五、ツネに正しくあれ!

文字数 9,109文字

終業式の日。小学生たちは
「ゴジラだー」
と叫びながら大きな口を開けてハーッハーッと息をする。明日からの休みを想像し、喜びを爆発させて登校する。
中学三年生たちは
「つまんねー」
と下を向いてハーッと盛大にため息をつく。学校があった方が気晴らしになるのに終わっちゃうなって思いながら。あーあ、嫌んなっちゃうな。
 ネコ坂を降りたところにある神社の前では、浮かない顔の俺たちをツネがいつものように待っていた。ツネはいつ見ても余裕のある涼しげな顔をしている。冬に見ると寒くなる顔だな。まだ俺のが温かみのある顔をしてるぞ。うん間違いない。今朝はこの冬一番の寒さだというから巻いているであろうマフラーは、某有名ブランドのチェックのマフラーであるが、多分そこいらのモデルよりかっこいいぞこいつ。俺のマフラーは姉ちゃんのお下がりだぞ。花柄隠すために変な巻き方してんのに、なんだそのいけてるマフラーの巻き方は!なんだそのメガネは!いちいちかっこいいじゃねえか。昨日あんまし寝てないからイライラしてんだよこっちは!
「っはよ。今朝は冷えるね」
ふてくされ気味に発した俺の言葉にツネは、よお、と手をあげる。あれ?今日は少し元気ないかな?目が腫れぼったいや。悔しいぐらいかっこいいのは変わらないけど、近くに寄ってみて初めて気づいた。
「おはよ〜。おっ!ツネどうした?またおやじさんと喧嘩したか?」
マサもやはり気付いていた。ふざけ半分顔を覗き込みながら尋ねた言葉がビンゴだったらしい。ツネは
「ちょっと昨日の夜また喧嘩しちゃってね。やっぱり志望校がね…担任からも、親からも言われたよ。東光大附属、一応受けろって言われたわ」
「おやじさんもしつこいな。こないだ話した時は分かってくれたみたいな事言ってたじゃないかよ」
そうなのだ。綾子おばあちゃんのラブレターの一件があってから、ツネは一大決心をして家族会議を開いたらしい。
ツネはちゃんと自分の気持ちを伝えられたし、おばさんも賛成してくれたそうだ。
でも、肝心のおじさんは首を縦にも横にも振らなかったそうだ。俺はツネが気の毒になった。かっこいいだけじゃあどうにもならないことってあるんだな。
「学校も塾も、受かりゃ評判になるからさ。受けさせたいだろうな。で、受かったら行かされるんだろうな、きっと。」
冷静なツネの言葉に俺は思わず、
「人ごとみたいにいうなよ」
と言ってしまってから後悔した。一番文句を言いたいのはツネだ。そのツネが少し軽く考えようと発した言葉に突っかかるなんて、俺もよっぽど頭にきていたんだろう。
「わるいな、余計なこと言って」
俺はツネに謝った。
「いや、いいよ。ありがと」
ツネは少し笑顔になった。
「シンノスケはどうなった?おじさん分かってくれたか?」
俺は嫌なところを突かれたと思った。俺のほうこそ何も進展していない。相変わらず週末には店を手伝っているし、何も前進していないじゃないか。俺はカバンを開けてなにかを探すふりをした。
「あれー?さっきあまりにも寒いからホッカイロ入れてきたんだけど…ここにしまったはず…俺?俺の方は、まあ、大丈夫だ!今まで通り手伝ってくれるならいいってさ。そもそも父さんは、後継ぎが欲しいとかそんなこと思ったことないんだってさ。いざとなりゃ、店は閉じても構わないって。ただ、俺が好きそうだからやりたいなら教えたいって思っていたんだってさ」
俺は少し心苦しかったが、全くのでたらめを話した。ツネは、
「そうは言っても継いで欲しい気持ちはあるだろうな。でもそれでもシンノスケの気持ちを優先してくれるおじさん、優しいな。良かったな」
「うん。ありがと…おっと、あったあった!これで防寒対策バッチリ!行こうぜ!」
うまくごまかせたかな。俺は少し考えながらも、磯やんの店の方へ一歩踏み出した。
その時だ。ネコ坂の方から、ドタドタとすごい音が聞こえた。嫌な予感がした…。
「おっはよー!」
「おはよ〜!」
聞き慣れた女子の声。マサとツネが、
「おはようございます!」
と、大きな声で返す。はい。嫌な予感的中!
