第5話 自称 〝社会運動家・評論家〟 遠山タクト

文字数 6,734文字

 午後四時を過ぎると、遠山タクトはこれから調査に向かう場所に行く為の準備に取り掛かった。
 十年以上前ならボイスレコーダーにデジタルカメラ等の道具が必要だったが、現在はテクノロジーが進歩したおかげで、大抵の事はスマートフォンで間に合う。だが咄嗟の時のメモや何らかの事態に備えて、大学ノートと筆記用具は持参する。タクト自身が自称する肩書きは『社会運動家・評論家』という御大層な肩書きだが、実際は時事問題や社会問題においてスポットライトが当たりにくいとされる人々に取材し、それを編集し動画サイトや言論サイトに掲載しているだけに過ぎない。大学や学会の機関紙等に論文を発表した事は無いし、固い内容の月刊誌に連載記事を持っている訳でもない。小さな出版社からソフトカバーの本を二冊出版しただけの限りなく素人に近い言論人だったが、「普通の社会人とは違う」という鍵括弧で区切られた自分の立場を名乗れることが、タクトにとっての自慢でもあり誇りでもあった。
 必要な物を鞄に詰めて、住んでいるマンションを出る。JR線に乗って△△駅まで行き、そこから都営バスに乗った。目指すのはバスの終点近くにある、倉庫や町工場が立ち並ぶ川向こうの街にある都立高校の校舎。昼間の騒々しさが過ぎた後、夜の訪れとともに始まる定時制高校の取材が、今回の目的だった。
 目的のバス停に着くと、十一月の冷たい風があいさつ代わりにタクトに吹き付けた。太陽は西の方角に深く沈み、頭上の空をあかね色から紫に変化させて、東には深い紺色の夜が迫りつつある。自分の高校時代は爽やかな朝の空気と共に、制服姿で登校したものだが、時間と流れる空気が異なれば、目に映る光景は異なる物だろうとタクトは思った。
 バス停から少し歩き、目的の学校の校門前まで来る。校門を超えた学校玄関入り口には、制服ではなく私服や作業着姿の生徒達がたむろしているのが見える。中にはタクトと同年齢らしき男もおり、成人である事を理由に臆することなく堂々と煙草を吸っていた。
 とんでもない場所に来てしまったかもしれない。とタクトは戦慄したが、その戦慄も背後から聞こえて来たオートバイのエンジン音にかき消されてしまった。何だと思って背後を見ると、三十年以上前に販売されていた四〇〇CCの国産オートバイが、二人乗りで校門を超えて学校玄関へ向かってゆく。呆気に取られていると、二人のバイクはたむろしている生徒達の近くで止まると、後ろに乗っていた女子生徒を下した。
「ありがとう、ジュンヤ」
「エリナも勉強頑張れよ」
 降りた女子生徒とバイクのライダーはお互いの名前を呼び合って別れた。タクトは学校から走り去るバイクの後ろ姿を見送りながら、一種の敗北感にも似た感覚を噛み締めた。
 たむろしながら談笑する生徒達の横を素通りし、一回にある学校受付に向かう。受付には真面目そうな私服姿の男子生徒と、暇を持て余していたらしき職員が談笑していた。
「ごめんください。今日取材を申し込んでいた遠山と申します」
 タクトが職員に向けて名乗り出ると、気付いた職員はタクトの方を見て恐縮したように頭を下げた。それに合わせて、真面目そうな男子生徒は一言言って立ち去った。

 受付から職員室に向かい、今日一日説明と案内をしてもらう教諭と名刺を交換した。タクトの名刺には『社会活動家・評論家 遠山タクト』といういかにもインテリな肩書きが、SNSや地震の動画チャンネルのURLと共に印刷されていたが、受け取った六十歳近い教員はさほど、彼の身分に興味はない様子だった。
「こういう学校を取材するのは初めてですか」
 教員は落ち着いた口調で言った。タクトの記憶が正しければ、奈良や京都にある古い寺の僧侶にも通じるような声のトーンとリズム感だ。
「はい。一応書籍やネットで勉強はしましたが」
 タクトは少し怖気づいたような言い方で答えたが、担当の教諭は表情を変えなかった。
「ここに居る生徒達は皆脛に傷を持っている者たちが多いです。其処に触れられる事を嫌がる生徒も居ます」
「余計な事は言わないようにします」
