第9話 オンボード
文字数 2,067文字
「もしかしてパニック障害ってやつですか?」
再び鋭いところを衝かれ、三雄は一歩後ずさり。だが、これは理解者を得た瞬間でもあったのだ。思いも寄らないことではあったが、話を聞いてもらえるならとポツリポツリ始めた。
「最初はやっぱり電車の中でした。駅間で動かなくなってしまった時ですね。とにかく何が何だかわからなくて、で、動き出した次の駅で降りて深呼吸を繰り返すうちに何とか治まった。でも一度こういう経験をすると次はいつ?というのが恐怖になってしまって・・・。どうも長時間閉ざされているとダメというのがわかるとそれはそれで問題というか。」
「問題?」
「新幹線、特急列車、さらには特別快速とかも」
「社員としては聞き捨てならないですねぇ」
「当然のことながら飛行機もね」
「広場恐怖症ってのも聞きますけど、あれは逆に開放空間?」
「とにかく外に出るのが怖くなるとか? 帰れなくなるのが怖いって思いはしたことありますけど、外出自体は何とか平気でした。」
「フーン」
発車まではまだ時間がかかりそうだ。時計を気にしつつも彼女は再度問いかけてみる。
「例えばの話ですけど、そういう時って孤立感みたいのは?」
「醜態をさらすことへの恐怖みたいなのはあります」
「てことは、それを受け止められる環境があれば大丈夫だったり?」
「そう、ですね。助けてもらうことへの躊躇がなければ、かな?」
「そっか、並岡さんは助ける方だから・・・」
間をおいて言葉を継ぐ。
「ちょっとの勇気って簡単そうで難しいんですよね。でもそれを実行してくださる方がいると、他のお客さんも同調して大きな力になる。この間はおかげ様で大事になりませんでしたけど、私、本当に救われたなぁって。ちょっと違うかも知れませんけど、きっと助けてくれる方は現れるはずです。もちろんそういう状況を作らないようにすることが大前提ですけどね。」
「助けられる立場ってのは何とも複雑なものがありますね。でも、何とかなるってのはよくわかりました。今日は本当にありがとうございました。」
彼女は笑顔で頷くが、まだ話し足りなそうな表情を浮かべる。乗客は増えてきていて、発車予定時刻も表示され始めた。あと五分ほどで運転再開か。
車掌さんは一旦アナウンスを入れると、再びベンチへ。話し込みはまだ続く。
「話変わりますけど、あの時言ってたことって本当ですか? 閉鎖空間と電磁波の関係っていうか。」
「少なくともつながりにくいところで無理やりかけると影響あり、ってのは聞きます」
「へぇ」
「あとは呼び出し中も頭から離した方がベターとか」
「お詳しいんですね」
「電磁界を遮るパーティションてのも扱ってますしね。人体への影響を調べることもあるんで。」
名古屋の地下鉄では携帯電話を使えなくしている路線がある、逆にソウルの地下鉄はケータイ使い放題、そんな話を挟んでからだったが、
「私、ケータイ、嫌いなんですよ。以前、車内で通話してる人の隣で具合を悪くされた方がいて、大変!てこともあって。だから余計ネ。」
これが言いたかったようだ。
「いやいや、あれこそ勇気ある行動って言うか」
「そっか、まずボードで警告すればよかった?」
「はぁ、そんな用途も。商品化できないか試してたんですけど、成る程ね。」
「立派なお役立ちグッズですよ。でも仕切るための道具をコミュニケーション用に使うって何か変?」
乗っていた朱の方の発車メロディーが鳴る。三雄が頭を下げると、その男性車掌は敬礼で返した。対する女性車掌も同じく礼。そろそろ黄色も出発する時間だ。
「心配なのは今日の件で再発?とか、ですが」
「長時間じっとしていられるかどうかなんですよね。騙し騙しですが、こっちも気を付けます。いやまた助けを呼びます。」
「そういうお客様がいらっしゃる、というのをガイドラインに盛り込まないといけませんね。でも、安心感があれば長時間でも平気、ですか?」
「そうか、明日からは総武線、いや佐方さんの担当列車に」
「じゃあ・・・ちょっと貸してもらっていいですか?」
朝方に乗り込む予定の列車番号何日か分をボードにサラサラ。そして、
『佐方安季 乗務員歴三年 彼氏いない歴○年』
と小さく綴って三雄に手渡すのだった。
「じゃまた連絡しますんで!」
発車メロディーを短く切り上げ、そそくさと乗車。扉が閉まるのも早かった。アクシデント明けの列車は、急くように走り出す。女性車掌もその加速に身を任せるように去って行った。振り返ることはなかった。
ホームには今、男性が一人。神田川の下流方向をしばらく見遣っていたが、次にはボードに目を落とし、そしてボンヤリ。御茶ノ水駅で過ごす時間は否応なく長くなっていくのだった。
かくしてボードの有効性は大いに実証された。商品化もそう遠い話ではないだろう。が、この二人の間で使われることはなかった。
黄色い電車の十号車のPartition。その一枚を挟むだけの距離にボードは要らない。何かあったらノックすればいいのである。
