同じだけ綺麗

文字数 3,920文字

 

 高空気流には慣れているリリだが、さっきからクラクラして目が回りそうだ。

(うー・・頭イタイ、何なのよ、これ・・)

 この黒い竜は、彼女の知る高速飛行とは全然別の飛び方をしている。
 彼女の愛馬若紫(わかむらさき)だって相当速い筈なのだが、悔しいけれどパワーの桁が違う。

「さっき逃げられたのに」
 後ろからピッタリ彼女を抱える、青年の声。
「おとうさんが腕を振り上げて術を使おうとしていたじゃない。あのヒトにはとても敵わないと思ったけれど…… あれ、君が止めたんだろ?」

「逃げた方がよかった?」
 リリはつっけんどんに聞いた。

「いや、何でかなあと思って。もしかして攫(さら)われ願望があったりして?」

「何よ、それ・・」
 リリは黙った。理由とか願望とか、どうでもいい。
 ただ、今このヒトから逃れても、多分この頭痛は治まらない。
 何かをしなければならない。……それだけは分かっていた。

「君が逃がれたいと思ったら、いつでも逃げる事が出来る。好きな所へ降ろしてあげるよ。僕は追い掛けない。何処へ行くのも何をするのも、君の自由」

「じゃあ蒼の里へ戻って、って言ったら?」
「それはダメ」
「どうして?」
「あそこには、君を縛るモノが一杯ある」
「…………」

「『草原を統べる偉大なる蒼の長』。僕の故郷周辺でも知れ渡っているよ。あれだけの多種多様な種族を統率して平穏に治めているのは奇跡だって。確かにおとうさんの術力は凄そうだね。でも、皆が従っているのって、力で抑え込めているからじゃないんでしょ」

 リリは前を向いたまま頷いた。

「実体のない信仰。ずぅっとそうしていたから、ただそのままなだけなんだ。そういうのって一度途切れると、二度と絶対戻らない。だから君の里のヒト達は、蒼の長を絶やさない為に、その他の事には目を瞑っている。そりゃそうだ、平和の奇跡は守らなきゃならない。でもそこに君の意思ってあるのかな」

 馬鹿みたいだ。
 いつもの自分なら、『あんたに何が分かるのよ』って怒鳴りつけて吹っ飛ばす所なのに、そういう怒りが湧いて来ない。
 何で腹が立たないんだろう。意外と図星を指されているからかもしれない。
 また目眩に襲われる。


 無数の高空気流の帯を突き抜けて、竜は更に上昇し、やがて星もまたたかない紺碧の空間に躍り出る。
 風は白く凍り、身体に氷の粒がまとい付く。

「寒い?」
「うん、ちょっと」
 青年は、自分のマントを外して、リリの肩をくるんだ。

「少し待ってね」
「??」
「僕の……僕らだけの、秘密の場所が、もうすぐ、来る」



 ***

「ではしかし蒼の長殿!」
 執務室では、鉤髭の男性が、変な前置詞の言葉を発していた。

「今一度、娘御の縁談を考えては頂けないだろうか。我が部族にとって、海竜使いの血統は、全ての根幹、礎(いしずえ)なのです。絶対に絶やせない。
 あの能力が途切れると、近い将来全ての竜使いの術は滅んでしまう。あ奴がどういう理由であれ妻をめとる気になったのは、千載一遇なのです」

 彼にとって一番大切なのがそれなのはよぉく分かるが、ちょっとは空気を読みながらゴリ押せばいいのに。
 ユゥジーンももう怒る気力も失せて、溜め息を吐くばかりだ。
「そのリィリヤって娘が生きていれば、あんたの苦労も無かったのにな」

「リィリヤ? いえ、あの娘はいけません。あの娘が元凶だったのです」
「??」

 ユゥジーンはヘイムダルの方を見た。
 彼は思いきり眉間に縦線を入れて、苦い顔をしている。



 ***

 リリは驚愕していた。
 紺碧の空に、水晶みたいな白い欠片が現れたと思ったら、みるみる近寄って、見上げるばかりの氷の塊となったのだ。
 よく見ると竜がくしゃりと丸まった形をしている。
 が、今乗っている竜よりも遥かに遥かに大きい。

