第8話 あとがき(feet candle)

文字数 3,047文字

 私にはこの恋物語を此処にまで至りても結ぶ勇気がない。落ちぶられ散らばったプライドの欠片を集めても、読者諸氏から石つぶてを頂こうとも、終わりのない小説も、あったもんだ、と思わせる、その言い訳にお付き合い。

 今や太陽電池の半永久稼動の腕時計が売っている。その腕時計は無論、光の照度に依って充電時間が違う訳だが、太陽(電灯)に向かいその腕時計を掲げると、幾分か充電速度が増してくる。諸氏は、そんなもの大して変わりはしないだろう、仰せられるに思うが、厳密に申し上げると、違いが分からない、だけで、必ず、違う、のに間違いないのである。

 そういった慮りから今作の無題なる意味を己で知るに至るが、釈然としないだろうのは、「彼女」がその後どうなったのか、「私」が今ももしかしたら何処かで小説でも書いているんじゃないだろうか、答えはその「腕時計」に隠されている。

 洒落た腕時計はどこにでも売っている。じゃあ洒落てない腕時計は?。今やテレビや雑誌、インターネットでも腕時計の案内がされる。全てがアイコン化されていく情報化社会だ。じゃあそれらに載らない事実は触れるに値しない下世話な品々だとでも言おうか、締りの悪い水道の蛇口の漏れだとでも言おうか。度入りの眼鏡の必要のない社会、太陽やそれこそ時計、私や彼女、うやむやのまま、概念化の様式を満たさぬまま前進する、或る意味我々に飼い慣らされてしまった、「日常」、私の居場所は其処に違いなかったし、彼女もその隣の席、航空機の利便が、「Excuse me.、アー、今何時ですか?」、ソウルから羽田への便、物怖じした日本語で受け答えする私が、彼女のハキハキとした饒舌な日本語、また向学心の溢れ、次から次へと日本語に興味を持ち、英語も多少交えながら、一時間半の上の空、着陸したのは午後三時半。

 機内食では物足りず、空港内の煙草の吸えるレストランで自分が作家だと告げるところから、この物語は始まる。ここではまだ私も二人の機微に興味が沸かないし、結末の無きに釈然とする着地点はない。

 しかし数日後、突然、暗闇の中からシグナルが現れた。「彼女」が「私」に電話をしてきたのだ。深夜「私」はカップラーメンを啜り、原稿に手垢ばかり付けていた時だった。腕時計は外していたが、必要な物には違いなく、彼女が「オヤスミ」と電話を切り、私が割り箸を折ってゴミ箱に捨てた時、丁度0時のアラームが鳴った。これが一秒でも遅れていたら、彼女の息継ぎや私の無作法が噛み合わなかったら、このすこぶる正確な時刻の「オヤスミ」という言葉に、とても切なく、果てしなく淋しい気持ちに私はならなかった。しかし彼女はそうでもなかったらしい。

 その時は既にソウルにいたらしいが、時差もなく天気も一日遅れの高低気圧、何をしているのか尋ねられれば、お互いが一緒に眺められる、一時を共有できるのに、「月を見てる」と言う。電話中にメモも取るし、お湯やコーヒーを沸かしながら冗談を言うのも、一見、長電話の所作だろう、同じ時差の南極のペンギンたちが欠伸するのに、十分にシークエンスの種にはなる。では何故、物語が始まり、結末から逃げる?

 「彼女」は急に無口になった。ともすれ電話も来なくなったし、此方から掛けても出やしない。メールでのやりとり。後日、羽田空港にて再会を果たすも、彼女の無口は気まぐれや精神状態から来るものではなく、医師について問うと、良い人だった、と答う。どんな風に良い人だったか、尋ねると、優しくて頼り甲斐のある人、と答う。彼女持参のノートは筆談や落書きでいっぱいになり、いずれ二冊目が用意された。空港のボーイングが離陸する度に彼女の声を想う。もし、君が話せたら、あの時と同じように「私」に時間を尋ねるか?、彼女は下手糞な文字で『もう意味がない、朝と昼と夜、おまけに夕方があれば、寝食も事済む、』そう書き足した。

