第9話

文字数 1,373文字


 クリスマスの朝。底冷えの残る廊下を縫って、私は研究室から少し離れた一室の扉の前に来ていた。カードキーを翳すと、無機質な鉄の扉が無機質に開く。その途端、室内の眩しさが寝起きの眼を攻め立ててくる。部屋中の電気が点けっぱなし、床は玩具と電子機器まみれ。何故かタイマーが設定されていたエアコンだけが止まっていて、私の吐いた溜息は白い霧となった。極彩色の光を放つテレビの画面は、ニュースを穏やかに発信していた。
『今年は寂しいクリスマスとなりました。こちらはアメリゴ国、十歳のヴィッキーちゃんにプレゼントを渡すお母さん。ヴィッキーちゃんは戸惑いを隠せません。世界政府は先日、サンタクロースの慣習を廃止する方針を発表しました。この施策は雛菊国主導のものとみられーーー』
「衛!!」
 ありきたりな名前を叫ぶ。足元のクッションが蠢いて、被さっていたタオルケットが掲げられると、その名を呼ばれた顔が出現した。赤くなった高い鼻筋に、目尻だけが引き締まった大きな瞳、燻んだ色の黒髪。どこをとっても、まるで君をそのまま小さくしたかのような存在が私の目の前にいる。それが、怯えた目つきで私を見上げてくるのが堪らなくなって、いつものように目を背けた。やがて突き刺さってくる視線を感じなくなると、私は彼の観察をーーーこれもいつもの慣習だったーーー始める。彼は辺りを何度も見回して、座ったままタオルケットやクッションを持ち上げる。子供用の背の低い机の上に乗ったパネルを認めると、短い指で操作した。エアコンから音が鳴り、暖かい風が部屋に吹き込んでいく。だが、探しているものはパネルではなかったらしい。彼は続いて、テレビの隣に備え付けられた造りもののクリスマスツリーに駆け寄る。ツリーの周りを一周して、下から覗き込み、テレビ台の裏まで探す。それでも所望のものは見つからないようで、座り込んで呆気に取られた顔をした。動作が止まったところで、私は腕時計型のモニターを確認する。彼のバイタルは安定しており、どの臓器も異常はない。だが、感情指数は負を示し、pmr値ーーー生まれつき彼の眼球に取り付けられていた詳細不明の受信機の周波数を測定したものーーーも乱れている。私は見えなくなった息を吐くと、壁のボタンの一つを押した。指紋を認証して、壁の奥から擦るような音がする。それが止まるのを待ってから、小型の取手を引く。そこにあったのは、簡素なトレイに乗せられた粥の椀に、湯気を立てるスープ。小鉢の中の錠剤を転がすと、いつものものに併せて負の感情を和らげるサプリメントも入っていた。私は頷いて、トレイをテーブルの上に置いた。
「衛。朝食だ」
 背中を丸めて俯いていた彼だったが、私の声に時を動かされたかのように飛び跳ねた。急いで椅子に掛けると、いつもと変わらない朝食を虚ろな目で品定めする。一瞬だけ目線を私の方に移すと、匙を手に取って口に運び始めた。私は観察を再開しようと、立ったまま食事の様子を見ていた。まだ覚束ない手元の匙は食器に当たるたびに音を鳴らし、落ち着かない面持ちで私の方をちらちらと見上げる。負の感情指数に一気に振れたのだろう、腕のモニターが微かに震えて、私は白衣のポケットに両手を隠す。それからは気にかけない素振りをしながら彼に視線を度々注いだが、彼はもう私の方を見ることはなかった。
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