干し草小屋にて
文字数 3,367文字
放牧地はいつもと変わらず喉(のど)かな風がそよそよと、春草の匂いを運んで来る。
ここは蒼の里。風と大地を司る、蒼の妖精が住まう土地。
柔い陽射しの土手の上、両手を付いてうずくまり、一心に術を唱える子供がいる。
その辺りだけ熱を帯び、背中を覆う水色と群青のだんだら髪がゆっくりと広がって行く。
やがてすべての髪が静電気を帯びたように、ビン! と跳ねあがった。
まるでカラフルなヤマアラシ。
「う、う、・・ぶふぁっ!」
破裂するように呼吸(いき)を吐き出し、子供はトスンと尻もちを付いた。
どうやら術は失敗した模様。
しなだれた髪の下で、この日何回目かの溜め息を吐く。
(はぁ、いつになったら出来るようになるのよ)
俯(うつむ)く前髪の特徴的な紫で、この子が誰だか分かる。
北の草原を統べる偉大なる蒼の長……の、一人娘、リリだ。
彼女が練習していたのは、『地の記憶を読む術』。
その場所で起こった過去の出来事を、足元の大地から教えて貰う技。
古くから長の血筋に伝わる術だが、彼女はまだ出来た事がない。手応えすら掴めない。
(いいかげん習得して当たり前なのに、情けない)
そんな風に思い詰めているストレスからか、ここ何年か背の伸びもピタリと止まってしまった。
それで余計にストレスを溜める、の悪循環。
長の執務室で一緒に働く大人達は、そんな彼女に優しく鷹揚だ。
『地の記憶』なんて難しい術、まだまだ出来なくてもいい、今使える『手紙に触れると書いた者の本心を読み取れる術』だけでも大した物だ、十分皆の助けになっているよ、と。
だけれど、言われれば言われる程、悪い風に取って突っ張ってしまうのが、リリって子だ。
まぁ、執務室の面々にしたら、手紙の数が多くて処理が大変なのは本当で、なるべく機嫌良く仕事をしていて欲しいのだが……
『何だよ、その眉間のシワ。ただでさえヘチャむくれのチビ助なくせに。そんなんじゃ雄イノシシにすらソッポを向かれるぞ』
命知らずな悪態で執務室を凍らせるのは、里で唯一リリに距離を置かない男、幼馴染のユゥジーン。
幼馴染といってもリリより幾つも年上で、執務室の若手エース。なのにリリに対する時だけ精神年齢がガッツリ下がる。
今朝がた彼と一悶着あったのも、今リリがイライラしている原因の一つだ。
『今日の行事(イベント)参加するの? しないよね。リリみたいな上も下も真っ平らなチビ助なんてお呼びじゃないもんな』
次の瞬間彼のヒザ裏めがけて蹴りを入れようとしたのだが、惜しい所でかわされて、アッカンベして逃げられた。カッとなって、手の中で放電をバチバチいわせた所で、怖い顔をした父親に止められたのだ。
リリは、単純に物理なだけの術なら得意だ。肝心の、長の血筋ご用達の『内なる目』からなる精神系の術が苦手なだけで。
勿論、ケンカに術を使うのはご法度。その後リリはこってり絞られた。
(先に突っかかって来たのはユゥジーンなのに!)
憎たらしい顔を頭から打ち消し、リリは土手を滑り降りて、居住区に背中を向けて歩き出す。
確かに今日はちょっとした行事がある。けどリリは、宴席や知らないヒトは苦手、元より参加するつもりはなかった。
父親の蒼の長も彼女の性分を分かってか、特にああしろこうしろとは言わなかった。それを幸いと、準備に追われる執務室を尻目に、とっとと抜け出して来たのだ。
(あんな行事なんかより、術の練習をしている方がよっぽど有意義だわ!)
