第1話 アイコンタクト

文字数 1,376文字

 ダイヤ改正で終着駅は変わったが、始発列車であることには変わりない。今の三雄にとって、この始発は出社するための一大要件である。多少の息苦しさはあったとしても、着席できる分ぐっと負担は減る。これまで終点だった新宿は今は途中駅。下車するのに少々苦労を伴うが、着席位置とタイミングさえつかめばどうということはない。

 降車方法に慣れてきた頃、年度は変わり、担当する商品分野が変更になるも、朝遅めの出社というのは今まで通り。今朝もサザンテラス口に通じる通路を経て、順当に中央線快速に乗り換えるのだった。

 七番線に列車が入線してくるのが見えた。このエスカレーター降り口から列車まではただでさえ距離があるところ、先頭車両は女性専用なので、男性客は少々割を食う。停車中のが視界に入るとつい焦ってしまうのだが、入ってくる途中であれば問題はない。二両目に着いたところで発車の合図。ここから先は着席こそできなくとも比較的空いている分、余裕を持てる。そしてこの日の上り快速は新入・新人諸氏の混雑云々もなく、実にガランとしていた。乗り込んだのと反対側のドア口まで歩を進めることができればなおのこと好い。

 四ツ谷でさらに乗客は減り、ドア際の一角を悠々と占める。変にゆとりがあると要らぬことを考えてまた揺り戻しが起こる可能性があるが、今日のは違う。車外の風景を楽しめる程度の適度なゆとり、と言ったものだった。

 濠の斜面が途切れるのは飯田橋にかかる辺り。そして同駅のカーブを徐行しながら曲がり終えると、視界が開け、陽光も射し込んでくる。次に陽射しが隠れるのは水道橋を過ぎた辺。線路沿いの坂道と台地が翳を作る訳だが、追い討ちをかけるように暗くなるのは総武線の複線が上から被さる構造のせいである。その俄かトンネルに入るともう景色がどうの、ということはない。ただ御茶ノ水に着くのを待つばかりだ。

 ここまでは至って順調だった。が、先行列車がつかえていたようで減速の度合いが大きくなり、しまいには一時停止。

 アナウンスが入るまでの間がやけに長く感じたが、気が紛れたのは隣を総武線が走り抜けていったからで、さらには、
 「あ、女性車掌さん」
 抜き去りかけたところで黄色い方も速度を落とし、窓から顔を出していたその車掌さんが朱い方に目を向けたからだった。

 そして次の瞬間。それは一瞬のことだったので、よくはわからなかったが、三雄と目が合うと片目をつむって一笑・・・少なくとも彼にはそう見えた。

 アナウンスの声は彼の耳には届かなかった。早く着いてほしいと願うドキドキとは異質の何かが支配し始め、やはり落ち着きを失いかける。程なく動いたからよかったものの、そのまま信号が変わらなかったらどうなっていたことか。

 二両目は即ち聖橋口寄りである。方や女性車掌さんがいるのは真反対の御茶ノ水橋口。時間調整のためか、総武線はしばらく停車していたようだが、時間に押されているような感覚に陥っていた三雄はさっさと階段を上がり、総武線を見送ることはなかった。

 「二分遅れで発車しました。お急ぎのところご迷惑をおかけしました。次は秋葉原、秋葉原・・・」
 自動音声をOFFにしてのアナウンス。彼女の声が神田川に反響することはないが、伝わるものは少なからずある。聖橋を小走りで渡っていた三雄が足を止めたのは偶然ではなさそうだ。


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登場人物紹介

並岡三雄(なみおか・みつお)、文具・事務用品の中堅メーカー勤務

佐方安季(さかた・あき)、車掌、主に中央・総武線各駅停車に乗務

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