第1話ー人生(現代ドラマ)

文字数 1,067文字


僕の人生は良くも悪くも人並みではあったが、幸せそのものだった。
極一般的な、普通の両親のもとに生まれて、何不自由なく過ごし、仲の良い夫婦の元で健やかに成長した。
子供の頃の将来の夢は、守りたい人を守れる様な、カッコイイ英雄になること。
クリスマスに関しては、中学生の頃までサンタさんを信じていた。
社会人になり、そこそこの給料を貰い、職場の先輩と社内恋愛をし結婚をして、どちらかが先に逝く時は笑顔で、なんて約束もした。
結婚してからは、ごく普通の二階建ての一軒家を買い、夫婦で円満な生活を送っては、子供にも三人恵まれた。
三人の子供全員が成人したときは、妻に「少し寂しくなるね」と話しては、「貴方が傍に居てくれているわ」と、妻に諭された。
時が過ぎていくと、子供達も次々と結婚していき、その度に過去の感傷に浸っては夫婦揃って号泣した。
初めての子育てで悩んだこと、苦しんだこと。
それでも楽しく、幸せに満ち満ちていたこと。
孫が生まれてからは、正月に顔を出してはお年玉を強請る孫に癒されつつ、一年の節目を感じていた。
それからは時が過ぎ、孫も成人し、子供が生まれ、僕は病に伏していた。
僕は癌になったらしい。
その時は、言葉に出来ない程の絶望感に苛まれた。
癌という抗うことの出来ない相手に対して、僕は無力にも、妻を一人にして逝かないといけないからだ。
ベッドで寝ていると、周りから言葉が聴こえてきた。
それがどんな言葉なのかは、分からない。
しかし、その声が誰の声なのかは分かる。
分からない訳がなかった。
僕の人生の苦楽を共に歩んできたパートナーであり、僕が愛したたった一人の女の子。
僕は、鉛のように重く閉ざされた瞼を、不思議な引力で開けようにも開けられない瞼を、全ての力で、自分の出せる気力を出し切って、そっと開いた。
瞼を開けると、鼻水と涙でぐちゃぐちゃにした顔を、手で覆っている妻が隣にいた。
妻の口から溢れているのは嗚咽だった。
妻が泣いている。
僕は心から、妻には笑っていて欲しい。
だから、妻の名前を呼んだ。
「わ…ら……って、て。ーーーーさ、ん」
僕の瞼は徐々に閉じていき、瞳には光をうっすらとしか感じなくなっていた。
もはや、瞼を開けようとする気力すらない。
手足の感覚も、もはや全てがない。
でも、それでも、後悔はなかった。
だって、僕の瞳に最後に映ったのは
僕のしわくちゃな、朽ちた手を両手で包み込み
涙と鼻水で顔を濡らしながらも
今までで一番の笑顔をつくっている
世界で一番綺麗な、妻の姿だったのだから…。
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