拝啓いつか飛んでくるミサイルへ

文字数 6,592文字

―――1945年、冬

横浜には、今頃雪が降っているのだろうか。
それとも、爆弾が降っているのだろうか。
それとも、米国の“最終兵器”が―――。
砂浜に寝そべり、馬鹿みたいに晴れた南国の青空を眺めながら、坂巻泰蔵は故郷の港を思い描いた。
手で砂浜の砂を掬い、さらさらと風に乗せる。
玉砕覚悟で戦場に赴いたはずの自分が、こんな南国の砂浜で能天気に寛いでいるなんて、冗談にもほどがある。戦況の著しい悪化で、どこもかしこも悲惨な状況になっているというのに。

数週間前、坂巻の所属していた部隊は、ソロモン海域からの転進、要するに撤退中、運悪く交戦中のドイツ軍艦と米国軍艦に出くわした。
部隊長は、よせばいいのに同盟国のドイツに加勢すると言い張った。撤退用の運搬船に、まともな火器など積まれていない。飛んで火に入る夏の虫、いや、冬の虫だった。
そして案の定、壊滅的打撃を被った。
運搬船はかろうじて沈没を免れたが、人的被害は大きかった。部隊長も死に、生き残ったのは坂巻を含む数名のみ。
ただ、ドイツ軍艦から受けた連合国軍艦のダメージも大きく、打ちつける荒波にしばらく耐えていたものの、やがて船尾からゆっくりと海中に没していった。
時は夕暮れ。そこかしこに重油の浮く小汚い海面すら、金色に煌いていた。

『君達のおかげで助かった。礼を言う』

ご丁寧に小船で運搬船までやってきた金髪碧眼のドイツ将校は、当然ながらドイツ語でそう言うと、怪しげな発音で「アリガトウ」と付け加えた。

『なんでこんな太平洋のど真ん中に、ドイツ軍が?』

生き残った中では最も階級の高かった坂巻がダメ元で問う。坂巻は大学で英語と共にドイツ語も習っていたので、多少の会話はできるのだ。

『作戦内容は軍事機密である。しかし、本国から作戦の中止と帰還命令が下った。帰り道ということだ』
『ま、俺たちも同じようなものだ。見ての通り、敗残兵さ。せめて同盟国の援護ができたことを誇りに思うよ』

精一杯味方であることをアピールした言葉の裏には、下心もあった。
将校はナチス式の機械じみた敬礼をすると、そんな坂巻の下心を見透かしたように、恭しく言った。

『せめてもの恩返しに、我が艦の物資を、必要なだけお分けしよう』
『そりゃ、助かる』

坂巻が必要量を伝えると、ドイツ将校は艦に戻り、本当に物資を持って戻ってきた。

『いいのかよ。ドイツまでは遠いぜ』
『心配は無用だ―――足りなければ、現地調達する』

彼はそう言って、初めて口の端をニヤリと上げた。無表情より、数倍怖かった。
物資の積み込みが終わると、彼は敬礼して言った。

『無事にホンシューへ帰還できることを願っている、と言いたい所だが』
『なんだ?』
『帰らないほうが、いいかもしれない。このまま行くと、“最終兵器”を先に実戦投入するのは、我々ではなく、米国になりそうだ。近々日本は、その実験台にされる可能性が高い。その威力たるや、たった一発で一都市を丸ごと壊滅させるほどだと言われている』

坂巻は眉を顰めた。なんとも、眉唾な話だ。自軍で“最終兵器”といえば、戦闘機による突撃か、人間魚雷か、或いは気球爆弾だ。気球爆弾なら大量に飛ばせば一都市を壊滅させられるかもしれないが、たった一発で、となると話は違ってくる。
それに、今本土へ帰れば、命令に反したとして軍法会議にかけられてしまう。

『忠告はありがたいが―――そもそも本土へ帰還する命令は受けていない。パラオまで一時退却するだけだ。そこから、またどこかへ出撃することになるだろう。厳しい戦況だが、俺達はまだ負けたわけじゃない。負けを認めた時が、負けるときだ。俺達は決して負けは認めない』

言いながら、心の中で鬼が笑っていた。本当は、誰がどう見たって、負けている。もう降伏すればいいのに、意地を張って戦い続けている。まるで子供が駄々を捏ねているのと同じなのに、それを大和魂だと言って美化している。
ただ、もう引き返すわけにはいかない。何百人、何千人と居た自分達の仲間は、今やたったの数人だ。今逃げてしまえば、後を頼むと言って死んでいった大勢の仲間達を、裏切ることになる。