「ねーちゃんたちさ、もうちょい静かに降りてこいよ」
国津高校の制服を着てギターケースを背負っているのが下の姉、優香。でっかいトランクをガラガラひいているのが上の姉、遥香。
「だってトランク持ってんだから仕方ないでしょ?」
そう言って遥香は笑った。
「おはようございます。遥香さん今日も綺麗ですね」
もう、そーゆーこと言うからこいつら調子乗るんだよ。
「ツネくんありがと。ツネくんもいつもかっこいいよ」
遥香が言うとツネは一瞬赤くなったように見えた。が、すぐいつもの調子に戻って、
「遥香さんお久しぶりですね。会社はお休みなんですか?久しぶりにこちらにいたなら、会いたかったなあ。もう帰っちゃうの?」
と言った。遥香は、
「ああ、一昨日からこっちに来てたのよ。今日からちょっとスキーに行くの。年末はまた仕事だからその前に休んでおこうと思って。大学時代の友達が長野でペンションやってて遊びに来てって言われてね」
じゃ、と言って遥香は神社前のバス停に向かって歩いた。
「シンノスケ、ちゃんと勉強すんのよ!」
という余計な一言を残して。いちいちうるせえなぁと思いながらも、俺は
「お土産送ってくれよー」
と叫んだ。仕事がひと段落したとかで、会社に長期休暇を申請したそうだ。長野のスキー場で存分に滑るって話してたっけ。頭いいんだから、休暇中に可愛い弟に勉強教えてやろうとか、弟の力になろうと言う気は姉ちゃんには微塵もない。ま、いない方が静かでいいか。一方優香もここで友だちと待ち合わせのようだが、いきなり背負っていたリュックを下ろすと何やら探しはじめた。
「うわぁ!どうしよー!ペン忘れちゃったよぅ。シンノスケ、シャーペンかボールペンかして!」
「あのさぁ、学校行くのにペン持って来ないってどう言う神経なんだよ。ほんと信じらんない」
俺は呆れながらリュックを下ろした。
優香は、
「今日はホームルームだけだからさ、要らないかなぁと思ったんだもんー」
というと、お願い!と言うように手を合わせて頭を下げた。俺は
「しゃあねえなぁ」
と言いながら筆箱から一本シャーペンを取り出そうとした。そのとき、
「優ちゃん、これ使えよ」
俺より先に、マサがペンを出していた。
「わおー!マサーありがとぉーたすかるー!」
優香はペンを受け取ると、後ろから
「優香!行くよー」と友だちに呼ばれて行ってしまった。
マサはポーっとしながら優香の後ろ姿をみている…これは…!