再び鋭いところを衝かれ、三雄は一歩後ずさり。だが、これは理解者を得た瞬間でもあったのだ。思いも寄らないことではあったが、話を聞いてもらえるならとポツリポツリ始めた。
「最初はやっぱり電車の中でした。駅間で動かなくなってしまった時ですね。とにかく何が何だかわからなくて、で、動き出した次の駅で降りて深呼吸を繰り返すうちに何とか治まった。でも一度こういう経験をすると次はいつ?というのが恐怖になってしまって・・・。どうも長時間閉ざされているとダメというのがわかるとそれはそれで問題というか。」
「問題?」
「新幹線、特急列車、さらには特別快速とかも」
「社員としては聞き捨てならないですねぇ」
「当然のことながら飛行機もね」
「広場恐怖症ってのも聞きますけど、あれは逆に開放空間?」
「とにかく外に出るのが怖くなるとか? 帰れなくなるのが怖いって思いはしたことありますけど、外出自体は何とか平気でした。」
「フーン」
発車まではまだ時間がかかりそうだ。時計を気にしつつも彼女は再度問いかけてみる。
「例えばの話ですけど、そういう時って孤立感みたいのは?」
「醜態をさらすことへの恐怖みたいなのはあります」
「てことは、それを受け止められる環境があれば大丈夫だったり?」
「そう、ですね。助けてもらうことへの躊躇がなければ、かな?」
「そっか、並岡さんは助ける方だから・・・」
間をおいて言葉を継ぐ。
「ちょっとの勇気って簡単そうで難しいんですよね。でもそれを実行してくださる方がいると、他のお客さんも同調して大きな力になる。この間はおかげ様で大事になりませんでしたけど、私、本当に救われたなぁって。ちょっと違うかも知れませんけど、きっと助けてくれる方は現れるはずです。もちろんそういう状況を作らないようにすることが大前提ですけどね。」
「助けられる立場ってのは何とも複雑なものがありますね。でも、何とかなるってのはよくわかりました。今日は本当にありがとうございました。」
彼女は笑顔で頷くが、まだ話し足りなそうな表情を浮かべる。乗客は増えてきていて、発車予定時刻も表示され始めた。あと五分ほどで運転再開か。
車掌さんは一旦アナウンスを入れると、再びベンチへ。話し込みはまだ続く。
「話変わりますけど、あの時言ってたことって本当ですか? 閉鎖空間と電磁波の関係っていうか。」
「少なくともつながりにくいところで無理やりかけると影響あり、ってのは聞きます」
「へぇ」
「あとは呼び出し中も頭から離した方がベターとか」
「お詳しいんですね」
「電磁界を遮るパーティションてのも扱ってますしね。人体への影響を調べることもあるんで。」
名古屋の地下鉄では携帯電話を使えなくしている路線がある、逆にソウルの地下鉄はケータイ使い放題、そんな話を挟んでからだったが、
「私、ケータイ、嫌いなんですよ。以前、車内で通話してる人の隣で具合を悪くされた方がいて、大変!てこともあって。だから余計ネ。」
これが言いたかったようだ。
「いやいや、あれこそ勇気ある行動って言うか」
「そっか、まずボードで警告すればよかった?」
「はぁ、そんな用途も。商品化できないか試してたんですけど、成る程ね。」
「立派なお役立ちグッズですよ。でも仕切るための道具をコミュニケーション用に使うって何か変?」
乗っていた朱の方の発車メロディーが鳴る。三雄が頭を下げると、その男性車掌は敬礼で返した。対する女性車掌も同じく礼。そろそろ黄色も出発する時間だ。
「心配なのは今日の件で再発?とか、ですが」
「長時間じっとしていられるかどうかなんですよね。騙し騙しですが、こっちも気を付けます。いやまた助けを呼びます。」
「そういうお客様がいらっしゃる、というのをガイドラインに盛り込まないといけませんね。でも、安心感があれば長時間でも平気、ですか?」
「そうか、明日からは総武線、いや佐方さんの担当列車に」
「じゃあ・・・ちょっと貸してもらっていいですか?」
朝方に乗り込む予定の列車番号何日か分をボードにサラサラ。そして、
『佐方安季 乗務員歴三年 彼氏いない歴○年』
と小さく綴って三雄に手渡すのだった。
「じゃまた連絡しますんで!」
発車メロディーを短く切り上げ、そそくさと乗車。扉が閉まるのも早かった。アクシデント明けの列車は、急くように走り出す。女性車掌もその加速に身を任せるように去って行った。振り返ることはなかった。
ホームには今、男性が一人。神田川の下流方向をしばらく見遣っていたが、次にはボードに目を落とし、そしてボンヤリ。御茶ノ水駅で過ごす時間は否応なく長くなっていくのだった。
かくしてボードの有効性は大いに実証された。商品化もそう遠い話ではないだろう。が、この二人の間で使われることはなかった。
黄色い電車の十号車のPartition。その一枚を挟むだけの距離にボードは要らない。何かあったらノックすればいいのである。