第15話

文字数 1,979文字

翌週、ノアから本多がまた会いたいと言ってきている、とメールがあった。
また会いたい、ということは望みがあるのだろうか?
デビューまでの道のりが、いまひとつよくわからない。
あまり期待しないほうがいいだろう。

約束の日、前と同じロビーで待っていると本多と南条が現れた。
あと2人、知らない人物がいる。
本多が「こちらバルーンカンパニーの社長と黛さん」
バルーンカンパニー?聞いたことがない。
ネーミングがモロにパクリだ。
けどミニアルバムに「ABC sessions」と名付けた自分が言えた義理ではない。
「おお、君らか?アルバム、聴いたで!」
社長という人物は、大阪弁でなんというか、いかにも業界人といった感じで非常に胡散臭い。
「まあまあ、社長みんな引いてるじゃないですか。はじめましてマネージャーの黛です」
こちらは女性で、スーツを着ている。
信用できそうな感じだ。
「ウチと契約する前に所属事務所を決めておいたほうがいいと思ってね。バルーンカンパニーは南条君が副社長を務めているし、社長もいい人だし紹介したんだよ」本多が説明する。
「バルーンカンパニー、副社長の南条です」そう言って名刺を差し出す。
名刺には南条真里と書かれてある。
「なんじょう…まり?」ノアが聞く。
「また言われちゃったわね、南条君」黛が笑いながら言う。
「まさと」南条が憮然として言う。
「そうなんですか…すいません」
「いいの、いいの。みんなからもまりちゃんって呼ばれてるんだから。早速なんだけど、ウチの事務所と契約してほしいんだけど、どう?」
女子大生3人は即座にイエスと答える。
「そちらの霧島さんは?」
「1つ、条件があります」
「あら、どんな?」
「最終的な決定権は事務所が、最終的な拒否権はバンド側にあるようにしてほしいんです」
「というと?」
「GOサインを出すのが事務所、NOと言えるのがバンド、という意味です」
「なるほど、理不尽なことをやらされるかもしれない、と思っているのね?」
「いえ、まあ…」
自分以外の3人は若い女の子だ。
保険をかけておいて損はないだろう。
「了解です」
「要するに、アクセルは事務所がブレーキはバンドが、ということです」もう1度言っておいた。
「ハンドルは?誰が握るのかしら」
それは、世間とかいう実態のない化け物が握っている。

バルーンカンパニーとの契約を結び、しばらく経った頃また連絡があった。
12月にコンベンションライブをやる、とのことだった。
レコード会社や業界関係者を呼んでやるお披露目ライブのことらしい。
ライブに向け、スタジオで構成を詰める。

そして、初ライブ。
100人ほどが入るハコ。
リハーサルも終わり、本番を向かえる。
緊張する。
どうしよう、人前で歌うのなんか音楽の授業以来だ。
ただしょっぱなから歌わなくてもいい、というのが唯一の救いだった。
ライブもCDと同様、まず自分以外の3人が1曲演奏してからボーカルを呼び込む、という手筈になっていた。
いよいよライブ本番。
1曲目が終わり、自己紹介。
「ギター、キーボードの鈴木乃亜です」
「ベースの長谷川南です」
「ドラムの服部道子でーす」
「それではボーカルを紹介します。霧島永無」
ここでステージにあがる。
30人ほどいる。
少なっ。
緊張した時は人の顔をジャガイモだと思えという言葉があるが、どうみても人間である。
あの言葉には無理があることが発覚した瞬間だった。
緊張するので演奏することにする。
「カバー曲、聴いてください」
ビートルズのLet it be。
曲が終わり、パラパラと拍手が起こる。
ノリ悪っ。
まあ、ショーケースなんだから仕方がないけど…
全5曲を演奏し、ステージを降りる。
楽屋に戻ると、挨拶まわり。
会話の中心はもっぱらノアだった。
人の波が途絶えたので、離脱する。
壁に落書きがしてある。
煙草を吸いながらぼんやり眺めていると「あ、ウチらも書いて行こうや」そう言って服部はサインペンをもらいに行ってしまった。
戻ってきて「なんて書く?」
「普通にバンド名でいいんちゃう?」と長谷川。
残り少ないスペースに2007年と日付け、アルデバラン参上!と書いていた。

冬の夜道をシトシト歩く。
今年は12時を過ぎたと同時にノアからメールがきたので、強制的に誕生日だったことを思い知らされた。
プレゼントだと、ブルースドライバーというエフェクターまで貰ってしまった。
28歳でも死ななかったな、とぼんやり考える。
あれから1年経った。
少しはマシになっただろうか。
引越しの日は明日。
お金が飛ぶように消えて行った。
黛から10万借りてしまったほどだ。
東京に引越すにあたり、実家で保証人のサインを母からもらった。
特にこれといった会話はなかった。
新幹線に乗るため、駅へ向かう。
耳にはiPodのイヤホン。
恋人なんかいないけど、今の気分にぴったり。
グッバイ、大阪。
霧島永無、29歳。
最後の遁走が、今はじまる。



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