第1話

文字数 2,096文字


 サンタクロースは怪異か否か。そう君に問いかけたら、君は何と答えるだろうか。
 何せ、君自身がサンタクロースになると言い出した時には驚いた。それは今から七年程前のことだった。年の瀬が迫る十一月の終わり頃、レポートの整理に追われていた私のもとに、君がいつもの通りにやってきた。君は篭りっぱなしで忙しなく動く私を横目に、研究室の壁一面を埋め尽くすホログラムの資料を一つ一つ眺めていた。そう思うと、日めくりの形をしたアイコンを押した。今月のカレンダーが目の前に大きく表示されると、そこから一ページだけずらす。そして、予定がぽつぽつと書き込まれた表の下あたり、まだ空欄のままのとある日を指差しながら、ふいに私に呼びかけた。
「窓井くん。来月の二十四日の夜、空けててね」
 いつものように強引で、でも少しだけ甘えを含んだような声に、文字を打ち込んでいた手が止まる。私は疲れた両目から眼鏡を外して、眉間を押さえながら考え唸った。
「来月二十四日……ああ、その日は多分、何も入らない」
「多分じゃ駄目。ぜったい、空けてて」
 目のピントが合ってくると、いつの間にか君が目前にいたのがわかって、私は飛び上がりそうになった。掛けている私の目線に合わせて腰を曲げていた君は、その上体を起こすと、今度はそのまま私を見下ろしてきた。高い位置にある君の顔を覗き込むと、伏し目がちに見つめてくる視線は爛々として、紅を差した口元には薄い笑いを浮かべている。これは、彼女が私に頼みごとをするときに決まって現れる様相だ。だがいつも、頼まれているというよりも何かを試されているような気になって、私は彼女の提案に対しては断ったことなどなかったように思う。この時も慌ててスケジュール帳のアイコンを開くと、十二月二十四日、まだ白いままの枠がそこにあるのを見とめた。そばにあった電子マーカーを適当に取って、日付の数字をぐりぐりと囲む。君はそれを見て満足げに頷くと、ペン立てから予備のマーカーを抜き取って、ホログラムのカレンダーに向かった。それをまた一枚めくると、私が囲ったのと同じ二桁に花丸の印をつけた。
「ねぇ、期待してるから」
 マーカーを片手に、教師が指示棒でするようにもう片方の手を規則正しく叩きながら、君は私に布告した。だが、彼女が私に何を期待しているのか、この時はまるでわからなかった。いや、心の奥底では薄々と勘づいていたのだろうが、疲れた頭脳が彼女の思いに対する思考をいつも以上に鈍らせていた。私は作業を止めたままの腕を胸の前で組んで、相槌とも同意ともつかない声でううん、と唸る。君は眉を下げて、一瞬だけ気落ちしたような表情で俯いてしまった。そうしてマーカーを元の場所に戻しながら、試すような視線と声色を再びこちらに向けてきた。
「今年こそ、サンタになってくれてもいいよ。じゃないと、私がなっちゃおうかな」
 元々音の少ない室が、君の言葉で沈黙に満たされた。微かな音を立て続けていた電気ポットが張り詰めた空間を破るように沸騰を知らせる。君はとうとう耐えきれなくなったのか、私から視線を外して、珍しく顔を赤くした。当の私はというと、彼女の言ったことがまだ理解できず、ずっと黙ったままでいた。来月の二十四日、確かにこの日はクリスマス・イブだ。クリスマスと聞いて真っ先に思い浮かぶのがーーー赤いコートに帽子、真っ白な髭を湛えて、子供ににこやかにプレゼントを与える初老の男。そう、サンタクロースだ。君は私に、この愉快な男になってほしいのだという。それはおろか、私がならなければ君がなるのだと言い張ったことに心の底で驚嘆して、私はしばらく言葉を発することができなかった。第一、君とサンタクロースを頭の中で比較してーーー高い背丈で艶やかなほどには痩せている、短く整った髪の君と、ふくよかな体つきで、髭に埋もれた顔まで赤らめている老爺。似ても似つかないどころか、対極の存在のように思えて仕方がなかった。
「……君に、サンタクロースは似合わないと思うが」
 正直、真反対の属性しか持たない老人になった君を見てみたい。そんな気持ちを抑えつつ、思ったことを正直に伝える。折角の張り切りに水を差してしまったか不安になって、君の顔をおずおずと見上げた。だが、君は目を大きく丸くして、唇を結んだ。よかった。そこにあったのは、機嫌がいいときの君の笑い方だ。
「言ってくれるじゃない」
 君はそれだけ言い残すと、ロングコートを颯爽と翻して、ヒールの音をいつも以上に響かせながら室を後にした。折角だからお茶を、と勧めた私の声などまるで耳に入らないように、ドアは大きな音を立てて閉じられる。その姿は、慣れないことを言ってしまった後の照れ隠しのように思えて、私は何故だか、しばらく作業が手につかなかった。ふと、広げたままの電子手帳を見ると、赤く目立つ丸印がつけられた日付の欄に、クリスマス・イブと小さく書かれていることに気づいた。この日、私と君はサンタクロースになる。君の言いつけをまた反芻すると、私は無意識にも、手元のコンピュータでサンタクロースのコスチュームを調べていたのだった。
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