『なるほど、噂通りだな。日本軍人の精神力の強さ。本当に、最後の一兵まで戦うつもりか。それならば―――』

彼は、口の端を上げたまま言うと、軍服の懐から、ひと束の書類を丸めて坂巻に寄越した。

『これを渡しておこう。我々の、中止された作戦指示書の写し―――本来であれば他国の軍人に見せるものではないが―――命を救われた恩だ。そこには、我が国やアメリカが開発しているものとは全く別の、“最終兵器”の入手方法が記されている』
『別の、“最終兵器”?』
『そうだ。戦局をひっくり返すほどの、な』

坂巻は眉を顰めた。

『ならば、なぜ、作戦が中止されたんだ』

蒼い眼が、坂巻の懐を探るように睨んだ。

『ドイツ第三帝国は、既に破綻している。一部のまともな人間は、そのことに気付いている。気付いている者は、その先を、戦後を見据えた活動を、今から始めているのだ。この作戦の中止もその一環。要するに、必要なくなったということだ。これから我々の部隊は、別の作戦に従事し、別の目的地へと向かう』
『戦後だって?』

急に眼の前の西洋人が得体の知れない人物と化した。誇り高きドイツ軍人のイメージとは、どうやら違うようだ。まだ戦争の真っ只中だというのに、軍服を着たこの男は、戦後の話をしている。しかも、どうやら自国の敗戦を前提とした話なのだ。

『そんなに驚くような話はしていない。物事には必ず、始まりと終わりがある。我が国も日本も、終わり方を想定せずに戦争を続けている時点で、敗北は確定しているようなものだ。そうだろう? いくら強い国でも、延々と戦い続けていればいつかは負けるときがくる。どうだい? 君には、この太平洋を舞台にした日米戦争の終わりが見えているか?』

戦争の終わり―――そんなもの、勝つか、負けるか、そのどちらかに決まっている。そう言い返そうとして、気付いた。負けは認めない、と先ほど言ったばかり。では、勝たなければ終わらないということになる。しかし、この戦争における勝利とは何だ。連合国軍を全滅させることか、それとも、連合国を全て制圧することか。いずれにしても、気が遠くなるような話だ。全く以って、現実的じゃない。
言われてみれば、終わりなど見えていない。自分達がどこに向かっているのか、判らずに戦っているのだ。でも、それが何だというのだ。

『そんなこと―――俺みたいな下等兵士が考えることじゃない。よく判らないが、貴君とは立場が違う』
『ふむ、今、私は軍人として話をしているわけではないのだが―――老婆心ながら私の考えを言うと、日本はなるべく早い段階で戦争を終わらせるべきだ。戦争がアメリカの“最終兵器”を食らうまで長引けば、日本は無条件降伏を余儀なくされる。そうなる前に戦線を縮小し、早期に講和に持ち込むよう、活動すべきなのだ』

こいつ、軍人というより、政治家だな、と坂巻は思った。

『忠告はごもっともだが、戦線の縮小なんて―――それができるなら、俺達が未だにこんなとこに居るわけないだろう。日本のサムライってのは、一度やると決めたことを、間違っていようがそう簡単に引っ込めたりしないんだ。引っ込めるくらいなら、腹を切るっていう文化だ』

今の日本軍が、サムライなどとは程遠いことは百も承知だった。赤紙で寄せ集められただけの素人集団にすぎない。それでも虚勢を張ったのは、蒼い眼の外国人に、いきなり正論を言われてしまったことが、悔しかっただけ。

『なるほど、日本も、ドイツも、似たようなものだな。戦う勇気はあっても、現実を受け入れる勇気はないらしい』

そしてまた、彼は極悪な笑みを浮かべ、。

『ただ、戦い続けるのならば、その作戦指令書は役に立つかもしれないな―――では、御武運を、日本の勇猛なるサムライ』

ドイツ将校が差し出した右手を、坂巻はおそるおそる取る。ギュウ、と万力のような力で握り返される。

―――ん?