 タクトは案内の教員にそう答えた。好きな事を吐き出していいのは自分の支持者との集まりだけだと、タクトは心得ていた。
 簡単な説明もそこそこに、タクトは教員の案内で教室の方へ向かった。
 本来なら二時間目の授業が行われているはずだが、廊下には授業を受けていない生徒が何人もおり、スマートフォンのアプリゲームで遊んだり、談笑している生徒も居た。教室の扉は閉じているのもあれば開け放たれている物もあり、授業中に関わらず自由に出入りできるらしい。飼育員はすぐ近くにいるが、猛獣たちが住む空間に来てしまったと、タクトは改めて思った。
 廊下を歩きながら半開きになった扉を覗き込み、教室の中を伺うと数人の生徒が机に座り、真面目に授業を受けている様子が見える。教壇に立つ教員もそう言う生徒の為を思ってか、いい加減な態度を取らずに真剣な眼差しで授業を行っている。その授業を受けている生徒の中に、先程バイクで送ってもらっていた女子生徒が居た。生活態度は荒れているが様だが、真面目に授業を受ける姿にタクトは安堵にも似た感想を抱いて、教室の前を後にした。
 ここの生徒は真面目かそうでない者の二種類しかいない。高等学校という空間だが、一足先に実社会の本質が存在しているのが、タクトには興味深かった。生徒達の表情を見てみると、子どもの顔つきに冷めたような眼差しが宿っている生徒が多い事に気付く。ここにたどり着いたという事は、他の人間とは違う道を進み、様々な物を見てきたという事なのだろう。あれこれ生徒に質問しても良さそうな気がしたが、テレビのワイドショーのような前時代的で、生徒達の反感を買うような行為に思えたので、質問する事は憚られた。
 一通り学校内を見て回ったあと、タクトは案内の教員と共に職員室に入った。職員室は昼間の学校と変わらない空気が流れていたが、窓の外の景色は暗かった。教室や学校の雰囲気を肌で感じ、教員としてどのように接しているのかと質問に入ろうとしたところ、教室の方から叫び声が聞こえた。何事だろうかと思って、タクトは教員と共に職員室を出ると、廊下を隔て対岸にある教室でトラブルが起きたようだった。
 廊下に出ると、比較的おとなしい服装の女子生徒が投げ出されるようにして廊下に出て来た、その後すぐに同い年位の女子生徒がすぐに出てきて、先に投げ出された生徒に襲い掛かる。その様子は群れでの地位を巡って争う動物の姿のようだと、一瞬タクトは思ったが、襲い掛かった女子生徒の眼差しには怒りと同時に深い哀しみが宿っているのが見えたので、タクトは動物に例えた自分を恥じた。
「お前だって同類だろ!」
 襲いかかった方の女子生徒は叫びながら相手の胸倉を掴んだ。その怒りの表情と言葉からは、『JK』として性差別的にカテゴライズされた要素は無く、加熱して融点に到達しそうな感情の吐露だけがあった。
「ユイ、やめなよ!」
 再び教室から女子生徒の声がしたかと思うと、今度はバイクの後ろに乗っていた女子生徒が飛び出してきた。彼女はユイと呼ばれた女子生徒を掴むと、すぐさま襲われた生徒から引き離した。ユイは暴れていたが、彼女に掴まれると攻撃する意志を捨ててしまった様子だった。
「エリナ、でも」
 ユイは何か反論しようとしたが、誰かに構ってもらうと落ち着いたのか急に熱が冷めてしまったように大人しくなった。
「頭を冷やしなよ。こんな事でいちいち血を上らせていたらキリがないよ」
 エリナになだめられると、ユイは急に大人しくなった。そして加熱した金属が冷えると脆くなってしまうのと同じように、ユイは涙を浮かべた。襲われた女子生徒は驚いていた様子から次第に落ち着きを取り戻して、憮然とした表情を浮かべた後、自分からエリナとユイから離れて行った。
 嵐の去った現場には、エリナとユイ、タクトと教員が残された。教員は乱れた息を整えているユイに向かって質問した。
「何があったんだい?」
「差別用語を使われたんですよ。」
 好々爺を思わせるような教員の質問に答えたのはエリナだった。タクトは「差別用語って?」と思わず質問しそうになったが、彼の存在に気付いたエリナの鋭い視線に圧倒されて思い止まった。