 充分に考える時間をくれれば、君の声になることも私の選択肢の内に入るが、問うと、彼女は笑いながらノート、『ロメンスみたいだね』、珈琲をがぶ飲みして胃が参ったみたいで、私の煙草を一本盗んだ。その医者ってやつに悪いような気がして、しながらもライターを貸した。日が暮れ始めて夕焼け、彼女は放火魔よろしく、ってな意味でベロを出し、口尻から煙を漏らした。そして「私」の窮屈も見据え悩み顔なもんだから、私は世界中どこにでも行ける魔法の言葉を教えてあげた。「ん」、だ。音色や表情の得意、音楽や絵画右に同じだ。ぽかんと腑に落ちない顔をしているので、私はライターを着けたり消したり、煙草を逆さまに咥えると、彼女は慌てて、『いきなり変なことしないでよね。けいさつもきゅうきゅうしゃも呼べないんだから』、ペンで読点を付けた。灰皿が息継ぎの担い手だった。含み笑いがお互いを昂揚させ、沈黙に溺れるのも悪くない、彼女の煙草一本は細く長く途切れることなく続いた。

 そこから「私」も黙った。筆を折ろうかとも迷ったし、ボキャブラリーが足りなくて、「彼女」が此処にいる訳も説明できない。事実、彼女は0時過ぎの便で帰ったし、残された私に話し相手もいなかった。手持ち無沙汰で喫煙所、吸い殻で遊んでいると空港の係員に空港内ホテルを勧められたが、再び真っ赤に燃え上がる空を待つに、しでかしてしまった罪悪感からその場を離れる訳にもいかなかった。
 「私」の両の腕には抱え切れない毎日が、どこの星でも絶え間なく繰り広げられて、浪費されて、いつしか時間も星座占いと同義にしか捉えられなくなる。それも怖れ、脳裏に焼けこびり着いた「彼女」の屈託のない笑顔だけが筆圧に何本もの万年筆を消費させた。恋をしたり食事をしたり散歩をしたり、恋をしたり。

 気が付けば五年経っていた。短くもなく長くもない、たかがやっとの五年。思い出し笑いに年を取ったとは思うが、臆病は相変わらず、「彼女」への連絡を取れないでいる。横断歩道の真ん中で、信号の点滅するに前後覚束なく、立ち尽くして、終わりなき物語に、充分な結末を与えられないでいる。紙ヒコーキは海越えず、インクは血液に近い塩水でところどころ滲んでいる。その「私」の腕時計は光の当たらぬ場所で五年間沈黙していた。
 春が来れば散歩をし、ドラマのような出会いや、雲間から光が差し、雨上がりに架かる虹、目線を下ろすとまた違った街並ぶ。「彼女」がいつか聞いてきた「何時はどういう時につかう何時?」、なかなか面白い質問だったので覚えているが、それは夜中に目が覚めた時に隣の人に言う台詞、そう教えると、困った笑顔と悪い咳で物語を遮った。

 想うに、ストーリーに必要なのは成り立ちではなく結末の在り方で、未完の恋慕に縋り続け、甘い香りに酔って、又は酔ったフリをして想いを露布するのは、人生を生きるのが下手な、サーカスのへべれけモギリをニッケル一枚で騙すイカサマ詐欺師のようなものだった。

 「私」はいつの日か、私、になり、「彼女」を名前で呼ぶのを懐かしみ、待つ楽しみを足元のシケモクの数で自慢しよう、さては他人の恋でさえ煙に巻こうと目論んでいる。空は青く遠くボーイングの通過、ひこうき雲のつづらくは、すべての愛すべき読者諸氏へ、いずれは分かるだろうが、この恋は失敗する、待ち望む明日なんて永遠に、四季が巡るようにはやっては来やしない。これから幾年も幾度となく、「私」、は声高らかに、「Hallelujah」、と、叫び続けるのだ。


       「完」
  
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み