第5話

文字数 3,085文字

翌日、クラスへ行くと、相変わらず隣の席の沢田陽くんは漫画の話を楽しげにしてくれた。会話は盛り上がった。そして放課後、沢田陽くんが慌てた様子でサッカー部の練習にいってしまうと、一人帰ろうとするわたしのもとへ急にやってきたのは加藤結さんたちだった。
「ねえね? 中学生でおじさんむけ漫画とか読んでるの、オタクすぎて、ちょっとキモいから、やめたほうがいいよ?」
 加藤結さんは小さな顔をちょっと傾けながら、舌っ足らずだけれど、鈴が転がったような声で言った。忘れ物がないかどうか、鞄の中を最終チェックしていたわたしは、言われた言葉の意味が一瞬わからず、すぐに反応ができなかった。
 どうにか、顔をあげて加藤結さんを見つめる。目が大きく、髪の毛がうっすらと茶色で、リスのような雰囲気の加藤結さんは、困ったような、心配したような顔でわたしを見ていた。
「この間からさ、陽くんと漫画の話してるでしょ、結ちゃん、あんたのこととか、陽くんのこと心配してるんだよ、わかる?」
 加藤結さんにいつもくっついている片岡ゆりかさんと瀬山真央さんがずいっとわたしのほうに身を乗り出してきた。
「陽くんだってさ、席替えで偶然こんな席になっちゃったけど、本当なら可愛い女の子……結ちゃんみたいな女の子と話したいんだよ。なのにさ、宮下さんがいつも一人だから、缶バッチ見つけてあげて、わざわざ会話してあげてるの、気づいてる? 陽くんの迷惑だよ」
「女子なら眉毛くらい整えたら? メガネやめてコンタクトにするとかさ。まず見た目をもう少しどうにかしないと、いつまでたっても陽くんだってあんたのことを気にかけないといけなくなるじゃん。今回、結ちゃんが優しいからさ、教えてあげようって今こうやって話してあげてるけど、普通自分で気づくでしょ、それくらい」
「もう〜。ゆりか、真央、もうちょっと優しく言ってあげようって約束したのに、そんな言い方はだめだよ〜」
 加藤結さんはさくらんぼ色のくちびるを尖らせて、困った顔をした。ゆるくふわふわと巻いてあるツヤのある髪の毛や、前髪をいじりながら、にこっと笑う。
「ともかく、ね? 陽くん、困ってるみたいだから、漫画の話をしないほうがいいと思うよお。缶バッチだって学校に持ってくるべきじゃないでしょ、オタク丸出しでキモいもん!」
 耐えきれず笑い出す加藤結さんたちを前にして、わたしはいたって冷静だった。自分が嫉妬されていて変なことに巻き込まれ始めている事に気づいていた。漫画や本でよくある話が自分の前で展開されていることに驚きを感じる余裕さえあった。
 加藤結さんはたぶん、沢田陽くんのことが好きで、わたしに嫉妬していると……はー、なるほど。
 アイドルのようににっこりと笑う加藤結さんの顔を見続けても、緊張がおそってこなかった。今思えば、このときのわたしは、話があう人と楽しく会話をしたことで力がみなぎっていたんだろう。沢田陽くんのおかげでちょっとばかし大胆になっていたのだ。
「はあ……あの、でも、漫画の話はいつも沢田陽くんの方からしていて……」
「だからそれは、陽くんが宮下さんをかわいそうだと思ってるから。なんどもそう言ってるよ? もう、何回言えば伝わるの?」
「あ、なるほど……。あの、でもじゃあ、加藤さんも、漫画、読んでみませんか? 沢田くんが今ハマってる漫画、ちょうどわたし持っていて」
「……は?」
 急に、加藤結さんの声色が変わった。鈴を転がしたような声、小動物のような可愛い笑顔が、すっと消えた。
 あ……と思ったときにはもう、遅かった。加藤結さんは無表情でわたしを見つめ「ない、キモすぎ」とつぶやくと、片岡ゆりなさんと、瀬山真央さんを連れて、行ってしまった。
 その翌日から、女子による、いわゆる総シカトがスタートした。
