第5話

文字数 1,684文字


 私たちは丘を下ると、夕食をとるための店へと足早に向かった。この店は私が予約していたのだが、何せ君とでさえ、簡単に入るのが憚られるような雰囲気の場所だった。フランス料理なのかイタリアンなのか、それとも中華なのか。提供される料理のジャンルもよくわかっていないまま、楽しみ、と言ってくれた君に愛想だけの笑いを向ける。暫しの抱擁から離れた今、私たちの鼻先も、足元も、身体中の先端という先端が冷えきってしまっていた。繋がれた両手だけが、私のポケットの中で暖まる。
「結局、私の方がサンタになったね」
「いや。どう見たって、私の方がサンタクロースらしい」
 両腕を広げて、自分の格好を君に見せつける。その拍子に私たちの手が飛び出した。君は咄嗟に、両手をより奥まで押し込む。それから、私の着ている上着をまたまじまじと見て、そりゃあ、どう見てもサンタだけど。と声を上げて笑う。なぜ君の笑いをこんなにも誘うのか未だに理解できない私を置いて、君は私の手を引くようにして歩く速度を早めた。一歩後方から、君の表情の見えない頭部とお互いが揃わなくなった歩幅を見る。ふと、私のサンタ姿を見て一頻り笑った後、寂しそうに肩を寄せた君を思い出していた。そうして今、まるで手が繋がれているのに、君が離れていくような心地に襲われていった。もしかしたら私は、君の期待を外れてしまったのかもしれない。
「五年後くらいになるかもね。籍入れるのは」
 鬱々とした不安感に、君が追い討ちをかける。慌てて追いつくと、君は口角を上げつつ、困ったような顔を見せた。何故だ、と問いかけると、君は開いた方の腕をまっすぐ伸ばして彼方へと指を差す。
「私、行くんだよ。Ga-810星に」
 指の先は、つい先刻私が君に教えた、Ga-810星がある方角と一致していた。
「再来月から、仕事でね。新しい星ーーーGa-810星の調査」
「そうか……本当に、君は離れていくのだな」
 何の話?と君が問いかけても、私は苦しい思考を止めることができなかった。なるほど、Ga-810星へ行くのには、今の技術であれば最低でも二年かかると推定される。そこで一年ほど実地調査をしたとして、また二年かけて地球へと帰還する。君が挙げた五年というのも、希望的な最低年数であろう。君と結ばれるには最低でも五年、待たなければいけないのはおろか、再来月になると五年以上は待たなければ、君に会えなくなってしまう。そう思うと、無意識にも君の手をより強く握りしめていた。いや、そうすることしかできなかったのかもしれない。それでも、強い手の感触に気づいてくれたであろう君は、ずっと黙々とした私の歩みを止めて、正面から向き合直した。そして、空いた互いの手までも取って握る。熱のない指先を温め合うように、君は固く凍えた手で私の手を何度も押さえた。悶々と張り詰めた思考が、僅かに溶けていくのを感じた。そのまま、優しい笑みを零した君の瞳が、祈るように上を向く。
「だからさ、サンタさん。私が帰ってきたら、あなたから、結婚指輪がほしい」
 次に君が小さく零したのは、一つの願いだった。それを聞き入れる間もなく、君の顔がまたしても赤くなっていく。私はといえば、暖められた思考は君から提示された願いのことで頭が一杯になっていた。結婚指輪。君が望むのであれば、指輪でも宝石でもいくらでも工面できるだろう。だが、サンタクロースを介するとなると話は別だ。困った。私はサンタクロースの知り合いではない。先刻の口振から、君なら知っているのだろうか。しかし、当の君に聞くのは野暮にも思われた。
「じゃ。これは婚約指輪、ってことで」
 照れを隠すかのように、君は繋がれていなかった方の私の手ーーーGa-810星が瞬く左手を胸の前に掲げる。今度は其方の手同士が、君のポケットに吸い込まれていった。駆け出した君に息を上げる私。空では、相も変わらず均等な輝きの星々が地を見下ろしている。だが、この聖夜に交わされた五年越しの約束によって結ばれていくであろう私たちには、つくり物の星、街を彩る電飾でさえ、祝福の灯りに見えるのであった。
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