜に何時よ?」
乗り換え案内とにらめっこしている私には、もう島村さんの言葉が耳に入らなかった。
 私が推しているバンド『ヨツカド』は、ボーカル、ギター担当のシンノスケをリーダーに、ベースのマサ、ドラムのジョウから成る結成四年目の三人組バンドである。初めて彼らのライブを見たのは三年前。私が社会人になったばかりの頃のことだ。当時付き合っていたカレに、お前と喋っていてもつまらない。お前と付き合っていても意味がないと言われて振られた時だった。この時期の事はあんまり振り返りたくないけれど、ヨツカドの事を話すなら必要だから仕方ない。カレから言われた言葉を、ひどいひどいと言いながらあの頃は毎晩呑み歩いてた。ハロウィンで街が賑やかになる頃、そんな街の様子とは真逆でからっぽの状態のまま私は友だちに誘われたライブハウスへと初上陸したのだ。
わりと名前が通った大きなライブハウスにいくつかのバンドが集まるイベントだった。人が多くてごちゃごちゃしていてムシムシと暑いライブハウスは、正直とっても居心地が悪かった。私はそこのライブハウスの名物、レッドアイをせめてもの救いにして友達の隣に並んだ。会場の中を見渡すとみんな楽しそうにおしゃべりしたり、DJが選曲した音楽に合わせて気持ち良さそうに揺れている。そんな中私は、果たして自分がどんな音楽が好きだったのか思い出していた。彼の好きな音楽なら思い出せるかしら?いつも車の中で聴いていたラジオでは、最新の洋楽ヒットソングがかかっていた。その歌を聴きながらどんな話をしたんだっけ?彼が楽しそうに話しているのを私はいつも聞いてた。うんうん頷きながら聞いていた。彼と一緒にいるだけで楽しかった。今隣にいる友達はこれから始まるライブを、目を輝かせて待っている。彼の隣にいた私もこんなにキラキラな目をしていたんだろうか。隣にいるだけでよかったのに、今はそれすら叶わない。私には何もないな。そんなことを考えていた時、照明が落ちた。
 カントリー調の音楽にのって舞台袖から最初に出てきたのっぽの一人はドラムセットの前に座り、肩まである髪の毛をバンダナでまとめていた。とても整った顔立ちの男性で、掘りの深い顔が彫刻のように見えた。次に出てきた一人は、短髪に大きめの緑色の石が付いたピアスを付けていた。こちらも背が高く、なにやらしきりにぴょんぴょんとジャンプをしている男性。これまたそこそこイケメンだ。最後にゆっくりと踏みしめるように歩く一人。この男性は他の二人に比べると地味だが、愛嬌のある笑顔でスタッフの人と話している。笑うと目がきゅってなって、口元がぱかっとあいて、本当に楽しそう。この人の歌聞いてみたい。私はそう思った。
 準備が整ったのか、舞台の照明が一度落ち、しばらくしてから赤いスポットライトが笑顔の素敵な男性に注がれた。彼はマイクに向かって、
「ヨツカドです。始めます。どうぞよろしくお願いします」
って言った。のだと思う。マイクの電源が入っていなかったのだろう。その声は殆ど聞き取ることができなかった。口の動きだけで、そういっているのを感じた。人気のあるバンドならそんな失敗ですらキャーとか叫ばれたりするのだろうが、残念ながら全くそんな空気はない。ほとんどの客が私の友だちも好きなバンド、メンバー皆がなんとなくイケメンの、『DALI』というバンドを推している人たちだったので、彼らの失敗など耳に入っていないのだろう。
 ヨツカドの味方などいない場所だった。みんなほかの事に夢中で、彼らのことなど気にしていない。こんな所で歌っても誰にも届かないのではないだろうか。私はそう思った。友人のおかげで前から二列目のど真ん中をキープしていた私は、この位置で知らんふりするのはあまりにも可哀想だ。せめて私くらい観ていてあげようかな、と、しばらく彼の口元をみていた。もう一度言ってみたら?そう思った瞬間、彼がドラムの男性に向かって手を上げながら言った。
「もういいや。勝手に始めます」