 どういうわけか、クラス内のどのグループの女の子も、わたしが話しかけようとすると急いで去ってしまう。まだ4月なのにこんなにこのクラスの女子に団結力があったのか、と驚かされるばかりだった。授業中は困らなかったが、体育の時や休み時間など、何もしない時間があると困り、その困りごとはガンガンとわたしの気力を削っていった。
 かろうじて残っていた、なんとか毎日学校には通う、という力を消し去ったのは、ゴールデンウィーク明けの金曜日だった。
 最近では、早く帰宅すると「いい加減、部活動になにか入りなさい、できれば運動部に入りなさい」とママから攻撃されてしまうから、夕方まで図書室で過ごすくせがついていた。というか、所在がない時間を過ごす場所として、図書室はこの上なくぴったりな場所だったのだ。
 一人でいることが当たり前で、暇つぶしのための物語が山ほどあり、おしゃべりをしてはいけない場所。図書室で本を眺め、物語を読み、宿題をして、早めに宿題が終われば、周囲に誰もいないことを確認して、こっそりイラストノートに絵を描く。ときには、図書室にあった妖精大全という本や世界各国の民族衣装が載っている本を眺めるときもあった。物語を読まなくとも、違う世界への入り口となり、想像力を引き出してくれるような本は、眺めているだけで気分が和らいだ。
 そんなふうに、いつものように図書室で放課後を過ごしたあと、わたしは体操着を教室に忘れてきてしまっていることに気がついたのだ。体育祭の練習が増えてきた最近は、体操着を一週間に一度は持ち帰って洗う必要がある。面倒くさいが、教室にとりに戻ることにした。
 一年生の教室がある廊下を歩いているときから、複数の男の子たちの声がすることには気がついていた。その声がわたしのクラスの教室からしてくるということに気づくと、わたしは自然と体に力が入った。全身が耳になってしまったかのように感じながら、できるだけ足音を立てずに教室に近づく。
 どうやら、部活が終わった男子たちが帰る前に談笑をしているようだった。
「てか、まじしんどいよな。女子はなんも考えてないだろうけどさあ。同じクラスなんだからこっちだって気づくっつの」
「ほんと、それだよな。空気悪いの、勘弁してほしい。女子たちもいい加減、加藤たちの言うこと守ってないで、だれか宮下としゃべってやりゃいいのに」
 自分の名前が出て、わたしの歩みが止まった。
「ほんとだよなあ。こっちはこっちでシカトする理由もないから、話しかけられたら宮下としゃべるし、シカトとか、そんな馬鹿らしいことはやらないけどさあ……。クラスの雰囲気悪いし、先生も、何かと宮下を男子のグループにいれるのやめてもらいたいよな。様子見てないで、女子のほうでなんとか解決するよう先生が動けばいいのに」
「まあ、新任の先生っぽいし。若いし、男だし、よくわかんないじゃね? 女子のことは。っていっても、ほんと、男子に押し付けられても正直困るんですけどって感じだけどなあ。なあ、沢田?」
 沢田、という言葉に全身が硬直した。
「あー……な!」
 普段通りの沢田陽くんの声だった。
 わたしはできる限り静かにあとずさりし、階段までくると一気に駆け出した。いそいで図書室に入り、置きっぱなしにしていた荷物をまとめた。体操着袋のことなんて、もう、どうでもよかった。
 自分だけが我慢していればいいと思っていた。
 ちがった。まさか、教室にいることが、人の迷惑になっているなんて。
 土曜、日曜と、自分の部屋から極力出ないで過ごし、月曜の朝、わたしは頭が重くてベッドから起き上がれなくなった。本当に微熱があった。
 微熱は三日ほどでおさまったが、熱が引いた後も、わたしが学校に行くことはなかった。
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