第6話 揺り戻し

文字数 1,319文字

 名刺を渡したからと言って、早々に連絡が来るものでもない。が、さすがに三日も経つとどうしたものか、と思ってしまう。
 「メアド、間違ってない、よなぁ・・・」
 名刺を手に改めてブツブツやっている。そろそろ四ツ谷。今のところ、抜き去った総武線に彼女の姿はなかった。先を行く列車に乗り合わせている可能性はあるが、はたしてどうだろう。関心が移るまま、三雄はとりあえず進行方向左のドア際に立ち、発車を待つ。

 程なく車窓には総武線の複線、そして外濠が入ってきた。快速列車はいつになく快走する。そして、また黄色いのを視野に捉える。が、その瞬間、すれ違う黄色いのが被るのだった。この区間でのこの状況には慣れっこなので、今更どうこう言うものではないが、口惜しくないと言えば嘘になる。気が付けばもう飯田橋を過ぎ、さすがにこれ以上抜き去ることはないと悟るばかり。暗くなったところで再び進行方向右のドア際へ移り、念のため待機することにした。四ツ谷で下車する人数が多かったので、こうした移動が易々とできるのはいい。だが、彼女が現れないことには意味がない。

 速度は落ち、車外からは光が入ってくる。ついでに隣の線を走る電車の最後尾も見えてきた。いつもならこの状態で並走することになるのだが、今日はちょっと違った。減速加減に差があったようで、朱いのが黄色いのに徐々に追いつき始めたのである。幾許かの期待を胸に三雄はボードを用意する。だが、今度はあらぬことに・・・

 ガタンだかドタンだか、表現しようのない音ともに急停車してしまった。そこそこ速度が残っていた分、その揺れは半端ではなく、悲鳴にも似た声も聞かれた。空いていたことで幸いケガ人はなかったようだが、俄かに列車非常停止ボタンが発する音が鳴り出し、車内には緊張感が走る。そして嫌な予感に満たされることになるのだった。
 「御茶ノ水駅で列車非常停止ボタンが押されました。詳しいことがわかり次第、改めてお知らせします。お急ぎのところ・・・」
 とこの辺りまで聞いたところで、三雄は朦朧となっていた。と同時に心臓の拍動は高まり、居ても立ってもいられなくなってくるのだった。
 「まずいな、うぅ・・・」
 大声を出したくもなるのだが、その衝動を抑えようとすればする程、心の中で大きくなるものがあって、制御が利かなくなる。

 警報音は鳴り止んだが、列車が動く気配は全くない。アナウンスは入りかけたところで止まってしまった。車内が静かだと落ち着きそうなものだが、逆に不安が募ることもある。

 どうにかなってしまう自分の姿を想像するとそれがまた恐怖となり、自分を追い込むことになる。周りが静かだとそのどうにかなった状態が一層目立ってしまうだろう。そんな怖れがまた上乗せされるから厄介だ。症状についてはわかっている。対処法もわかっていない訳ではない。それでも一度ループが起こると詮方なくなる。足が勝手に動いてしまうのだ。

 右へ左へとウロウロし始める乗客がいる。周りの客もその異変に気付いたような素振りは見せるが、彼の表情に拒むものを感じたか、黙ったまま。むしろ声をかけられたら逆に叫んでしまうだろう。そうならずに済んでいるのがせめてもの救いだった。

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登場人物紹介

並岡三雄(なみおか・みつお)、文具・事務用品の中堅メーカー勤務

佐方安季(さかた・あき)、車掌、主に中央・総武線各駅停車に乗務

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