「この人は?」
 イヌ科の肉食動物が周囲の様子を伺うのと同じ眼差しで、エリナはタクトに質問した。
「僕は取材で来たものです。様々な社会問題を取り上げて取材しています」
 タクトは自分より半分程度の年齢しかない女子生徒に恐縮して、ポケットから教員に渡したのと同じ名刺をエリナに差し出した。名刺を受け取ったエリナは書かれている内容を一通り読むと、名刺をタクトに突き返した。
「社会運動家なんて大した肩書きだけれど、信用できるの?テレビのコメンテーターみたいな人種は絶対に信用するな、社会正義をダシにして強い自分に酔う人間だって」
 タクトはエリナの口から漏れた言葉に思わずたじろいだ。平均的な尺度が通用しない環境では、様々な意味で極端な人間が存在しているから恐ろしい。
「その言葉は誰から?」 
「私の彼氏が教えてくれたの」
 エリナはタクトに向けたまま答えた。彼氏と言うのは先ほどバイクでエリナを送って来た人間だろうかと彼は思った。
「あんたがどんな社会的地位の人間で、何を飯のタネにしているかはどうでもいいけれど、ここにエリート主義の説教を持ち込まないでね。ここは流れ者たちの場所なんだから」
 エリナは獣の表情を崩さずに続けた。ダクトは身じろぎしていたが、あまりにも比喩に富んだエリナの言葉を耳にして、彼女に興味を抱いた。彼女という人間を入り口にしてこの学校と彼女たちの居る環境が理解できるのではないだろうか。そんな思いをタクトは抱き始めていた。
 エリナは自分の言いたい事を言い終えたのに満足すると、ユイを連れて教室に戻ろうとしたが、タクトは「待って」と小さく言ってエリナを引き止めた。
「君が良ければ、後でいくつか質問をしてもいいかな?」
 タクトの言葉にエリナは侮蔑とも疑義とも言えぬ眼差しを向けたが、「いいよ」と小さく答えて教室に戻った。

 午後九時になると、四時間あるすべての授業が終わった。全日制の高校に対して定時制高校は四時間しか授業が無いが、その代わりに四年間通わないと高校卒業の認定が取れない。だが多種多様な人間が集まってくるこの学校では、年齢など単なる数字に過ぎず、むしろ年齢に関係なくどのように自己形成してゆくのか、それが大切なのだという事を、タクトは何となくではあるが理解し始めていた。
 授業が終わると、タクトはエリナを学校図書室の入り口に呼び出した。エリナの側にはユイも居たが、その事を指摘する気持ちにはなれなかった。
「ユイは、あたしから離れたくないんだって」
 タクトが疑問に思った瞬間、エリナは彼に向かって言った。
「悪いね、急に質疑応答をセッティングしてしまって。予定とかは大丈夫なのかい?」
「大丈夫。彼氏にはちょっと遅れるって連絡したから」
 エリナの言葉を耳にして、タクトはその彼氏の事を少し考えた。彼氏というのは、やはりバイクでエリナを送り届けたジュンヤと呼ばれていた人間だろうか。
 比較的静かな図書室前まで来ると、タクトはスマートフォンのボイスレコーダー機能をオンにして、インタビューの準備に掛かった。質問したい事は、先程別れた時に題材を箇条書きにしてあったので、困る事は無かった。
「それじゃあ質問に入ります。ここの学校に入った理由は?」
「中学を出た後一年間は無職だったんだけれど、彼氏と付き合うようになってからこのままの自分じゃいけないって思って、とりあえず高校卒業の資格は取ろうと思ったの」
 ぎこちない様子で答えるエリナにタクトは頷いた。まくし立てるより、一定の間を取りながら質問をしないと、相手の機嫌を悪くしてしまう。
「学校にはどんな人たちが居るの?」
「色んな人間。年上の人とか片言の日本語の人とか、あと同い年だけれど派手な墨を入れているのとか。いろいろ。でも変な干渉とかは無いから過ごしやすいよ。自分がしっかりしていないと上手く行かない空間だけれど」
 エリナの返事にタクトはなるほどと頷いた。この学校に居る生徒達は、強烈な印象に対して達観したような物腰の人間が多い、通常とは異なる過酷な環境が彼らを引き締め、少しだけ早く大人に成長させるのだろう。
「ここでの過ごす事は楽しいかい?あと好きな教科とかは無い?」
