文字数 1,973文字



 二年生のときだった。夏の盛り、クーラーを効かせた三好の部屋で、わたしたちは下着だけの姿でベッドに寝転んでいた。少し動いただけで肌と肌がぺとりとくっついた。窓の外では途切れることなくクマゼミが鳴いていた。地元ではもっとミンミンゼミやツクツクボウシも鳴いていた気がするのに、こちらに引っ越してきてからはほとんどクマゼミの声しか聞かない。寝返りを打って三好の方を向くと、彼女はわたしに背中を向けてスマホを眺めていた。夏でも白い三好の指が絶え間なくSNSの画面をスクロールしては、猫の写真の投稿にいいねをつけていた。わたしはなんとなく今まで聞きそびれていたことを、けたたましい蝉の合唱に後押しされるようにして三好に聞いてみた。
「三好ってさあ、女が好きなの?」
「え〜?」
 三好はスマホを枕元に置くとこちらを振り向いた。かと思うと腕をわたしの首に絡ませて顔を寄せてきた。
「京ちゃんのことは好きだよ」
「知ってるよ、よく言ってるし。じゃなくて、女一般が恋愛対象で、性欲の対象なのかなって」
 三好はわたしの唇に軽く唇をつけてから顔を離し、軽い口調で言った。「えっとね、男とか女とかじゃなくて、わたしは多分、わたしのことを好きにならない人が好きなの」
「え?」わたしは少しびっくりした。「わたしは好きだよ、三好のこと」
「うん、あのね、京ちゃんがわたしのこと嫌いじゃないっていうか好きなのは知ってるよ。じゃないとエッチなんてしないよね。でもそれって恋愛感情じゃないでしょ。見返りを求めない熱烈な愛とかじゃない、なんていうか、私が与えた分だけ返してくれる合理的な好意(・・・・・・)なの。利害関係、っていうと冷たすぎるかもしれないけど、でも一緒にいて楽しいから好きとか、そういうことね」
「ふむ」とわたしは言った。確かにわたしは自分が三好に対して恋愛感情を抱いていると思ったことはなかった。しかしそれを素直に認めていいものかわからなかったので、「なるほど。それで?」とだけ言って続きを促した。三好は続けた。
「つまりね、愛されるより愛したいの。追いかけられるより追いかけたい、プレゼントだってもらうのより贈る方がずっと好き。好意っていうのは、送られる側のほうが優位ではあるかもしれないけど、送ってる側が主体(・・)になるんだよね。愛される方は、自分で勝手にその関係をやめることはできないから、あくまで従属なの」
「つまり、相手に主導権を握られるのが嫌ってこと? 屈辱を覚える?」
「屈辱っていうか……怖い。客体になって、一方的に、無条件に愛されてしまうのは怖い。その状況をわたしはコントロールできないし、わたしはあなたにそんなに愛されるほどのことをしてないですよ、って思う。そういうとき、相手が、わたしの知らないわたし……根源的な、生身の、わたしの意識の支配下にないわたしを見ているような気がしてすごく怖くなるの。恥ずかしいし、おぞましい。その場にいられなくなるくらい嫌」
「だから愛されるより愛したい?」
「うん。悪い言い方をすれば、怒らないでね、愛のサンドバッグがほしい。人を好きになるのは好きだよ、好きな人見てると幸福になるし、甘やかしたいし、奉仕したい。ああこの人のことがすごく好きだなあって、思ってる時間が楽しいの。でも『自分がされて嫌なことは人にしちゃいけません』っていうよね? わたしは自分がされると死ぬほど嫌なことをずっと京ちゃんにしてる。ごめんね」
「いや、いいんだよ。気持ち悪いって思ったことないし、むしろ嬉しいよ」
 そう言うと三好は目を細めて嬉しそうな顔をした。
「京ちゃんのね、そういう、わたしがどんなに好き好きって言ってもさらっと受け流してくれるところがたまんないの。安心して好きでいられる。さっき京ちゃん、男と女のどっちが好きかって聞いたっけ? 男はさ、やれるかもって思うとすぐ下手に出てちやほやしてくるでしょ、あれが最悪。だから女のほうが好きだなって思うことはあるけど、これは消去法で、女が恋愛対象なのかって言われると違う気はするな。わたしのことなんて絶対に好きにならない、超然とした、わたしが目の前で全裸になって腰振っててもぴくりとも反応しないでパソコンのキーボード叩いてるような男がいたらすごくいいかもね。それか、わたしのことをただの肉の塊として使い捨てるような男」
「過激思想だなあ」と笑いながら言ったら、三好は「そう?」と言ってわたしの背中に腕を回してきた。キスするように唇を寄せてきたが、キスはされず、目の前で透明なリップの塗られた色素の薄い唇が動くのが見えた。
「サンドバッグって言って怒ってない?」
 三好は甘えるような口調で言った。
「怒ってないよ」
 わたしはそう言って三好の髪をなでた。エアコンからの風が三好の細い髪をふわりと浮かせた。窓の外ではまだ蝉が鳴き続けていた。


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