この時の強い声と、照明で赤く染まった長い手に私は一方的に恋に落ちた。なげやりに言い放った時の強い目とは対照的に、ドラムのカウントで歌い始めた優しく包み込むような声を私はきっとずっと忘れないだろう。こんなに人が沢山いるのに、自分だけに歌ってくれているようなあったかい声と、三人がお互いを見ながら楽しそうに演奏する姿に、私は心の底からすごいと思ってしまった。
最後の歌の前、ボーカルのシンノスケは言った。
「この歌は、まだ俺が中学生のころ、ある女性のために作った歌です。どこかで聴いてくれていますように」
そうして始まった歌が、『ブラックホール』だった。
この曲の最後の歌詞が、私を変えた。大げさだけど、私を変えたのだ。

私には何もないって 君はいうけど
綺麗じゃないしって 君はいうけど
そんなこと どうでもいいよ
君がくれたあのひとことが ぼくを変えてくれたから
ブラックホールにだってすいこまれるよ
ひとこと 君がそういうなら

 私はその日気分が悪くなったからと嘘をつき、友人を置いて先に帰った。終電にはまだ余裕で間に合う時間だったけれど、二時間かけて自宅まで歩いた。ヨツカドの歌詞と今までの自分を比べながらひたすらに歩いた。綺麗じゃなくてもそんなのどうでもいいから君が好きって言ってくれる人、私にはいないんだな。そう思ったら、振られてから一番の孤独を感じた。
私は静かな住宅街を、声をあげて泣きながら帰った。
私はヨツカドの、シンノスケの不器用だけどまっすぐな歌のとりこになった。
その日から、私はヨツカドのライブを見るためにひたすら情報を集め、仕事をし、ヨツカドに会うためだけに休日を使った。
ヨツカドはそれからもコツコツと活動を続けた。相変わらずオシャレじゃない不器用な歌詞だけど、私のようにそこも美点!と受けいれてくれるファンもついた。ドラムのジョウとベースのマサのルックスも注目ポイントだったようで、キャーキャーと声が上がるようにもなった。やがて名の通った事務所から声がかかり、安定してライブができるようになった。
そんなヨツカドが今日、私が初めて見た会場で、トリを務める。だから今日は何がなんでも絶対に、絶対に行きたかった。私はなんとか飲み会を抜ける方法を考えながら、パソコンに向かった。
 得意先から電話があったのは終業時間三十分前。私を除くみんなが、もんじゃ焼きモードになっている時だった。
「はい。申し訳ありません。すみませんでした。これからすぐに。はい。」
島村さんの声が緊張している。電話を切ったあと、島村さんは高木に話に行った。高木の顔色が変わった。会議室に移動して何か話し込んでいる。やがて会議室から出てきた島村さんは、急いで上着を着ると私を見て言った。
「ミカちゃん、トラブルがあって急遽お客さんの所に謝りに行かなきゃいけないんだ。君も一緒に来てもらえる?」
いつも穏やかな島村さんの顔がこわばっている。その様子に、私は慌ててジャケットを羽織った。
「島村さん、どうしたんですか?私、そのお客さんの担当じゃあないですけど…」
「とにかく早く!お客さん怒ってるから。早く!」
島村さんは高木に、
「今日は僕と杉野さん、そのまま直帰します!」
と伝えた。私は島村さんの勢いに押されるまま、エレベーターに乗り込んだ。ふたりきりになると島村さんは強張った顔をゆるめた。そしていつもの優しい顔に戻ると、私にウインクしながら言った。
「ミカちゃん、今日帰っていいよ!」
「へ?」
ミカは聞き直した。
「だから、ライブ行っていいよ。月島からじゃ間に合わないよ多分。だから今日はこっから行きな」
「島村さん、え、なんで?いいの?」
島村さんは私の目を見ていった。
「お客さん、本当はそんなに怒ってないから大丈夫。ちょっと改善要望があるから聞いてくるだけ。だから一人で行けるよ。それよりミカちゃんは大事なライブに行きなさいよ」
島村さんは急にお兄ちゃんみたいな口調で話しだした。
「ミカちゃん去年の今頃さ、横浜であったライブ、行ったでしょ?」
ああ、確かに行った。あれはラジオ番組の企画で行われた、何組かバンドがでているライブだった。島村さんは私の目を見て言った。
「おれ、あのライブ見に行ってたんだよね。総務の田中に誘われて。」
田中さん、、たしか島村さんと同期の、オトナキレイ女子だ!