 タクトの質問にエリナは少し表情を緩ませて考え込んだ。その一瞬見せたゆるみが年頃の娘らしく、タクトは小さな安心感を覚えた。
「楽しいかって言うと……」
 とエリナが漏らすと、背後で人の気配がした。振り向くと先程ユイに襲われた女子生徒が大柄な男子生徒ともう一人の小柄な生徒を連れて、彼らの元にやって来た。小柄な生徒の方は比較的おとなしい感じだったが、大柄な方の生徒は伸びたシャツの襟元から、胸板まで入れたであろう墨の緑色が見え隠れしている。
「何?」
 気付いたエリナが質問に答えるのを打ち切って呟く。ユイはすぐエリナの後ろに隠れ、部外者のタクトはただ茫然と立ちすくむだけだった。
「さっき、あたしに恥をかかせたでしょ」
 やって来た女子生徒は高圧的な態度でエリナとユイに迫った。タクトは言われた二人の事を観たが、エリナに動じている様子は無かった。陰に隠れているユイも三人の方に視線を向けて負けない意思を明確にしていたが、瞳には明らかな怯えが見えた。
「あんたがレイシストだったなんて、こっちこそ恥だよ」
「あたしだって、見下されるのには慣れている人間さ」
「だからってご同輩をよんでまた因縁をつけるなんて、どういうことさ」
 噛み合わない押し問答が行われると、不穏な空気の高まりが強くなっているのをタクトは感じた。すぐに逃げ出したいと思ったが、衝撃的な光景を目の当たりにするとその場から動けなくなってしまう人間特有の機能が作動してしまい、動けなかった。
「隠れていないでこっちに出てきて話せよ」
 女子生徒はさらに近付いて、エリナの後ろに隠れたユイを掴んで引き寄せようとした。エリナがその手を払おうとすると、女子生徒が連れて来た大柄な男子生徒がエリナの腕を掴んだ。するとエリナは何かが弾けたように鋭い目つきになり、大柄な生徒の腕を掴んで片手で投げ飛ばした。突然の事に驚いた女子生徒をエリナは突き飛ばした。女子生徒が床に倒れ込むと、投げ飛ばされた大柄な男子生徒が再び襲い掛かろうとしたが、エリナは人を殺すのさえ躊躇しない眼差しで彼を睨みつけて、何もさせなかった。そして視線を最後に残っていた小柄な男子生徒に向ける。突然の出来事にすっかり怖気づいた男子生徒は、痛がる女子生徒の身体を起こし、完全に戦意を喪失した大柄な生徒と共に逃げて行った。
 タクトは呼吸をするのも忘れて、その光景に見入っていた。鼻で小さく呼吸を整えながらエリナの方を見ると、自信とも狂気とも言えぬものを宿した彼女の表情が目の前にあった。
「ありがとう。エリナ」
 隠れていたユイがエリナに抱き付く。ユイは怯えていたのか、その声は微かに震えていた。
「大丈夫だよ」
 エリナは先ほどとは正反対の優しい声を出して、彼女の方に振り向いた。
「もう大丈夫だから」
「ありがとう」
 ユイは涙を堪えながら、エリナに感謝の言葉を伝えた。
「これからユイにも、自信が持てるおまじないをしてあげるよ」
「おまじない?」
 エリナの言葉にユイが質問すると、エリナはユイの顔を上げて唇を奪った。そしてユイの事を抱きしめて、口から器官を出して『しあわせのつぶ』をユイに植え付けた。ユイは暴れる事も無く『しあわせのつぶ』を受け入れ、行為が終ると満足そうな笑みを浮かべて唇を離した。
「これで私達は本当の仲間だよ」
 エリナの言葉に、ユイは静かに頷いた。タクトは目の前で起きたとんでもない事に驚き、口を半開きにして言葉すら発するのさえ忘れて震えていた。
「せっかくだから、あんたも仲間になろうよ」
 エリナは一言呟いたあと、呆然とするタクトの唇を奪い、彼にも『しあわせのつぶ』を植え付けた。タクトは一瞬暴れかけたが、口の中から侵入してきた甘い感触と、身体の中で広がる心地よい熱に毒されて何も抵抗できなくなった。
 エリナからの『しあわせのつぶ』が植え付けられると、タクトは自分から唇を離した。
「どう、今日の見学に収穫はあった?」
 エリナが質問すると、タクトはこう答えた。
「ああ、最高の収穫だったよ」
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