第6話

文字数 2,801文字

長く休むようになってから、夏休みが始まるまで、わたしが学校に行ったのはたった二回だった。
 一回目は、一学期の期末試験のため。部活がある子だけが登校する土曜日に、学校に登校し、丸一日で全教科の試験を受けてきた。家にいるわたしは、イラストを描き、ネットにアップし、達成感を得て、わいてきたやる気を力にして、漫画のためのストーリーを考え、思いつかず、考えにつまり……そうなると勉強をし、勉強に疲れると再びイラストを描き始め……と、この繰り返しだった。
こんな調子だったから、勉強に遅れを感じてはいなかった。テストだって、そこそこ問題なく解けたように思えた。
そのとおりだとわかったのが、夏休み直前。二回目の学校に行った日のことだ。受けたテストの答案用紙を返却され、平均点等も先生が話してくれる。だいたい平均点はとれていたわたしは、内心胸をなでおろしていた。これでテストの点が目が当てられないようなものだったら、ママに何を言われたかわかったもんじゃない。
いい加減学校に行きなさい、などと怒られる事態をなんとか免れた、と思ったのだが、次に担任が言った言葉に胸が冷えた。
「で、二学期からなんですが……もちろん、いつでも僕としてはクラスで待ってますので……。それか、もし希望があれば、別クラスに入る、というのも、やろうと思えばできます」
「まあ、そうなんですか。どうする、灯理?」
ママの目には光がやどっていた。でも、わたしは大きく首を横にふる。
「いえ、あの、いいです。そういうのは、いいです……」
別のクラスに転入したって、わたしを受け入れたクラスの子たちは驚くし、迷惑に思うかもしれない。そもそも、同じ廊下で一年生の各教室はつながっているから、加藤結さんや沢田陽くんと会うことだってあるだろう。
それよりもなによりも、なんでわたしが他クラスに行かなきゃいけない。わたしは何も悪くない。
でも、ママや担任の先生を前に、やっぱりなにも説明ができなかった。わたしが黙ってしまったから、やっぱりママにはわたしの考えはわからなかったらしい。あからさまに、横にいるママの目がするどくなった。
「そんな。せっかく先生ができるとおっしゃってくれているのに。だったら、今のままで灯理、絶対に二学期から学校へ通えるの?」
「それは……」
今のままで、と言われると、二学期から学校に通うことはできないです、と答えるしかない。
でも、心の奥底では、自分は一切悪くないし、わたしはあの教室で過ごす権利がある、とわかっているのだ。
それでも、学校に行くことができない理由は、ひとえに、いろんなことを気にせず、自分を強くもつ力が、足りていないから。
その強さがもてるように、詩緒ちゃんが描けるよといってくれた言葉を信じて、漫画を描こうとしている。漫画を描き切ること。自分で決めたことをやり通すこと。これができたら、きっと学校にも通えるようになる気がする。
でも、目の前にいるママと担任の先生に、漫画を描ききれたら、きっと通えます! 夏休み中にやってみます! と高らかに宣言する勇気もないし、わかってもらえるよう言葉を尽くす語彙力もわたしは持ち合わせていない。
ということなので、わたしは「できるだけ……できそうなら、二学期から通います……」とぼそぼそと小さな声で答えることが精一杯だった。情けなさと悔しさ、それに惨めな自分に泣けてきて、その日の帰り道はママと一言も口が聞けなかった。口を開けば目にたまっている涙がぼろぼろとみっともなく溢れてしまいそうだった。
そうして、今、不登校になってから三回目の登校。久しぶりの登校は真っ青な空の下を歩くことだった。部屋の窓から見ている分には青くて眩しくてきれいな夏日だったが、外を歩いてみるとげんなりした。背中をひっきりなしに汗がつたう。
電車の中では頭の中でリピートされていたママや担任の先生の言葉も、学校の図書室の扉を開けると、きゅうに薄く消えてきた気がした。ママの失望した顔も、担任の困ったような笑顔も、図書室の無音に気圧されるように、少しずつ頭の中から消えていく。
ついに、ついにわたしは学校に来てしまった。夏休み、一日中、ななちゃんと同じ屋根の下にいる時間を耐えるのはもう無理だった。
夏休みだし。運動部の子も体育館やグラウンドにいるだけだし。図書室にはきっと誰もいないだろうし……。
自分の部屋は、ななちゃんが居座るからもはや自分一人の部屋ではなくなっていた。いつ、ななちゃんが部屋に突撃してくるかわからない、妙な緊張感を抱えなくてはならなくなっていた。
それに、あの「なんぁだ」発言がある。一言で言えば、一作も漫画が描けていないわたしが妹に馬鹿にされただけ、という話なのだが、家族とは言えど、妹にあんなふうに言われたのは悲しかった。
家の中で過ごすことに疲れを感じ始めたわたしが、猛烈に恋しくなった場所が、ここ、学校の図書室だった。誰にも何もいわれない、視線も気にならない、図書室はいつだってそんな場所を提供してくれている。日常の世界と遮断されている、小さな小箱の中のような世界。柔らかな静けさであふれた図書室は、最後にきたときもより一層明るい気がした。高い天井と大きな窓に夏の光がいっぱいに入り込み、窓には濃い青空が切り取られていた。
ママがパートにいない午前中、思い切って制服を来て学校に向かってよかったと心から思う。
荷物をおいて、席をとると、わたしはお気に入りの本である妖精学大全と世にも不思議な植物図鑑を持ってきて、パラパラ眺めながら、思いついた女の子や男の子を一心不乱にノートに描き始めた。
イラストは描けるのにな……。
自由にイラストは描ける。描き終わった女の子や男の子の性格や、苦手なもの、得意なことなども思い浮かぶ。家のペンタブを使っても、ペンで描くより時間はかかるが、最近は納得のいく絵が描けるようになってきていた。
でも、その子たちが生きる世界、物語がどうしても思い浮かばないのだ。思いつき始めても、起承転結をつくることができない。
いつかなにか思いつくかもしれないという一縷の望みにすがりついて、ひたすらシャープペンシルを動かし、消しゴムで不必要な線や言葉を消す。
誰かが、図書室に入ってきて、また出ていくような気配があった。なんどか、そういった気配があったから、夏休み時期も本の貸し借りをしてくれるということはわかった。
もうちょっとねばって、うまくお話が思いつけなかったら、今日はもう諦めて、本を借りて……あとは夏休みの宿題でもやって過ごそうかな。
ストレスを感じずに思う存分のびのびと描いていたからだろうか、物語が描けない悔しさはあまり感じず、あっさり、宿題のほうへ気持ちの切り替えができた。
ふう、と息をはいて、描きちらかした子たちをじっくり見つめた後、顔をあげた。
一つ、テーブルを挟んだ向こう側で、手を降った人がいた。
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