風の過ぎる時間

文字数 864文字

 思い出す。
 優しい時間。
 いつか見た夢。
 今は無い― その場所で。

「あー」
 伸ばされた小さな手と純粋無垢なその笑顔。
 僕はそっとその頬に触れる。
「透君。すこし貴夜ちゃんを見ててね」
 そう言ってパパとママが出掛けて行くのはいつもの事。
 何をしているのか僕は知らない。

「透君。暫く、パパの知り合いの家で待ってて欲しいの」
 夕食の時ママが言った。
「国を出るのに面倒な事が起こってね。一緒に行けなくなった。
 いつもの様に、後から迎えに行くから」
「判ってくれるよね。透君」
 パパが説明し、ママが念を押すように聞く。
 僕はこくりと首を振る。
 点々と居場所を変えるのもいつもの事。
 何故なのか僕は知らない。
 パタンと閉まったドア。
 僕はいつものようにリュックを取り出して
 荷物を詰める。
「あーう」
 何も知らずただ、クルクル周る光に手を伸ばす。
 小さな手が羨ましくて。

「暫く、このお家で待ってて」
 ママが見知らぬ人に僕を紹介する。
「すまない」
 パパが僕の頭を撫でた。
「ごめんなさい」
 ママが僕を抱きしめる。
 風が一片(ひとひら)通り過ぎた―
 僕と別れる時のいつもの事。
 そう思ってたのに。


「ええ、この子です」
 その言い方は淡々としていた。
「透君。この人がパパとママの所へ連れてってくれるって」
 そう言って、パパの知人は黒い人達を紹介した。
 そこから研究所へ連れて行かれた。
 僕はただ、与えられた部屋で与えられた仕事をやった。
 (すが)るものは此処しかなかった。
 いつか来るだろうパパとママを待って。

 待って待って待ってまってまってマッテマッテ

 そして、両親は僕を売ったのだと気づいた。
 逃げる為に逃げ切る為に僕を置いて行ったのだと。
 母親がここの研究員で極秘の研究に携わっていた事。
 それに嫌気がさして父親と此処から逃げ出した事。
 僕の頭脳に研究所が目をつけていた事。
 ここにいて、知りえた情報から引き出した答え。


 記憶はおぼろで何もかもが不鮮明。
 風の舞うこの丘に何の感傷もない。
 家族の顔など思い出せぬ遠き過去。

 ここは最後に暮らしただろう家のあった場所。

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