出来るだけ離れていよう。あの喧騒の聞こえない遠くへ。
ずんずん歩くが、ふと、土手に映る自分の影が目に入る。
相変わらずのチビッコ。髪ばかりバサバサ広がって、月夜のフクロウオバケみたい。
長の血筋にたまに現れる、『極端に成長がのんびりな者』。
時間は掛かるけれどきちんと大人になれるから大丈夫だよ、って父様も言ってくれている。
でも……
(背の伸びも、出来なきゃならない術も、何もかも味噌っカスってさ……)
薄緑に色付き始めた放牧地のなかばに、板壁の干し草小屋がある。
去年の越冬草が引っ張り出されほぐされて、熟した香りを放っている。
牧夫達は午前で仕事仕舞いにしたのだろう。
よし、誰もいないフカフカの干し草山に飛び込んでやれ。
紫の前髪の下の紫の瞳をきらめかせ、リリは足早に近寄った。
コツン、と、爪先に何かぶつかった。干し草用の三本ホック。
こんな所に転がして置いて危ないな。
リリは何気に拾い上げ、草山に一気に登って、てっぺんに突き刺そうとした。
「!!」
寸での所で止める事が出来た。
干し草の中にヒトがいたのだ。
半分埋もれて仰向けで……最初、眠っているのかと思った。だっていきなり三本ホックを振り上げた娘が現れて、串刺しにされそうになったのに、その青年は微動だにしないのだ。
その者が目を開いているのを見て、リリは次に恐ろしい事態を想定して背筋が震えた。
しかし幸い彼は生ある者で、ゆっくりと口を開いて言葉を発した。
「……おどろいた……」
他人事のような棒読みの声だった。
「お、おどろいたんなら、逃げるなり騒ぐなりしなさいよ! 突き刺す所だったじゃないっ」
慌てて取り繕う娘を尻目に、青年はのんびりゆっくり起き上がった。
「・・が・・って・・・・に来てくれたと思ったのに・・」
口の中でゴニョゴニョ言ったので、ほとんど聞き取れなかった。
「は? 何が、ですって?」
「いや……」
青年は質問には答えず、干し草の中に座り直して、リリをじっと見た。
光彩だけが明るい緑の、濃い灰色の瞳。年の頃はユゥジーンよりちょっと下くらいだろうか。口の両端が丸まって妙に幼く見える。草にまみれたボサボサ髪は白濁した濃緑で、蒼の一族にはいない色だ。
「あ、貴方、風波(かざな)のヒト?」
リリはドギマギしながら聞いた。
「うん、まぁ」
「風波の方々は、今あちらの居住区の広場に集まって……オラレマスヨ。歓迎の食事会だとか」
そう、それが今日の行事。同じ風の系譜である風波(かざな)の一族との『交流会』。ただそれだけなら、リリはこんなにもモヤモヤしていないのだが。
「案内します?」
「いいよ」
気だるそうに言うと、青年はもう一度干し草に寝転んでしまった。
「その食事会とやらに、君の里の乙女たちが、わざとらしく割って入って来るんだろ? 長殿の命令で仕方なく」
「…………」
「苦手、そういうの」
「…………」
「君も、苦手?」
「あ、あたしは、この通りのチビッコだし」
「ふぅん・・? 本当に、見た通りの、年齢?」
「!!」
じっと見られてリリはあたふたし、視線を逃れるように放牧地の奥を指差した。
「ほ、本格的にバックレていたいのなら、あちらの使っていない厩舎の方がいいデスよ。ここは誰か来るかもしれないし、さっきみたいに呆けていたら、次こそ串刺しになるかもデスよ」
青年は黙って身を起こし、ふらりと立ち上がった。
言ったことに従うのかと思いきや、真っ直ぐリリの正面に来て、男女のマナーとして許されるのか? って、ギリギリの距離まで詰めて来た。
(怒らせちゃった? 今の冗談は風波では通じないものだったのかしら。閉鎖的であまり外と交わらない部族だって父様が言っていたけれど……)
「僕はシィシス」
青年が唐突に自己紹介したので、びっくりして思わず返してしまった。
「あ、あたしは、リリ」
「リリ? リリっていうの?」
青年の深い海みたいな瞳が、これ以上ない程に見開かれた。
「まだ成人していないから、正式な名前じゃ……」
あっと思う間もなく、彼の腕がリリの両手を捉えて、指を絡めて来た。
「やっぱり」
「な、何よ、離して!」
「僕たちは、二つに割れた林檎なんだ」
「え、は・・はあ?」
「天空で二つに割れて地上に落っこちた林檎。だからこんなに、ピッタリ合わさる」
青年は、硬直するリリにお構いなしに、繋いだ手を更に引き寄せる。
~末尾に設定小咄を入れますが、本編に直接関係ないので、スルーでもOK~
***妖精の年齢について***
蒼の妖精の寿命は人間の三~四倍、長の血筋だと更にその二~三倍、って設定です。彼らの実年齢は人間に照らし合わせるとちょっと違和感かも。一応、リリの外見は人間の十一歳くらい。 ユゥジーンはリリより十三コ上だけれど、外見は十代後半。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
(ログインが必要です)