「おい、お前らくれぐれもあいつらの外見に騙されんなよ」
マサも、ツネも顔がみるみる赤くなる。
「おいー、お前らあいつらのどこが良いんだよ。あんなうるさいやつらいないぞ」
バス停にいる遥香を見ながら、ツネは言った。
「シンノスケ、お前の目は節穴か?遥香さんの美しさと明るさは小田川町の宝だぞ!小田川親善大使にも選ばれたあの美しさは本物だそ!」
マサも続ける。
「シンノスケ良いなぁあんな可愛いねーちゃんがいて。優ちゃん可愛いよなぁ。吹奏楽部のアイドルじゃんかよ。国津通いたい奴の八割が優ちゃんが目当てだと言っても過言ではないぞ!」
はぁ?お前ら大丈夫か?俺は呆れてモノが言えなかった。
たしかに、顔は綺麗かもしれない。
遥香は化粧してはいるがあんまり派手にしなくてもまあ綺麗だし、優香も校則で色付きリップのみ使用可なのでメイクはできないけど、大きな目と長いまつ毛が特徴的だ。
確かに。父さんも母さんもかつては美形だった(らしい)し、俺を除いてみんな一七五センチはある長身一家は、並んで歩いていても目立つ。何度も言うが、俺を除いては。
 残念ながら俺にはあまりその美貌と長身は受け継がれなかったようで、上二人と似ていない容姿に親戚からは、
「シンノスケは橋の下にいたのを拾ってきたんだもんね」と言われ、小さい頃はほんとに拾われてきたのかもしれないと悩んだ事もある。
だが、母さんのじいちゃん(つまりひいじいちゃん)の写真を見たとき、どうやら俺はこの人のひ孫で間違いなしと思った。そのじいちゃんが、とてもよい声をしていたそうだ。隔世遺伝…まあ、良いけどね。こないだ綾子おばあちゃんの役にも立てたしさ。
「おーい三人とも遅いぞ!終業式に遅刻するなんてカッコ悪すぎだろ」
磯やんの声がする。校門まで十分ほどの距離を、俺たちはダッシュで七分で駆け抜けた。
「冬休みはこれまでのペースを乱さすにな。風邪ひかないように気をつけて過ごすん…」
担任の鴨島(あだ名はかもじい)が言い終わるのが早いか、椅子のガタゴトが早いか分からないがみんな撤収が早いな。かもじい、ショゲてんぞ。
年末年始って言っても、俺らには受験勉強をする以外道はないし、当然なことを偉そうに言われるのは親だけで充分だもんな。
ツネはこれから塾の特別講習だというから駅前へ、俺とマサは部室を覗いてから帰ることにした。部室にあるロッカー(とは言っても人数分はないのだが)を開け、まとめて置いていた参考書をひっつかんで紙袋にしまうと部室を出たところで、磯やんに遭遇した。
「よぉ、今帰りか?」
磯やんは正月に開かれる柔道大会に強化選手として招待されている。彼はもう柔道推薦で高校は確定しているから本業に専念できるのだろう。
「お!今帰るとこだよ」
マサが答えると磯やんは
「朝言い忘れちゃったんだけどさ、ばあちゃんが帰りがけにちょっと寄って欲しいって言ってたよ」
「綾子おばあちゃんが?わかった!寄って帰るよ。じゃあな磯やん。練習頑張れよー」
俺とマサは学校を出ると磯やんの家に向かった。
 磯やんの家のインターホンを押すと、タロの声がする。
「ハーイ イソタデゴザイマスー!ヨツカド―」
続いて綾子おばあちゃんの声がする。
「はーい。開いてるから上がって待っててー」
俺とマサはドアを開けた。途端に焼きリンゴの良い匂いがする。
「リンゴーカワーイーヤー」
リンゴの歌の一節を歌うタロ。
「懐かしい歌だなー。修学旅行のバスの中で歌ったよな」
春に行った修学旅行は岩手だった。チャグチャグ馬コ作りをしながらガイドさんが歌ってくれたっけ。
やがて甘酸っぱいなんとも言えない良い香りをまとって、おばあちゃんがやってきた。
「呼んでおいてお待たせしてごめんね。これ、一日早いけどクリスマスプレゼント!」
というと、おばあちゃんは大きなケーキの箱を一個ずつ、俺たちに渡した。
