第10話

文字数 1,494文字


「ねぇ、おとうさん」
 ふいに小さな声がした。それが私への呼びかけであると気づくのに数十秒かかってしまった。私が彼の方を注視しないうちに、彼は言葉をぼそぼそと紡いだ。
「サンタさん、こないの?」
 サンタ、という言葉が彼の口から飛び出した時、背筋に戦慄が走るような思いがした。なぜ、彼はサンタクロースのことを知っている?
「なぜ……なぜそんなことを言うのだ」
「なっちゃんが、いってた。いい子にしてれば、サンタさんが望遠鏡をくれるって」
 やはり名月君か。私は心中で舌を打つ。彼にはサンタクロースのことを教えてはいけないと散々釘を刺したはずだ。それなのにーーー。名月君は彼に対して甘いことが多々あった。その甘さがまた一人、サンタクロースを待ち侘びていた子供を増やしてしまった。しかも私自身の息子だ。これは由々しきことだ。やはり彼には、私から伝えておくべきだったのだ。
「いいか、サンタクロースはいないんだ。名月君はお前に嘘をついた」
 私は彼へと見下ろす視線を向けたまま、その反応を待った。バイタルの数値が緩やかに上昇していくのが腕を見なくともわかる。彼の表情は私が言ったことの意味を理解できない、と告げており、口は涎を垂らしながら阿呆らしく開いている。可哀想なやつだ。私はこのような顔を、今までに幾度となく見てきた。超自然的な幻想ーーー怪異も然りーーーに惑わされ、真実ではないものを信じやすい子供の顔。私もそうだったかもしれないが。だからこそ、怪異や幻想に関する知識は、早期の矯正を行わなければならない。私は足元にあった椅子をずらし、彼の向かい合わせで腰掛ける。子供用の椅子は、軋むような音を立てた。
「サンタクロースはいない。これが真実だ。お前は本当のことだけを知って生きるべきなのだ。この先、本当にいるもの、あるもの、視えるものだけがお前たちの真実となる。いないものなど、信じる必要はない。サンタクロースはいないのだから、そんなものなど信じなくていい」
 一区切りつけて、唾を飲み込む。私の声音が強くなるにつれて彼の目は見開かれていき、瞳には光るものが湧き出てきた。あまりの居た堪れなさに顔を逸らす。何故、泣き出してしまうのか。そんなにもサンタクロースに会いたいというのだろうか。いっそのこと、私がサンタクロースになってしまおうか。ーーーいや、きっとできないだろう。あの夜のことを思い出して、今度は私の方が溢れ出るものがありそうだ。それほどまでに、熱いものに溶かされ、澱んで、零れる彼の瞳の色が、君に途轍もなく類似しているのだ。私はもうサンタクロース、という忌み名を出すのは止めて、話題を変えることにした。
「望遠鏡など、ここから見てもガラスの空ばかりだ。電気の星を見ても面白くないだろう。星が見たい時は私に言いなさい。本当の宇宙と星を見せてやろう」
 お前は恵まれていると、最後に呟くように付け足す。そうだ、お前は恵まれている。世界政府はこの先、親が子供にプレゼントを渡すというクリスマスの慣習も廃止するつもりだ。そうなってしまう世の中で、たとえプレゼントという概念が無くなっても、お前の願望だけはできるだけ叶えていきたい。そうすることで、香川君がまだ私の為にのこしていたであろう願望を叶えることができるとわかっていた。それなのにーーー、錠剤を素直に飲み干すお前の浮かない顔。頬を流れる一筋に、また新たな問いが次々に膨れ上がってきた。ーーー光年先の宇宙を見渡す私の望遠鏡は、偽の空しか映さないものに負けるのか。私は、存在もしない赤服の老人に負けるというのか。
 香川君。君の願望は、どうすれば叶えられる?
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