 鈍(にび)色の竜は、その氷の竜に絡み付くように停止した。
 次の瞬間、乗って来た竜は、ノイズを放ってかき消えた。

「??」

 青年はリリを抱えたまま氷上に飛び降りた。
「風波(かざな)の竜は生き物ではない。風と空中の水分から竜のエッセンスを集めて、その都度創りあげるんだ。それが風波の術」

「凄いのね」
 素直に驚いた。
 風波の大人達が、何をさて置き竜使いの術を廃れさせたくない気持ちが、ちょっと分かった。

 冷たい氷面に下ろされて、リリはふらついた。
 光のまたたかないこの空間で、カットされた硝子のような地面だけが、冷たく反射している。

「これ何?」
「見ての通りの氷の塊。この星のこの高さを一定の周期で浮遊している。色んなバランスで釣り合って、地面に落っこちない」

「聞いた事ないわ。自然に出来た物なの?」
「ううん、僕が作ったんだ、けっこう前に。もっとも、どうやって作ったのか覚えていないから、もう二度と作れないけれど」
「……」

 青年は、リリの手を引いて氷の上を歩いた。
 不思議な事に、この塊に立つと中心から引っ張られるようで、どこまで歩いてもそこは『表面』で、『側面』も『底』もなかった。

 目の前に大きな亀裂が現れた。
 青年は躊躇なく中へ降りる。
 リリも手を支えられて着いて行った。足元は氷を削って階段に作られていた。

「ねえ、シルフィスキスカ」
「シィシスだよ。リィリヤは舌っ足らずに、いつもそう呼んでいたんだ」

「そう……シィシス。さっき世話役のおじさんも叫んでいたわね。そのリィリヤってヒトに、あたしが似ているの?」
「うん」

「ふぅん、かわいそう。こんなチビのヘチャむくれに似ているなんて言われて」
「へちゃむくれなんて誰が言うの?」
「ユゥジーン、とか……」
「へえ」

 階段はだんだんに細くなり、行き付いた先は天井の高い小部屋だった。
 青年はリリの手を引いて、部屋の中央へ導いた。

「リィリヤはへちゃむくれじゃない。だから君もへちゃむくれじゃない。姿だけじゃない、中身も多分そっくり。なまじヒトの心を読み取れてしまうから、気を遣い過ぎて自分を殺しちゃう所とか」

 リリは口をグッと結んだ。初対面の、く せ に……

「それに、リィリヤはこの世の花をみんな集めたよりも綺麗だよ。だから君も、同じだけ綺麗」
「まさか」

「嘘だと思ったら比べてみればいい。そこに居るから」
「??」

 青年の手に、ホゥと光が灯った。乱反射する氷の壁の向こうに、誰か……居る?



 ***

 執務室のユゥジーンは、風波の父子を交互に見た。
「えっと? リィリヤって、シルフィスキスカの恋人じゃなかったの?」

「とんでもない!」
 鉤髭の父が叫んだ。
「あんな、言の葉も解さぬ娘!」

 ユゥジーンと、それから、大机のナーガも、ピクンと揺れた。

 息子のヘイムダルが、慌てて口を挟む。
「ああ、驚かないで下さい。僕らの集落では珍しい事ではないのです。ご存知の通り、一族の存続も危ぶまれるほど血が濃くなり過ぎて」
「…………」

「でも父上、リィリヤは言の葉を解さないなんて事はなかった。他人を気遣う事の出来る、思いやりに溢れた優しい娘でした」
「どうだか。結局、嫁入り先でも問題を起こしたではないか」