「去年老人会で習ったの。それからアップルパイを焼くのが楽しくてね、丁度昨日紅玉をもらったもんだから作りたくなってしまってね。でも、咲ちゃんも樹もあんまりアップルパイが好きじゃないのよ。だから、シンノスケ君たちに食べてもらおうと思ったの。クリスマスプレゼントになるかなと思って」
おばあちゃんは別の箱を風呂敷に包むと、
「ツネ君はさっき帰りがけに会ったのだけど、まだ焼けてなかったから。申し訳ないのだけど一緒に持って行ってくれるかしら…」
「ツネ、塾行ったんじゃ…」
言いかけたマサを遮るように、俺は言った。
「了解です。おばあちゃんありがとう。アップルパイ大好物だよ。帰り道だし、ツネに渡すね!」
俺とマサはおばあちゃんに深々とお辞儀をして、磯田家を後にした。歩き出してすぐ、マサが、
「おい、ツネは塾じゃないのかよ」
と言ってきた。たしかに、学校では塾に行くって言っていた。でも、奴は嘘をついた。俺はマサに囁いた。
「朝からツネ元気なかったし、ちょっと心配なんだよね。だから届けついでにちょっと様子見に行こうぜ」
マサは頷いた。俺とマサはツネの家に向かって歩いた。
ツネの家は、磯田家と神社の真ん中あたりにある早川内科医院の二階、三階部分だ。この医院が出来た時は、レンガ造りの、まるでお城のような外観に驚いたものだ。煙突や出窓なんてテレビの中の世界だったし、なんとも田舎町には不似合いな建物だった。ツネのお父さんがダイビングが趣味とのことで、海が近い場所にぜひ開業したい!と、この地を選んだらしい。丁寧な診察と夜遅くまでやっているので開業して十年経つが、いつも人がたくさんいる、評判の医院である。
ツネの自宅へは病院側からでなく、裏の門から入る。裏と言っても立派な門に綺麗な白い柵がある。柵にはクリスマス前ということもあり、真っ赤なリボンと金色のベルが付いている。遥香や優香が見たらきゃあきゃあ言いそうなお洒落な、ステキな家だ。「HAYAKAWA」という立派な表札の下についているカメラ付きインターホンを押そうと手を伸ばした時だった。
「だから何度言えば分かるんだよ!僕はあそこに行くつもりはないんだよ!小田川高校に行きたいんだ!」
ツネの声だった。聞いたことないような大きな声だ。続いておじさんの声がした。
「常、なにもそこまで今決めることないだろう。受けるだけ受ければいい。落ち着け」
バタンと音がしてドアが開いた。ツネが真っ赤な顔をして飛び出してきた。
「常くん!」
ツネのお母さんの声が追いかけてくるが、ツネは振り返ることなく俺たちの方に向かってくる。
「マサ、シンノスケ、何やってんだよこんなとこで…」
俺はツネの手を掴むと、
「おばさん、ちょっと家で勉強しますね」
と言って俺はツネを引っ張って神社の方へ歩いた。
 小田川神社の鳥居をくぐるとすぐに小さい池があり、そこには大きな鯉たちと数匹の亀が住んでいる。その池には五秒ほどで渡れる短い橋がかかっていて、橋を渡った先には薄汚れた青いベンチと小さな社務所がある。
本殿は社務所の先に続く階段の上にあり、海の安全を祈るために海の神が祀られているという。毎年四月の祭りの時期には、大きなお神輿が街を練り歩く。昔はそのお祭りも賑やかだったが今はあまり活気もなく、駅まで途切れることなく並んでいた屋台も最近では神社の周りに数店しか見られなくなった。俺らが小学生の低学年の頃には、よくこの階段でチヨコレイトとか言いながら遊んだよなぁ。神社は本殿の後ろが山になっていて、その山でも段ボール滑りしたりよく遊んだもんだ。それがここ数年で駅前にいくつも塾が出来、習い事で忙しいのだろう遊ぶ子どもたちの歓声はほとんどなくなった。音といえば池の中の鯉がバシャバシャっと立てる水しぶきくらいだ。
「もういい加減放せよ!」
