リボンの哲学
文字数 1,857文字
蒼の里の平穏な朝。
居住区の路地裏を駆け抜ける、ウサギ頭のピルカ。
メインストレートに踊り出て、執務室前のデッキで長靴(ちょうか)を干している見習いの少年に向かって叫ぶ。
「ね! うちのお姉ちゃん達、見なかった?」
「洗濯場の方へ行ったけれど、だいぶん前だったかな」
「洗濯場は見たわ、ああっ、もおっ、時間がないのに」
「どうしたの?」
「絹のリボンを貸して貰う約束をしていたの」
「今付けているリボンだって良いじゃない」
「ダメよっ、今日は絶対にあのリボンでないと! せっかく久し振りにヘイムダルさんに会うのに!」
「なにいぃっ? 聞いていないぞっ!」
執務室の入り口を跳ね上げて、ホルズが飛び出して来た。
「今言ったわ、じゃあねっ、お父様っ」
ウサギ娘は本当に脱兎の如く、馬繋ぎ場へ駆け降りて行った。
「まったく」
腕組みをして鼻から息を吐くホルズに、少年は、肩を竦めて話し掛けた。
「女の子って、心底、分からないです」
「そうか?」
「先日ここでしっかり自分の考えを言うのを聞いて、同い年なのに、揚げ団子の中身の事しか考えていない僕に比べてなんて大人なんだろうと、ヒシヒシと落ち込んでいたのに、今日はリボンが最重要事項なんだもの」
「あ? あれか? 後でナーガに聞いたけれど……あれな、おおむね受け売りだぞ」
「マジですか」
「うちの女性陣が揚げ団子の餡を包みながら、わいのわいのと喋っているような事だ。まあ、女性には女性の哲学があり、彼女たちなりに継承している物があるんだな」
「はぁ……」
「リボンだって哲学の一部だ。分かろうとするな、無理だ」
「……はい」
ウサギ娘と入れ違いに、坂下からユゥジーンが登って来た。
「空でヘイムダルと行き合いました。ピルカとデートだって。なんやかんや言って風波(かざな)の連中、蒼の里の女の子たちと上手くやっているみたいですね。遠いのに、ご苦労な事だ」
「今まで交流のなかった所と仲良くなるのは、まあ良い事ではあるがな」
「竜の力が使える上に、奴らすべからく紳士で北方系のイケメンだ。ぐずぐずしていたら、里の女の子みんな持って行かれちまうぞ」
余裕をかましたユゥジーンの台詞に、ホルズはふふんと鼻で笑った。
「リリが帰って来るまで水も喉を通らなかった癖に」
「何言ってんですか。眼中じゃないですよ、あんな女々しいシスコン野郎」
「呼んだか?」
後ろからのいきなりの声に、ユゥジーンは飛び上がった。
振り返ると、風波のシルフィスが、眉間に縦線を入れて突っ立っていた。
「シィシス、ユゥジーンは、『女々しいシスコン』って言ったのよ。貴方の名前ではないわ」
リリが後ろから顔を出した。
「そうか、聞き間違えた。すまない」
「な、なんでお前がここにいるんだ」
「蒼の長殿にお招き頂いたのだ。いけないか?」
「あれっ? 今日だったっけ」
ホルズが頓狂な声を出し、室内に戻って、書類の束を繰りながら出て来た。
「ああ、すまんすまん、日付の行き違いがあったようだ。そっちとこっちじゃ暦が違ったな」
「何なんです? ホルズさん」
「こいつ、しばらく、蒼の里預かりになるから」
「な・なんだってぇえ!!」
「リリの使う術の数々に興味を持った。蒼の長殿に教えを乞うと、この里で学ぶ許しをくださったのだ」
「えっ、はっ?」
「ところが今、修練所の寮に行ってみたら、話が行っていなかったみたいで、空き部屋がなかったのよ」
リリが上目でホルズを睨んだ。
「うわっ、そいつはすまん、困ったな」
「僕は何処でも構わない。干し草小屋でも、長殿の自宅でリリと同居でもぜんぜん平気だ。地上に落っこちた半分の林檎同士だ。何の問題もない」
「おい待て、この野郎!」
「おっそうだ!」
ホルズが、拳をポンと打った。
「ユゥジーン、お前んち、ベッドが二つ余分にあったよな」
「!!」
「レンとカノンが使っていたベッドね。そうね、いい考えだわ」
「ちょ、ちょっと……」
「宜しく先輩」
何やかやと賑やかな面々を尻目に、見習いの少年は聞こえない振りをしながら、靴磨きに勤しんでいた。こんな暖かで安心出来る場所がこれからもずっとあって欲しい物だと、心から願いながら。
~おしまい~
―― 最後までお読み頂き、ありがとうございました。 ――
初稿2016・7・14
改稿2021・3・8
***レンとカノン***
別のお話の登場人物。西の国から来た留学生。
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