第4話 初乗車
文字数 1,943文字
ドレスアップする程のことはないが、カジュアル過ぎるのも考え物。土曜の朝にわざわざ電車に乗りに行くための格好というのは何とも捉えどころがない訳だが、とりあえず休日出勤風で臨むことにして、ごく普通の列車に揺られながら三雄は新宿に向かっている。土曜というのは始発がないので席に着くことは叶わなかったものの、無茶苦茶混んでいる訳ではないので何とかなっている。気がかりは予期せぬ遅延などで指定の総武線に乗り損ねないか、の一点。平日は平日でノロノロすることは多々あるが、土曜には土曜なりの緩やかさがある。その緩慢な感じが今日は苛立たしい。
いつもと違う番線は遠く、そこからさらに最後方をめざすとなると結構な距離になる。何とか間に合ったが、果たして? 切迫感・緊張感の類は敬遠したいところだが、こういう状況では致し方ない。が、自分でも不思議と負荷がかからない。むしろ妙な昂揚感が支配しつつあった。それなりの混雑につき、ホームは必要以上に長くなる。山手線・総武線ともに何本も過ぎて行った気がするが、焦りはない。それは気のせいと今は自分に言い聞かせている。着くべき場所に着けば、あとは平然としたものだ。
よくよく考えると新宿の到着時刻を調べていなかったのだが、タイミングとしては丁度良かったようだ。待つこと数分で、指定の各駅停車が滑り込んできた。ふだんは意識しない列車番号がしかと目に留まり、確信を得る。そして・・・
ホームに降り立ったのはかの車掌さん、正にその女性だった。声をかけに行ったものか、いやいや。九号車と十号車の間付近にいた三雄はしばらく様子を見つつも、彼女が発車メロディーを鳴らしに向かったところでひとまず乗り込むことにした。と、視線の先にはあまり柄の良くなさそうな若者がドア際にもたれかかっている。危うきに近寄らない云々を心がけている乗客は一つ先のドアから乗車し、扉が閉まるのを見届けた。気になる車掌さんの担当列車、記念すべき初乗車はこうして始まった。
多少離れているが、見通しは利く。代々木を過ぎると立っている客はごく少数になり、車掌さんの姿を視認するのも容易になった。が、如何せん発車後は目の届かない運転席に座してしまうため、十号車の客がどうの、どころではない。同じ車両にいながらもこの隔絶。物理的に隔てるものもあるが、業務の内と外とで分かつものというのがあって、さっきから動けずにいる。あいにくボードは持ってきていないので、コンタクトのとりようもない。
もどかしさを乗せたまま電車は走る。車掌職としての決まった動きというのがあるが、駅間が短い分、至って機械的に繰り返されるばかりで、いわゆるアソビのような間隙がない。加えてアナウンスも自動音声につき、益々隔たりを感じざるを得ないのだ。彼女は気付いているのだろうか。
昂揚が焦燥に変わるような心持ちでいると、周囲の雑音はあまり耳に入ってこないらしい。隣の車両の方向で何やらガサツな話し声が聞こえてはいたが、目を向けようと思うだけの関心はなく、ただ首都高速を並走する車を向かい合わせで見遣るのみ。間もなく四ツ谷である。
速度を落とすとトンネルに入る。おそらく通常ならそのままホームの方角に顔を出し、指差し確認したりするのだろうけど、彼女は違った。乗務員室の中央に進み出て、車内を見渡し始めたのだ。そして招いた客人がいることを確認すると幾分首を傾げた後でそのまま一礼。客人も釣られて頭を下げることになる。目を落とした先、彼の腕時計は九時きっかりを指していた。これまたちょっとした記念時刻である。
四ツ谷を出てからは三雄の心情は至って穏やかになった。時に後姿を見るばかりではあるが、それだけで落ち着くものがある。が、その後姿は再び前を向き、今度は厳しい感じで視線が飛んだ。この辺りでは車掌はまだ席に着いている、というのがこれまで見てきた中で得たセオリーである。それが打破されただけでも一驚ゆえ、そのドキドキは名状し難い限りだったが、程なくその視線の向かう先が車両の奥らしいことを三雄は知る。ホッとするも、が、しかし、である。
疑問はすぐに解けた。先の話し声の主が例の危うきの若者で、しかも携帯電話で朗々とやっていたのだ。優先席に人がいないのはその不埒な若輩のせいだろう。周囲に客が近づかないのをいいことに正に傍若無人の態。車掌さんは一旦席に戻り、マイクを手に取った。
