第3話 今度は総武線で

文字数 884文字

 その端材は板書が可能。ただし、マーカーとセットで持ち歩くでもしない限りはただの板。もともと無理めな使途だけに、その有効性を検証するとなると悪あがきに近くなる。それでも一度あることは二度、二度あることは・・・の精神がある限り、検証は続く。電車に乗っている時だけが想定シーンではないはずだが、今の彼にとっては朝の中央線、それしかない。仮に席に余裕があったとしても、ドア際に佇むのがすっかりお決まりとなっている。

 連休が明けてから何日か空振りが続いたが、三度目の対面は割と早く実現した。中央線が一定の減速、対する総武線は先行していたところ一時停止。過去二度とは逆のパターンではあったが、抜き去る前に気付いていたので、準備はできた。束ねた後ろ髪。間違いない。

 『おはようございます 今度は総武線で』
 掲げたところで、さらに速度は落ち、はっきりと目が合う。すると思いがけないことに車掌さんも何かを取り出してきた。ボードではなくフリップのように見受ける。とにかく極太で三行。
 『土曜日 中野発0847 #83・・・』
 予め用意していたのかどうなのか。だが、その場で書いたものでないことは確かである。三雄は目を疑うも、とにかく四桁のコードはしっかり覚え、すかさずボードに転記した。

 快速はそのままゆっくりと入線し、各駅停車はしばらく経ってから入ってくることになった。こうなったら多少の遅刻は厭わない。ドアが開くと三雄はあわただしくホームの端をめざし、黄色い線を出たり入ったりしながら、その横で黄色い線がすれ違うのを恐々としながら、歩を進める。停車する前にどこまで先を急げるかがカギだ。だが、乗り込もうとする客、乗り換えようとする客の数は予想以上で、黄色いのが停まった途端、思うように動けなくなってしまった。

 御茶ノ水橋口に通じる階段までまだ数十メートル。車掌さんが乗り込む姿を確認するも、ただそれきり。一方的に発車を見送るだけだった。

 三雄の気持ちはすでに土曜日に向かっている。オフィスに向かう足取りもどうやら軽くなっていたようで、自席に着いたのは定時よりもずっと前の時分だった。

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登場人物紹介

並岡三雄(なみおか・みつお)、文具・事務用品の中堅メーカー勤務

佐方安季(さかた・あき)、車掌、主に中央・総武線各駅停車に乗務

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