伝えたかった事
文字数 3,335文字
天空の氷の竜。
さっきからシルフィスは、リリの背に両腕を回して微動だにしない。
リリは目を閉じてじっとしている。
この凍えた空間で、肌の触れた温もりだけが、現実世界への繋がりだった。
「ありがとう」
青年はポツンと言った。
「僕のわがままに付き合ってくれて」
そして腕を緩めて、少しずつほどくように身体を離した。
「君は優しいね、リィリヤとおんなじだ」
「そうでもないわよ」
リリは、最後に離した指先を、もう一度、彼の指の第一関節に掛けた。
「最初ほど嫌じゃなくなっただけ」
「………」
「さあ、次は何がしたいの? あたしを妻にしたい?」
「………」
「も う、い い の ?」
リリの言葉はつっけんどんだったが、畳み掛ける感じではなく、ゆっくりとした呪文のようだった。
「なら、次は、あたしのわがままに付き合って」
言いながらリリは横を向いて、少女が埋まっている氷の壁に右手を当てた。
「??」
口の中で何か呟くと、手の平に小さく風が渦巻いた。
ガリッ・・と音がして、氷の粒が弾け飛ぶ。
「な、何を、して、いる!」
シルフィスが慌てて腕を掴んだ。しかしリリの空いた左手がパシリと彼を退けた。
掌に青い火花がチキチキと瞬いている。
「少しの間、好きにさせて」
言いながらリリの手は、氷の中にみるみる吸い込まれて行く。
「駄目だ、よせ! やめろ!」
「ここじゃないのよ、リィリヤは」
「黙れ! そこに居るだろ、君に何が分かる」
掴み掛かるシルフィスは、リリの放電に弾かれて触れる事も出来ない。
「何でもいいから、とにかくやめろ・・やめてくれ、お願いだ、でないと・・」
暗い瞳に暴の光が走り、彼は手の中に冷気を孕ませて身構えた。
「やめているわよ」
リリの術は止まっていた。砕いた氷の穴に右腕が肩まで埋まっている。
少女に届く少し手前だった。
顔を上げたシルフィスに、リリは氷の穴から抜き出した右手を突きつけた。
握ったこぶしからポタポタと滴が落ちている。
呆気に取られて見つめる前で、指がゆっくり開かれる。
濡れた掌の真ん中に、ひときれの萎びた黄緑の草。
「??」
「こんな雲の上の高空に、草がある訳がない。これはリィリヤが握りしめていたという草でしょう?」
「あ、ああ、多分……」
リリは、両手で草を挟み、額に付けて集中した。
手紙でしかやった事がない。でも、今出来なきゃ……
頭が痛いのなんか飛んでいた。あたしがさっき逃げないで、ここまで連れられて来た理由は、きっとこれだ・・!
・・・・・・
・・・・・・
少しして、娘は紫の前髪の下の目を上げた。先程までとは違う、凛とした表情。
「ねえ、あんた、シィシス」
「…………」
「竜を飛ばして頂戴」
「は?」
「ここじゃないって言ったでしょう」
「??」
「とっとと行くわよ」
急き立てられて、青年は、勢いでいいなりになった。
「君、ちっとも、リィリヤじゃない」
「そうよ、今頃気付いたの?」
***
「風波の殿方は皆が皆、シルフィスさんとリィリヤさんに同情的で、哀しい悲恋物語として語っていらっしゃいました」
蒼の里の執務室。
長はじめ数人の大人の前で、小柄なピルカが、緊張しながらも背筋を伸ばして話している。
「さっきも外から聞こえてしまったのだけれど、血が近過ぎた事とか、何かもう、ただただどうしようもなく、ひたすら哀しいなって、皆さんそんな感じで」
ナーガは頷(うなず)いた。自分達だってヘイムダル父子に聞いて、そう思った。
そんな面々の顔を見回して、娘は息を吐いてから、思い切った感じで言った。
「あの、もしかして、ここの方々も、リィリヤさんが身を投げたと思っています? 意に沿わぬ縁談に悲嘆して、婚礼の夜に泣きながら崖から身を踊らせたと」
「・・・!!」
一同、喉をきゅっと閉められた気分になった。
確かに、何となく、うっすら、そうじゃないのかなぁ、と思っていた。
***
シルフィスは、リリに言われるままに竜を飛ばしていた。
あんなにリィリヤと重ね合わせていた娘が、今はぜんぜん違う風に見えている。
しかしそれで残念な気持ちにはならず、何故だか複雑に胸踊っていた。