ドイツ将校の大きな手がするりと抜けた後、坂巻の掌に、何かが残った。
手を開いて見ると、十銭硬貨ほどの大きさの、丸みのある三角形の金属片が載っていた。ドイツ将校が、握手と同時に渡したのだ。

『これは―――』

だがドイツ将校は、用は済んだとばかりに背を向け、わざとらしく言った。

『おっと、中止された作戦指令書の写しと、支給された“鍵”を、先ほどの戦闘で失くしてしまった。だが、この海域は既に連合国側の手に落ちている。一刻も早く脱出せねば』

そして、振り向いた。

『サムライ殿も、早くここを離れたほうがいい』

ドイツ将校の鋭い視線が、それを早く隠せ、と述べていた。

“鍵”―――そう呼ばれた三角形の薄片を、坂巻は手で包む。譲り受けた作戦指令書に関連するもののようだ。

『ああ、ありがとう。貴官の無事を祈るよ―――俺は、坂巻泰蔵だ』
『私は、ルードヴィヒ・フォン・ローゼンシュヴァイク』

 お互いの名前を呼び合って別れを告げ、ルードヴィヒを乗せたドイツ軍艦を敬礼で見送る。そして、軍艦が見えなくなるまで待つと、坂巻は貰った作戦指示書を開いた。

概略すると、作戦は内容はこうだ。

この海域のあるナルガコタ島という小さな島に古代遺跡が存在し、その奥深くに古代文明の生み出した超兵器が眠っている。それを奪取せよ、というのだ。“鍵”はその遺跡の封印を解く鍵になっているらしい。

『本気か、これ』

なんとも、荒唐無稽な内容だ。あのドイツ野郎、終わり方だの戦後だのと現実路線を気取っておいて意外にロマンチストなのか、単にこちらをバカにしているのか。
生き残りの隊員に内容を話すと、彼らは目を丸くした。

『こ、古代遺跡? ツタンカーメンの墓みたいな?』

戦闘の連続で疲れ果てた兵士のひとりが、怯えたように言った。
俄かには信じがたい内容だったが、指令書はちゃんとドイツ海軍総司令官のサイン付き。
もしこの内容が真実だとすると、自分達は敵国に先んじてこの超兵器とやらを入手できる立場にある。指令書には、ご丁寧にナルガコタ島周辺の海図まで添えてある。
もし―――。
もし、米国の“最終兵器”の完成より先に、超兵器を手に入れられたら―――この戦争の趨勢は変わるだろうのか。
故郷に残してきた家族の顔が、思い浮かぶ。米国の“最終兵器”の餌食になど、断じてしてはならない。
ドイツ野郎の言うとおり、戦争は、一刻も早く終わらせるべきだ。そんなことは、言われなくても判っている。だが、一介の兵士に、戦線の縮小を主張する権限などあろうか。死ぬまで戦い続ける以外の選択肢など、端から用意されていないじゃないか。
苛烈な戦闘で、或いは、正体不明の熱病で、また或いは、極限の飢えと渇きで、大勢の仲間が死んでいった。
彼らが死んだのは、現実を受け入れる勇気のない、臆病者だったから?
違う、それは、断じて違う。
自分達にとって、この悪夢のような、地獄のような戦場こそが、唯一の現実。勇気のある、なしなど無関係に、容赦なく死が襲ってくる。
戦争の終わりなど、見えるはずがない。ただ、ただ、その瞬間を生き残る為に、勝ち続けるしかない。たとえ、いつか負けることが予見できたとしても。
人生だってそうだ。誰の人生だって、あのドイツ野郎の人生だって、いつか必ず終わりは来る。だけど、腹を切るのでもない限り、いつ、どこで、どうやって死ぬのか判ってる人間なんて、一人もいない。
だから―――ただ、精一杯生きるだけ。国なんていう、雲みたいなぼんやりしたものの為にではなく、自分と、家族と、仲間の為に。

『行けるか? この島』

生き残っていた航海士に訊くと、彼はしばらく海図を眺めたあと、曖昧に頷いた。

『行けますが―――大本営への報告が先では?』
『不要だろう。こちらの通信は米国にすべて傍受されている』

通信機を使用しての報告は、今となっては命取りだ。
かといって、当初の撤退進路通りパラオまで行って口頭で報告を上げようにも、果たしてそのパラオが無事かどうかも定かではない。

