6. 執筆

文字数 1,937文字

初夏がちらつき始めた五月下旬。日付も変わろうかという平日の深夜。
僕はアパートのワンルームで、パソコンディスクの前で椅子に座っている。そして特に理由もなく、ボオーっと開いたパソコン画面を眺めていた。
社会人になってある程度の歳月が経ち、今いるこの地方のワンルームに住み始めてからは二年になる。
このワンルームに住み始めてから、時々こうやって椅子に座っては眼前をぼんやりと眺める時間を作っていた。
無心でぼんやりとしていると、全身の力が抜けて、心身ともにゆっくりできるような気がするんだ。
またもしぼんやりしている途中で、何か小説執筆に活かせる物が思い浮かべば、開いているパソコンやスマホにメモするようにしている。
ここ最近の僕は、仕事で充分な休みを取れていなくて、数少ない休息の時間も無意識に仕事のことを考えてしまっていた。
だから一度頭の中を空っぽにしようと、一旦仕事のことは全部忘れて椅子の上にくつろいでいるんだ。

結局、年末年始に書き終えるはずだった小説も書き終えられずにいる。
中々時間が取れないという根本的な原因はあった。
またその小説が、僕の過去において重要な作品になると思っているから、最初に想定していた以上に真剣に書きたいという理由もある。
でもそれ以上に何か、今書かないといけない大事な内容があるのではないか、そういう気持ちが心の片隅に居座っていた。だから手を付ける気力が湧かなかった。
だからといって、その大事な内容が何なのか、今でも具体的にはわからないんだけどね。
両目を閉じると、数時間前の出来事が瞼の裏に浮かび上がる。
今日も一日、仕事が忙しかった。日頃の兼務作業に後輩への研修の指導、資料作りで残業してきた。
それで残業してからいつも通り、仲良くさせてもらっている同僚の先輩と飲食店で夕飯を済ました。
その先輩には本当に可愛がってもらっていて、美味い夕飯を一緒に食べる時、いつも仕事の悩みや愚痴を聞いてもらっている。
それで今日も夕飯を食べながら、僕の仕事の愚痴を聞いてもらったり、逆に先輩の仕事の愚痴を聞いたりして、お互いのストレス解消に努めた。
その先輩はプライベートでも、僕を遊びに誘ってくれたり連れて行ってくれたりしてくれているんだ。本当にお世話になっていて、感謝してもしきれないほどだ。
思い返すと、昔も今も、僕は周りの人達に支えてもらってばかりだ。
こんな僕なんかに、優しい人達は手を差し伸べてくれて、付き合ってくれている。
その同僚の先輩や、ネットで知り合った友人、昔の彼女、地元の奴ら。
本当に色々な人に、昔も今も支えられてきた。
そういった人達のことを思い返していると、一人の人間のことを思い出した。
そういえば、ショウタはどうしてるかな?
ここ数ヶ月、仕事が多忙で毎日が埋没していて、またあいつの存在を忘れてしまっていた。
あいつ元気にしてるかな?
バイトは続けられているのだろうか?
あいつのイラストや動画、いつか見てみたいな……。
僕だって毎日忙しいし、大変だ。でもショウタも大変なのは一緒なんだよな。
イジメられて辛かったあの思春期を、僕はショウタと一緒に生き抜いてきた。
必死に戦って生き抜いて掴み取った世界で、また息も絶え絶えになっているなんて、少し馬鹿らしく思える。
思わず口角がつりあがる。
でも僕達はあの時代を生き残った。その事実は、祝杯をあげるにふさわしいはずだ。
今尚苦しんでいる、かつて共に戦ったショウタに何か伝えることべきなのではないだろうか?
それが、今の僕が言葉にしなくてはならない大事な内容ではないのか?

きっと今の僕が、一番書きたい内容だ。

そう思い至って、両目を開ける。
パソコンを閉じて、ディスクの引き出しからシャーペンとルーズリーフを取り出す。
これは、思春期という過去の時代を共に戦い抜いた、いわゆる

へ送る手紙だ。
一般的な子供という立場も、理不尽に抗う力も、当然現実を変えるほどの金もなかった僕達は、それでもあの時代を生き抜いた。
だからこそ、この手紙を書き上げるのに、僕は執筆という原始的な手段を取ろうと思う。
将来なんて不確定要素で構築されていて、何が起こるかもわからない。世界なんて無慈悲で、人間なんて薄情に思えるかもしれない。
もう無理かもなってなるかもしれない。
でもだからあえて、今ここで言わせてくれ。
思春期の戦友よ。
お前が倒れた時は、僕は決してお前を置いて行きはしないぞ。何があっても、僕はお前の味方だ。
たとえ社会的に成功しようが失敗しようが、無事に会える時がくるのならそれでいい。
僕達はあの日々を救ったのか、打ち倒したのか、それはわからない。
でも、これだけは言える。
僕達はあの日々の続きを、懸命に生きているんだ。
その栄光は、讃えてしかるべきものなんだ。
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