ツネは社務所の前で俺の手を振りほどいた。冬眠直前の亀が石の上で甲羅干しする池の上で、俺とマサとツネはしばらく黙って、下を向いていた。こんなときの一分って、三十分くらいの長さに感じるよな…大げさな感じもするが、一瞬がそのくらいの長さに感じる時もある。
「いつもはこんなに誰もいないのに、大晦日には、お参りの人で鳥居に入れないくらい並ぶんだよなぁ」
沈黙を破ったのはマサだった。いつ壊れてもおかしくない古いベンチにドスンと座ると、足を組んで俺とツネを見た。マサはクラスでは何にも考えなしに明るくしている癖に、実は人一倍周囲に気を遣うやつだ。気まずい沈黙に耐えられなかったのだろう。
 ようやくツネが口を開いた。
「俺は早川家の跡継ぎだそうだ。男だから。産まれた時から医者になるって決められてるそうだ。なんだよそれ!勝手に決めんなよ。勉強は好きだからやってんだ。医者になりたいからじゃない。跡継ぎってなんだよ。時代遅れだよそんな考え!!」
ツネは怒っていた。とてもとても怒っていた。それはだんだん大きくなり震えだす声で充分に分かった。俺やマサと違って、ツネはいつも穏やかで冷静だった。でも今は違う。抑えられない感情が吹き出していた。初めて見るツネの怒りに、俺はどう声をかけたら良いか分からなかった。
再び沈黙がやってきた。
この気まずい沈黙をかき消してくれるのなら、雨粒の演奏さえ大歓迎だ。なのに今日は良く晴れて空気が絶賛乾燥中なのだよ。晴れているのにすごい寒いけどひなたは少しあったかいかな…甲羅干しする亀には絶好のチャンスだろうけど。
そんなこと考えながら、俺はツネをこんな場所に連れてきてしまったことを反省した。風邪を引かせてしまうかもしれない、今日は帰ったほうが良さそうだ。そう思っていた時だった。
「ツネくんの言う通りだね。それは」
橋の上に立っていたのは、綾子おばあちゃんだった。
「おばあちゃん、何してるの?」
俺はおばあちゃんに聞いた。
ツネはしばらくポーッとおばあちゃんを見ていたが、突然ふふっと笑い出した。
綾子おばあちゃんも、俺も、マサも、何が可笑しくて笑っているのか分からなかった。ツネはしばらくの間、くっくっくと笑っていたが、やがて耐えきれないと言うように大きな声で笑い出した。お腹を抱えて笑っている。
悲しくてネジが一本取れてしまったんじゃないだろうか。心配になって声をかけそうになった時だった。
ツネは途切れ途切れ話しだした。
「お、おばあちゃんさ…サンダル…逆…!」
おばあちゃんの足元を見ると、、、
本当だ!おばあちゃんのサンダル左右逆だ。普通のサンダルならまだしも、右左揃えるとクマの顔になるサンダル(きっと咲ちゃんのだ!)だから、左右逆に履いているとクマの顔が中途半端でどこか情けない。それがたまらなく可笑しい。茶色のコートの下に白い割烹着をきて、メガネをかけて、黒いモコモコのズボンに情けないクマのサンダル。おばあちゃんには申し訳ないけれど、とってもとっ散らかっていて、可笑しいコーディネートだ。
おばあちゃんは自分の足元をみてしばらく動かなかったが、突然はじけたように笑いだした。その声が静かな神社の硬く冷たい空気をほぐした。
おばあちゃんはそれからもしばらくクックと笑っていたが、
「あーあ」
と言うとマサの横にヨイショと腰を下ろし、サンダルを正しく履き直した。
「恥ずかしいわぁ。アップルパイの温めかたを書いた紙を渡し忘れちゃったからね、渡さなきゃと急いで来たからね、歩きにくいとは思ったんだけどねーあー!ドジだねぇ私ったら!」
おばあちゃんは自分のおでこをぺしっとたたくと、ヨイショっと立ち上がってツネの顔を見ながら言った。
「ツネくん、ここは寒いから家でアップルパイ食べましょう。マサくんもシンノスケくんもいらっしゃい。それに昨日またコーヒーをもらったの。今度はグアテマラだよ」
俺はおばあちゃんの言葉を待ってましたとばかりに、