「あすこだわ」
彼の前で額に草を当てて集中していた娘が、地上の一点を指差した。
・・・知っている場所だ・・・
「あそこには降りたくない」
「貴方のわがままに付き合ってあげたじゃない。あたし、結構な目に遭った気がするんだけれど? さあ降りて」
「………」
青年は口をヘの字に曲げて、竜を地上に向けた。
そこは切り立った崖淵の真上だった。すぐ近くにリィリヤが輿入れした集落がある。
そう、ここは……
「来るのは初めて?」
竜の背からヒラリと飛び降りながら、リリが聞いた。
「来る訳ないだろ。今だって目に映したくもない」
「そうやって目を背けているから……」
後の言葉は呑み込んで、リリは屈んで土の地面に両手を付いた。
今まで一度も出来た事のない術だ。
でも今出来なければならない。
今このヒト『達』の為に何も出来ないのなら、見失った『言葉』を見付けてあげられないのなら、あたしがこの血を持って生まれてきた意味などない。
理屈ではない、身体の奥底の何かが叫んで全身の血をザワつかせているのだ。
周囲の空気が熱を帯び、長い髪が魔力を帯びてバチバチと跳ねあがって行く。
***
「トンでもないです! あり得ない!」
ピルカのトーンの高い声に、ナーガまでもがビクリと揺れた。
「リィリヤさんは並外れて思いやりのある優しい方だったって、皆が口を揃えて言っていました。そんな方が、自分の大切なヒトが一番傷付くタイミングで身投げなんかする訳ないじゃないですか。彼女に対する冒涜です」
「理屈ではそうだけれど、衝動的な物ってあるじゃない」
ユゥジーンが要らん事を言った。
「輿入れする花嫁を馬鹿にしているのっ!?」
藪蛇なのに……と、ナーガは恨めしい目で青年を見た。
「そうですね、男性は、女性が他所の土地に嫁ぐのを『大変だろうな、可哀想だな』とは思うけれど、決して自分がそうなる事はないと安心して腑抜けているから、そんな短絡的な考えになるのだわ。私達はいつだって、何処へだって嫁ぐつもりで準備をしているのに」
蒼の里の男も、風波の男も、目を見張ってウサギ娘を凝視している。
「女の子は、いつか生まれ育った家から出て他所に嫁ぐ。もしかしたら友達もいない遠くの土地に独りぼっちで行くかもしれない。そうしたら今とはぜんぜん別の自分にならなければいけない。物心つく頃から当たり前に、女の子にはそういう覚悟があるのです」
「そ、それは、君たち蒼の里の自由に育った女の子だから言えるんじゃないか? 風波の女性はそうじゃないと思うよ」
ユゥジーンの懲りない反論に、ウサギ娘は目をつり上げた。
「どこの女の子だって一緒ですっ。女性が何も考えず羊みたいに従うだけの生き物だったとしたら、どんなに強い術を持っている部族だって、とっくの昔に滅んでる」
三倍返しが返って来て、ユゥジーンは叱られた羊みたいに黙らされた。
「彼女は多分、行った先での人生を、ちゃんと頑張って生きるつもりで輿入れをした。そしてその一日目で不幸な事故で命を落とした。それだけです。誰のせいでもありません。誰一人、負い目を背負って苦しまなくてもいい事なのです」
娘はここでヘイムダルを、その父親を、じっと見つめた。父親はそれまでにない……子供みたいに泣きそうに顔に、一瞬だけなった。
ナーガはやっとこの娘が言いたかった事を理解した。
「あ、や、私、興奮しちゃって、滅ぶとか言い過ぎだわ ・・うわわ、すみませんっ」
今更真っ赤になる娘に、ナーガは姿勢を正して優しく言った。
「とても大切な『ひとつだけ』でした。ありがとう」
リリ ・サイドテールver
***蒼の里の女の子***
蒼の里の女性だって、昔から自由度が高かった訳ではありません。ノスリの妻が数のパワーで『ノスリ家の女性陣』というステイタスを築き、執務室を裏から支えるという今の形を作り上げました。
関係ないけど、ナーガは子供時代にノスリ家に預けられて七人の姉にいじくり倒されたお蔭で、成人してからもしばらく女性嫌いでした。
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