「ちょっと待て!」
 親子二人で話が突っ走り出したので、ユゥジーンがストップをかけた。
「何であいつが『魂を分かつ程に愛した』リィリヤが、嫁に行った話になる?」

「そりゃ……」
 男性が鉤髭をしごきながら、何でわざわざそんな事を聞く? という顔をした。
「ふさわしくありませんでしたから。大切な血統の持ち主があのような娘と間違いを起こす前に、我々大人でちゃんと話し合って、離れた土地へ嫁にやりました。シルフィスキスカが渋ったので、納得させる為に、随分と家柄の良い輿入れ先を苦労して探したのです」

「………」
 ユゥジーンも凍り付いていたが、ナーガはもっと固い表情だった。
 二人とも、昔ホンの数ヶ月一緒に暮らした言葉を使わない男の子に、大変な思い入れがあった。

 本当は多種多様な部族の間に立たねばならない蒼の妖精は、価値観の違いにいちいち動揺していてはならない。ノスリなら上手くいなすのだろうが、そういう点ではナーガはまだまだ青臭い。 

 部族それぞれ定石は違って当たり前。
 ただそれを他人に伝える言葉の中で、『何に重きを置くか』が、大切なのだ。
 
 鉤髭男性は、彼らの心情に気付かぬようだ。
「骨折って身に余る縁談を整えてやったのに、翌朝帰されて来たのです。先方に結納金の返還を求められるわ、シルフィスキスカはおかしくなるわで、散々でした」

「彼女の言い分を聞いたのですか? 言葉を解さなくとも、意思を伝える方法はあるでしょう?」
 ナーガが思わず口出しした。

「荷車に乗せられて、もの言わぬ姿で帰されて来たんだ」
 鉛を呑み込んだみたいなヘイムダルの声に、二人は言葉を失くした。



 ***

「自分の身体にあんなに水が詰まっていたのか? って、びっくりした。全身の水が、目頭を通って、後から後から、絞り出されるみたいに」
 氷の壁の前で、青年はリリを振り向いた。

「竜に乗って、ヨダカのように空を切り裂いてここまで昇ったんだ。それから、冷たいリィリヤを抱えてずっと泣いていた。空も風も時間も、全ての営みが止まって凍って行く感じがした。気が付いたら本当に周りが凍り付いていたんだ」

「………」
 リリは、紫の瞳を瞬きもせず、分厚い氷壁の中の白い少女を見つめていた。
 睫毛は縫い合わされたように閉じられ、額には少しの傷が見えた。








***高空気流***
 この星の上空八千米以上を『凄い速さ』で循環している風の帯。ナーガの父ツバクロが最初に見つけ、遠方へ高速移動するのに重宝に使っていました。

***若紫***
 リリの愛馬。速さだけなら里一番。

***昔ホンの数か月一緒に暮らした男の子***
 『緋い羽根のおはなし』の思い出。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

リリ:♀ 蒼の妖精 

蒼の長の一人娘。体質上成長が遅くて、いつまでもチビッコなのが悩みの種。

ユゥジーン:♂ 蒼の妖精 

リリの幼馴染。執務室の若手エース。リリにチョッカイ出しては追いかけ回される。

シルフィスキスカ:♂ 風波(かざな)の妖精 

太古の術、海竜の使い手。友人に頼み込まれて仕方なく訪れた蒼の里で、リリに出逢う。

出逢った瞬間変なスイッチが入り、一人だけ別世界を邁進。

ナーガ・ラクシャ:♂ 蒼の妖精

当代の蒼の長。リリの父親。能力は歴代長の中でトップクラスだが、父親としてはポンコツ。

ノスリ:♂ 蒼の妖精

先代の蒼の長。ホルズの父親。苦労人で人望が厚く、いまだナーガに頼られる。

ホルズ:♂ 蒼の妖精

ノスリの長男。執務室の事務を一手に取り仕切るスーパー管理職。


ピルカ:♀ 蒼の妖精

ホルズの末娘。ノスリの孫。同年代の娘達のリーダー格。祖母の作ったノスリ家女性の家訓に忠実。

リィリヤ:♀ 

ウスユキソウを輪にして指輪にするのが好き。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み