第7話

文字数 2,336文字

心臓がはねる。
沢田陽だ。
わたしが固まったのを見てもなお、沢田陽くんは手を降っていた。猛然と逃げてしまいたい気持ちにかられながら、沢田陽くんが手を振り続けるので、わたしも根負けして、少しだけ手を振りかえした。
沢田陽くんの顔が驚いた顔になり、それから、がたっと席をたった。
え。こっちに来る。
わたしが何も言わないうちに、沢田陽くんはわたしの前の席に座ってしまった。
「ひさしぶり。元気だった?」
「……まあ」
「よかった。元気そうで。こんなところで会えると思わなかった。いつも図書室に来てたの?」
「いやいや……久しぶりに」
「そうなんだ、俺は、図書室に来るようになったのは夏休み入ってからでさ。もう毎日、部活やらクラブチームの練習やらで馬鹿忙しくて。家帰って自分の部屋に入ったら、本当に三秒くらいで寝ちゃうんだよ。これはやばい、このままだと宿題なんてぜってぇ終わらねえって思って、最近は部活を中抜けしてから、クラブチーム行く間の時間で図書室で宿題やってて。ここ静かで広くて結構集中できるなあってことに気づいてさ。まあそれでも、疲れ切ってるときは俺ここでぐうぐう寝ちゃってたりするんだけどさ」
 怒濤の勢い(ただし彼にしてはかなり小さな声)で話す沢田陽くんに相槌をうつこともできず、ただわたしは話し続ける目の前の男子の手のあたりをじっと見つめていた。
 あれ、静かになってる。 
気づくと、沢田陽くんは黙っていた。沢田陽くんの骨ばった手から視線をあげると、さっきの元気はどこへやら、彼は力なくうなだれていた。
「あの……?」
「いや、ちがう。というか、全部、ちがう。俺、こんな話がしたかったんじゃない」
 しばらく黙りこくった後、沢田陽くんはゆっくりと顔をあげた。ため息のような、うなり声のような、変な息の吐き方を盛大にしてから、しぼりだすような声を出した。
「ごめん」
 がばっと勢いよく頭をさげたせいで、首根っこまでよく見えた。何に対する謝罪なのかわからず、わたしはまたも反応ができず固まってしまう。
「別に、許してほしい、とかではないんだ。でも、謝りたくて。俺、余計なことばっかり言うのにさ、肝心のことは言えないんだ。いつも、空気読んで適当なことばっか言って、その場が丸くおさまるようなことしか、言えないだめなやつなんだ。俺さ、宮下さんと漫画の話できてすごく楽しかったんだよ。だけど俺、あのあと、なんか他の女子が宮下さんと微妙になってるの、気がついてたのになにもできなくて……。クラスの男子の前でも、口当たりの良いことしか言えねえし。俺だって漫画の話できて喜んでたのに、俺だけ、何も起きない、変わらずクラスで楽しく過ごせるってどう考えてもおかしいのに」
 顔をあげた沢田陽くんは情けなさそうに眉を下げていた。わたしが見ていた、おちゃらけていつもふざけて楽しそうな中学1年生の男子とは、別人のような顔だった。
「俺ね、兄ちゃんじゃなくて、その上に双子の姉ちゃんがいるんだけど。その姉ちゃんたちからはいつも意気地なしの陽って言われてんの。ほんと、その通りだと思った。だから俺、中学になったら、そういうのやめようって思ってたんだけど、結局、何も変われてなくて……。姉ちゃんたちに相談したら、当たり前だけど、超怒られたよ。でも、もう、俺にできることはないって言われて。その子が頑張って学校に出てきたらまだ俺のやれることはあるかもしれないけど、そうじゃないなら、唯一お前ができることは待つことだ、もう手遅れだって言われた。意気地なしの陽じゃなくて、空気しか読めないチャラ男とも言われるし……いやそのとおりだなって思って落ち込んでるんだけど……」
 沢田陽くんはそこで、もう一度わたしの目を見て、深く頭を下げた。
「ごめん」
「いや、そんな」
沢田陽くんは悪くない。どう考えても理不尽なことをし始めたのは加藤結さんたちだ。そして、それに屈して気持ちが負けてしまったのは、わたしが弱かったからだ。
わたしなら大丈夫、と思えるようになったら、漫画が描けたら。漫画を描き終えて、強くなれたら。
「できるだけ、二学期になったら、教室に行ってみようって、今は思ってるから、だからあんまり、気に病まないで」
わたしの小さな声に大げさに沢田陽くんの顔が輝いた。
「ほんと⁉」
「いや、あの、わからないけど……できたら、そうしたいって思ってるのは、本当ってだけで、実際できるかは……」
「そりゃそうだろうけど。いや、でも、そうなんだ、はー。ああ、よかった! 嬉しい、よかったよ。俺、もしかしたら宮下さん、もう転校して地元の中学校通うようになるかもって思って……というか、そうやって姉ちゃんたちに言われて。お前が助けなかったせいだって。そうなったら、本当、どうしようかと思っていて。俺もだけど、せっかく頑張って受験して入った学校じゃん? 俺のせいで宮下さんが転校を選んじゃったらってずっとドキドキしてたんだよね……。ほっとした、ほんと。俺、ずっと待ってるから。二学期になって、来れそうになったら、教室にまた来てほしい。俺にできることがあれば、言ってくれたら、できるだけやるよ。ああ、にしても、本当よかった! 姉ちゃんたちにも報告していい⁉」
「それは、うん、その、別に、良いけど……。あのでも、よく聞いてほしいんだけど、本当、二学期から学校に来れるのか、約束はできないし、そもそもわたしが学校に行けてないのって全然、沢田くんのせいではない……ねえ、あの、聞いてます?」
 小さなわたしの声はもはや彼の耳には入らず、沢田くんは一人で嬉しそうに何度も笑顔でガッツポーズをしながら、スマホをいじっている。そんな沢田くんを見ていたら、思わず、くふっと笑ってしまった。
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