『そうですが―――これが、何らかの罠だという可能性はないのでしょうか?』

食い下がる航海士。

『罠かどうかは、行ってみなければ判らん―――この戦況下では、どこへ行っても危険に変わりはない。それなら、最も見返りの大きい危険を選択すべきだ。そうだろ?』

*    *    *

―――1969年、夏

「で、結局なにもなかったんでしょ?」

泰次郎は祖父の話を遮って言った。もう何度も聴いた話。本当かどうかも怪しい。元放送作家の祖父の言うことだ。信憑性などないに等しい。
小学校6年生の夏休み。両親が出かけてしまい、泰次郎は新興住宅地の一戸建てで祖父と留守番である。友達も軒並み帰省していて、仕方なく祖父の妄言に付き合っているのだ。

「遺跡の最深部には巨大な長方形の石板が立っていてな、ワシはそこで宇宙の真理を知ったんじゃ」
「『2001年宇宙の旅』かよ」

話の最後はいつも違う。テキトーにその場で思いついたことを付け加えているだけなのだ。だいたい、最近読んだ小説や、観た映画の影響を受ける。

「でもさ、2001年なんて来るのかな。1999年に世界は滅ぶって言われてるじゃん。核戦争が起こるかもしれないとか」
「ノストラダムスの大予言じゃろ。あんなものは嘘っぱちじゃ。せいぜい、2000年が来ることを想定していなかったコンピュータープログラムの修正で大慌てをする程度。大したことはない」
「はぁ………そんなダサいプログラムがあるの?」

祖父の言うことはほとんど当てずっぽうのように聞こえるが、たまに本当に未来の出来事を言い当てることがある。
父が言うには、東京でオリンピックが開催されることや、ビートルズが来日することや、フランスの5月革命とその後の日本の大学紛争の激化について、泰次郎が生まれる前から予言していたらしい。
これから数年後には、石油が足りないと勘違いした世間が大騒ぎをするらしく、その影響でトイレットペーパーが品切れになるとか。
さすがにトイレットペーパーのくだりは妄言だろうと泰次郎は思っている。第一、石油とトイレットペーパーの因果関係がよくわからない。

「ついでに言うと、2000年よりだいぶ後の話にはなるが、機械じかけの歌姫が造られてな、毎年コンサートをするようになるんじゃ」

それは初めて聴くホラ話だ。

「なんのネタだろう。SF小説とか?」
「くくく………答えが知りたければ必死に頑張って生き残るんじゃな。宿題は終わったのか?」
「関係ないだろ。俺が宿題やって大予言が予防できるならやるよ、そりゃ」
「人生、何がどうつながるか分からんもんじゃ。できる努力はやっておけ」
「んだよ、珍しくまともなこと言っちゃって」

形勢が悪くなりつつあるのを悟った泰次郎は、子ども部屋に引き上げようと立ちあがった。

「さて、ワシは手紙でも書くかのう」
「誰にだよ。ホラ話がしたりないなら整骨院でも行けば?」
「そうじゃなぁ………拝啓、いつか飛んでくるミサイルへ、なんてどうじゃ。洒落とるじゃろ」
「ばっかじゃないの」

呆れた泰次郎は盛大にため息をついた。

「んじゃそれ書けたら、機械じかけの歌姫にでも歌ってもらえばいいよ」
「おおそれじゃ! その歌に隠された暗号通信によってミサイルは飛行能力を失う。なるほど、いい考えだ」

祖父は何か思いついたように、チラシの裏に何かを書き始めた。
この人がボケたら厄介だろうなぁ、と泰次郎は子供心に不安になった。

* * * * * * * * * *

朝の光に舞う鳥のように
自由にどこへでも
飛んでいけるならば

心を高いところに浮かべるよ
この窓を抜け出して
風に乗って

夜の静けさに
投げ出された意識は
闇に呑まれてゆく

時の止まりかけた曇り空を
鮮やかな絵具で
塗りつぶしてほしい

子どもの頃に描いた
三日月を引き寄せ
枕にして夢を見たい

無力に苛まれた夜も
やがて消える命の証

だから

ミサイルが世界に降りそそぐような
拗れた終わり方をしないように

僕にできることが何かあるとすれば
優しい歌をたくさん歌うこと

* * * * * * * * * *

◆楽曲リンク『拝啓いつか飛んでくるミサイルへ / 重音テト』(2021/11/29 19:00~ 公開)
ニコニコ動画 : https://nico.ms/sm39687341
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