「間もなく飯田橋に着きます。ホームと扉、離れております。足元には十分ご注意ください。」
ケータイの件に触れることはなく、最低限のアナウンスにとどめたのには理由がある。もっとも、輩がここで下車していればそれも要らなかった訳だが、この一節、つまりはマイクテストのためだった。
いつもと違う番線は遠く、そこからさらに最後方をめざすとなると結構な距離になる。何とか間に合ったが、果たして? 切迫感・緊張感の類は敬遠したいところだが、こういう状況では致し方ない。が、自分でも不思議と負荷がかからない。むしろ妙な昂揚感が支配しつつあった。それなりの混雑につき、ホームは必要以上に長くなる。山手線・総武線ともに何本も過ぎて行った気がするが、焦りはない。それは気のせいと今は自分に言い聞かせている。着くべき場所に着けば、あとは平然としたものだ。
よくよく考えると新宿の到着時刻を調べていなかったのだが、タイミングとしては丁度良かったようだ。待つこと数分で、指定の各駅停車が滑り込んできた。ふだんは意識しない列車番号がしかと目に留まり、確信を得る。そして・・・
ホームに降り立ったのはかの車掌さん、正にその女性だった。声をかけに行ったものか、いやいや。九号車と十号車の間付近にいた三雄はしばらく様子を見つつも、彼女が発車メロディーを鳴らしに向かったところでひとまず乗り込むことにした。と、視線の先にはあまり柄の良くなさそうな若者がドア際にもたれかかっている。危うきに近寄らない云々を心がけている乗客は一つ先のドアから乗車し、扉が閉まるのを見届けた。気になる車掌さんの担当列車、記念すべき初乗車はこうして始まった。
多少離れているが、見通しは利く。代々木を過ぎると立っている客はごく少数になり、車掌さんの姿を視認するのも容易になった。が、如何せん発車後は目の届かない運転席に座してしまうため、十号車の客がどうの、どころではない。同じ車両にいながらもこの隔絶。物理的に隔てるものもあるが、業務の内と外とで分かつものというのがあって、さっきから動けずにいる。あいにくボードは持ってきていないので、コンタクトのとりようもない。
もどかしさを乗せたまま電車は走る。車掌職としての決まった動きというのがあるが、駅間が短い分、至って機械的に繰り返されるばかりで、いわゆるアソビのような間隙がない。加えてアナウンスも自動音声につき、益々隔たりを感じざるを得ないのだ。彼女は気付いているのだろうか。
昂揚が焦燥に変わるような心持ちでいると、周囲の雑音はあまり耳に入ってこないらしい。隣の車両の方向で何やらガサツな話し声が聞こえてはいたが、目を向けようと思うだけの関心はなく、ただ首都高速を並走する車を向かい合わせで見遣るのみ。間もなく四ツ谷である。
速度を落とすとトンネルに入る。おそらく通常ならそのままホームの方角に顔を出し、指差し確認したりするのだろうけど、彼女は違った。乗務員室の中央に進み出て、車内を見渡し始めたのだ。そして招いた客人がいることを確認すると幾分首を傾げた後でそのまま一礼。客人も釣られて頭を下げることになる。目を落とした先、彼の腕時計は九時きっかりを指していた。これまたちょっとした記念時刻である。
四ツ谷を出てからは三雄の心情は至って穏やかになった。時に後姿を見るばかりではあるが、それだけで落ち着くものがある。が、その後姿は再び前を向き、今度は厳しい感じで視線が飛んだ。この辺りでは車掌はまだ席に着いている、というのがこれまで見てきた中で得たセオリーである。それが打破されただけでも一驚ゆえ、そのドキドキは名状し難い限りだったが、程なくその視線の向かう先が車両の奥らしいことを三雄は知る。ホッとするも、が、しかし、である。
疑問はすぐに解けた。先の話し声の主が例の危うきの若者で、しかも携帯電話で朗々とやっていたのだ。優先席に人がいないのはその不埒な若輩のせいだろう。周囲に客が近づかないのをいいことに正に傍若無人の態。車掌さんは一旦席に戻り、マイクを手に取った。
「間もなく飯田橋に着きます。ホームと扉、離れております。足元には十分ご注意ください。」
ケータイの件に触れることはなく、最低限のアナウンスにとどめたのには理由がある。もっとも、輩がここで下車していればそれも要らなかった訳だが、この一節、つまりはマイクテストのためだった。