「おれ、ライブとか興味なかったんだけどね、一緒に行こうって誘われて行ったの。そしたら、ミカちゃんがいてさ。」
え…?!ヨツカドのタオルを首に巻いてひたすらシンノスケを拝んでいるところ見られたの?やばい!私は恥ずかしさのあまり下を向いた。顔が熱くなるのが分かる。
会社のエレベーターは一階に到着した。
私たちは会社を出て、すぐ横にある地下鉄へのエスカレーターに乗った。
「あのー、ヨツカド、どうでした?」
私は下を向きながら、後ろにいる島村さんに聞いた。とても恥ずかしかったけどそれより何より、私は島村さんからヨツカドの感想を聞きたかった。先を行く島村さんは私の方を振り向いて言った。
「あのボーカルの人の声すごいね。喋り方は控えめで丁寧なのに、歌うと俺の歌を聴け!みたいになるね」
「そうなの!そうなの!私あの声が好きでハマっちゃったの!」
私は思わずタメ口になった。今まで同じ職場の人とヨツカドの話をするなんて考えた事がなかったので、余計に嬉しかった。
「結局田中とはその後、なんとなく話さなくなっちゃったけど、俺はあのライブでヨツカド…ミカちゃんが…んだよね」
「え?なに?」
ヨツカドを褒められた嬉しさと、自動改札機のピピッていう音に、私は島村さんの言葉がよく聞き取れなかった。改札を入ったら島村さんは各駅、私は急行に乗り別々になる。その前に、ヨツカドの話がしたい!
私は島村さんにもう一度聞いた。
「島村さん、さっきなんていいました?」
島村さんは、意外な答えをした。
「ブラックホールにだってすいこまれるよ ひとこと 君がそういうなら」
島村さんの口から発せられた言葉にはっとした。
「え?ヨツカドの歌詞覚えてるの?」
島村さんは私の質問には答えずにまた言った。
「ブラックホールにだってすいこまれるよ ひとこと 君がそういうなら。あの時、ミカちゃん、泣いてたんだよ。この言葉をシンノスケが歌った後、ミカちゃんの目から涙が流れるの、俺見てたんだ」
すごくキレイだった…島村さんは独り言のように呟くと、
「あの時のミカちゃんがとっても綺麗だったんだけど、それと同時にすんごい羨ましかったんだよね。俺、泣いちゃうくらい好きなもの、何もないからさ。ヨツカドにも、ミカちゃんにも、嫉妬したよ」
私は驚いて島村さんを見た。
「え?島村さん、何でも出来るじゃないですか!仕事も早いし課長からも頼りにされてるし、女子からも憧れの眼差しを向けられてるじゃないですか!私なんかよりずっと…」
島村さんの言葉を思い出しながら私は、急に恥ずかしくなった。
すごくキレイだった、なんて言われた記憶、最近めっきりないもん。島村さん良い人だと思うけど、私は今シンノスケに恋をしているし、シンノスケより魅力的な男性、今のとこいないもん。島村さんは急に黙った私の気持ちを察したのか、笑いながら言った。
「ミカちゃん、違う違う!ミカちゃんの事は素敵な女性だと思うけど、好きとかとは少し違うから。俺はただ、ミカちゃんがヨツカドを好きな気持ちがひたすらに羨ましいって言ってるんだよ」
島村さんは下を向いて続けた。
「俺は今、仕事以外で楽しいことがない。家に帰って次の日の昼メシを考えながら天気予報みて晩酌するくらいしかないからさ」
寂しそうに笑う島村さんをみて、私は決めた。そうだ!それがいい!私はスマホで今日のチケットが売り切れてないか急いで確認した。良かった!まだ少し残ってる!
私は購入ボタンを押した。
「島村さん、今日のお客さんのところ何時くらいに終わりますか?」
私は島村さんから出るマイナスの空気を押し返すかのように、思いきり明るく尋ねた。
「うん…多分、そんなに長くはかからないかな…七時くらいには終えて、俺も家でゆっくりしちゃおうかなって思ってたから」
島村さんは口に人差し指を立てながら、
「内緒だけど俺、もんじゃ苦手なんだよね」
と言った。私は嬉しくなって島村さんの肩をたたくと、
「よし!島村さん一緒にライブに行きましょう!七時まで打ち合わせなら、七時半には行けるよ。ヨツカド間に合う。大丈夫!私も取引先行くから、気合いで改善要望聞きますよ!ほれ、行きますよ!」
訳の分からないといった顔をしている島村さんの背中を押して、丁度到着した各駅停車に乗り込んだ。
「ミカちゃんが遅れちゃうよ、せっかくのライブなのに…」
島村さんは心配そうに私をみた。
「早く終わらせて早く行きましょう!そんで、島村さんも泣きたくなるほど大好きな曲、探しましょう!」
電車は取引先の最寄駅まで、私たちを乗せて出発した。
 
私の人生を変えてくれた歌が、ほかの誰かの人生に意味を成すかは正直分からない。今日のライブにたまたま島村さんの人生を左右する音楽があるなんて奇跡、多分ない、と思う。
でも、音楽がほんのひと時でも、誰かの心を救ってくれることは、必ずある。
シンノスケに言われたらきっとブラックホールにだって吸い込まれちゃうのに、って思ったのは、きっと私だけではないはずだから。

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