第3話

文字数 1,947文字


 より力強く、より歩くのが早い君が先導して、いつしか君の行きたい所に辿り着くのが私たちの歩き方だった。この日も君に連れられるように、公園の歩道を道なりに歩く。だが、いつもより速度が控えめなのか、広場の待ち合わせ場所へと急ぐ男や、腕を組んで道から外れ、店へと入っていく二人組と何度もすれ違った。私は寒さに肩をすくめて、閉口したままであった。いや、無口になってしまうのも、いつものことだった。凍えた息を一つ吐き出すと、暖かい場所への渇望で頭が満たされる。君の方をちらと見ると、珍しく君も黙りこくっていた。赤くなったその鼻先に、手をまた強く握る。
 奥の方まで来て、人気がほとんどなくなったところで、ついに君は言葉を発した。
「窓井衛人くん」
 急にフルネームで呼ばれて転びそうになったのを、君が引っ張って制止した。眼鏡がずれて、白髭が剥がれ落ちる。髭を拾おうとしたが、一筋の北風に攫われてしまった。それでも君は構わずに私の手を引いていく。いつしか、開けた丘へと向かう上り坂の途中まで来ていた。君の軽い足取りに任せたまま、私はやっと口を開いた。
「何だい。下の名前まで呼ぶとは」
「いや……。今どき、珍しいって思って。最近、というか結構前からだけど。『衛』だけで『まもる』とか、守とか護とか、とにかく『まもる』って名前が増えてきたって聞くでしょ」
「あぁ、あの人工衛星の影響でだろう」
「そう、『マモルくん号』。百年くらい前に、清咲灯詞博士が発明したーーー」
「『誰でも飛ばせる人工衛星』。個人が自由に書いたメッセージを、高性能翻訳AIが搭載された人工衛星に乗せて飛ばす」
「そうそう。わたしも、小さい頃に何回か飛ばしたんだよね。仕事のとき、何回か見かけたし」
「あんなのは、宇宙にロマンを求めすぎだ。大体は、宇宙空間上でごみになるのも知らないで」
「えー、でも。人が宇宙に行くのは、ロマンを求めてるからでもあるんじゃない?」
 会話は自然と続いたが、君が珍しくフルネームで呼んだ意義をはぐらかされた気がした。その間にも、私たちはやっと丘の頂上に辿り着いた。息を切らせる私をよそに、君は手を離して丘の真ん中に立つ。いつしか、黒塗りのガラスドームの空には無数の星ーーーに見立てた小さな電球が幾千も灯されていた。まったく。肉眼とレンズの差を鑑みなくとも、出来合いの空は望遠鏡で見る本物の空より、圧倒的にみにくい。私は研究室に戻って、暖かいコーヒーでも飲みながら星の観察がしたくて堪らなくなった。だが、君を見るとそのような思いは消え去っていった。君はあの、試すような視線をこちらに向けていた。眼差しは真面目な熱さをも伴っていて、思わず射すくめられてしまう。
「ねぇ、どうしてあなたは『衛くん』じゃなくて『衛人くん』なんだろうね?」
「さぁ。先生の……育ての親の話では、私の父は人と違うことをやりたがった性格だったらしい。『まもる』というありふれた名前はつけたくなかったのではないか?」
「そっか。あなたと一緒だね」
 私は、父親と同じ性格をしている。君が言うように、私は月並みで陳腐なことは苦手な方だった。そんな性格が父親と似ていると言われてしまうと、私自身でさえも会ったことのない父親のことを君は見透かしているような気がして、不思議でたまらなかった。眼差しの熱を少しだけ柔らかくして君は続ける。
「あなたも、誰も見つけたことのない星を探す研究をして、そうやってこれまでに九つも星を見つけた。……ねぇ、あなたが見つけた『Ga-810星』、見てみたい」
君は目を空の方に移すと、半狂乱のように出鱈目に首と体とを回した。だが、上にあるのは人工のガラスドームの空だ。私が見つけた星はおろか、本物の太陽や月でさえも見ることは叶わない。君もそれをわかっているはずなのに、必死になってGa-810星を見つけようとしている。不可解な行動だったが、何故だか私は、今見えている空は偽の物だと咎めることができなかった。私は黒々とした冷たい天球の一面を見上げると、自分を中心とした孤をなぞった。
「……18等星だ。たとえ地上にいたとしても、肉眼では見えない。だが、方角でいえばあちらの方だろうか」
 君の顔が、指差した方角を素直に向く。私たちがこのまま真っ直ぐ上に昇って、同じ方角に向けた研究室の望遠鏡を覗けば、間違いなくGa-810星は見えるはずだ。私は解説を挟もうと試みたが、この星は発見者の私でさえも理解が進んでいなかった。
「……Ga-810星は白色矮星だ。太陽の58倍もある。望遠鏡越しに白く輝く」
 今度一緒に見よう、と言っても、君は答えない。全てが不自然なほど均等に、眩しく輝く星空を前に、巨大な白い星が彼方に存在するであろう方向をずっと見つめ続けていた。
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