「おばあちゃんありがとう。ぜひ!おい、マサもツネも行こうぜ!」
と言った。マサは大きく首を縦にふり、ツネもようやく顔を上げて
「はい。ありがとうございます」
と、笑顔で言った。
綾子おばあちゃんが現れてくれたおかげでツネが笑顔になった。神社に連れ出してしまった手前引っ込みがつかなかった俺はおばあちゃんの誘いがとっても嬉しかった。マサはツネとおばあちゃんの手をとると、
「やったーアップルパイだー!」
と言いながら、ぴょんぴょん飛び跳ねて橋を渡って行った。
おばあちゃんの家に入ると、まだアップルパイの甘い香りがした。タロの
「タダイマー!」の声もどこか明るく聞こえる。暖かい甘い空気に包まれ、俺は一気に心がほぐれていくのが分かった。おばあちゃんは、
「上がって私の部屋でちょっと待っていてね」
と言って台所に行った。俺たちはおばあちゃんの部屋に入る前にタロの籠の前を通った。
「タロ、こんちは!」
俺が言うとタロは、
「コンチハ!コンチハ!」
と言った。
「タロ、また会ったな。元気してたか?」
マサが言うとタロは
「ゲンキシテタカ!ゲンキシテタカ!」
と答える。
「聞いてるのはこっちなんだが…」
マサは言うと、籠の中を覗きながら言った。
「あれ、可愛いな!」
見ると、餌の乗っている陶器のカップがクリスマス柄になっている。赤い靴下とサンタ
の絵が書かれているカップは、駅前の洋菓子屋のプリンが入っていたものだろう
「タロちゃんはケーキとか食べられないけど気分だけでも、と思ってね」
後ろからおばあちゃんの声がした。おばあちゃんは三つのコーヒーカップと、一つの大
きなマグカップをお盆に乗せていた。すかさずツネが、
「お持ちしますよ」
と、お盆に手をかけた。おばあちゃんは、
「ありがとうね。ツネくんは本当に優しいね」
と言うと、お盆をツネに渡した。マサがおばあちゃんに、
「じゃあ、俺アップルパイ運ぶ係ね!」
と言うとおばあちゃんは、
「マサくんもとっても優しいね。ありがとうね」
と笑った。照れ臭そうに笑うマサに俺は、
「学校でもそれくらい優しけりゃ、ツネに負けないくらい女子に大人気なのにな」
と言うとマサは、
「やつらは可愛くないんだよ。すぐ怒るしさ。たまに手伝おうとすると、何か裏があるんじゃない?とか言うしさ」
おばあちゃんは笑いながら、
「それはきっと恥ずかしいからだよ。マサくんみたいな男前に手伝おうなんて言われたら照れちゃうよ」
「テレチャウヨ〜!」
タロが言ったその言葉には微妙に節が付いていて、聞いたことのある歌の一節に似ていたので、俺は思わず、
「そんなこと〜君に〜言われたら〜照れちゃうよ〜」
と、その歌を歌ってみた。するとおばあちゃん、マサ、ツネまでもが振り向いて俺の方を見た。
「シンノスケ、お前上手いな!やっぱ歌うまいわ!」
マサは小さく手を叩きながら言う。
「なんだよータロの真似しただけじゃんかよー」
俺は照れ臭くてタロの籠の方をみた。すると、タロはじっと俺の顔を見ながら
「ナンダヨー!ナンダヨー!」
と、羽をばたつかせながら言った。
なかなか落ち着かないタロの様子に少し驚いていたおばあちゃんだったが、
「そうだ。タロちゃんここで一人なのも暇でしょう。一緒に部屋に行きましょうかね」
そう言うとタロは大人しくなった。まるで言葉がわかるかのようなその様子に俺はちょっと驚きながらも、少し安心した。タロがいてくれた方が場が和むからだ。
「おばあちゃん、賛成!俺、タロを運ぶよ!」
おばあちゃんは嬉しそうに
「ありがとうね。とっても助かるよ」
と言った。マサが、
「シンノスケも優しいからモテるぞ〜」と茶化した。
俺はそんなマサを無視して籠を持ち上げると、ラジオの音が賑やかなおばあちゃんの部屋の中に入った。


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