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 その夏が終わる頃、つまりわたしが三好と性交するようになってから半年ほどが経った頃に、三好がわたしに挿入するばかりでなくわたしが三好に挿入するようにもなった。初めは時たまだったが段々と頻度が高くなっていき、そのうちに交互に役割を入れ替えるようになった。
 わたしが挿入するようになったきっかけは、三好に誘われたからだ。「これは、わたしに主導権を握られてるうちに入らないの?」と三好に聞くと、「わたしが京ちゃんにやらせてるんだとも言えない? 要は考え方だよ」と返された。
 挿入する側もそれなりに楽しかった。しかし自分が挿入されて頭と心を快感に委ねている(もしくはそうしようと努めている)ときよりも、これは何なんだろう(・・・・・・・・・)と考える時間が増えた。
 三好に触られているときはその感覚に意識を集中させておけばよかったが、そのときに比べるとどうしても入れているときのほうが頭は冷めていた。指で三好の体内――それは産道だ――の温度とぬめりを感じながら、「これはセックスなんだろうか?」と考えずにはいられなかった。もちろんセックスだと呼ぶ人もいるだろう。性的な快感を得るための行為を他者としていればそれはセックスだ、と。しかしそうした行為は本来、生殖のためのもののはずだった。もちろん男女だって避妊をして性行為を行う場合がある、しかしそこには男性器があって女性器がある。どこまで突き詰めても(・・・・・・・・・・)どう間違えても絶対に(・・・・・・・・・・)生殖に結びつかない(・・・・・・・・・)性行為(・・・)、それは一体何なのだろうか?
 性行為のときに三好が典型的な行為しかしない理由が、挿入する側になってわかった気がした。性器の挿入がない我々は、せめてできる範囲で「セックス」の典型をなぞらないと「セックス」の枠内に収まっていられなくなってしまうのだった。自由で奔放な性行為をできるのは、少しくらい逸脱しても「セックス」の枠内に収まれるという保証と安心感があるときか、そもそも「セックス」の枠内に収まろうとしていないときなのだろうと思った。そしてわたしたちはどちらでもなかった。
 わたしは三好がわたしにしたような、つまり世の男が世の女に対してやっているらしい行為の最大公約数的な愛撫を行った。また、わたしが挿入する側になった日は、三好は決してわたしの胸や性器を触ろうとしなかったし、そもそも服を脱がそうともしなかった。代わりに三好は私の背中に爪を立てたり、首に腕を回してキスをせがんだりした、わたしがそうしたように。わたしは求められただけ三好にキスをした。切手の裏とだいたい同じような味だった。ただし三好の舌は切手とは違ってわたしの舌に貼り付いたりせず、自立してぬるぬるとわたしの口内を動き回った。
 わたしは三好に挿入すればするだけ、わたしたちの不完全性を感じずにはいられなかった。三好の内部を引っ掻き回せば引っ掻き回すほど、三好の人生から何かを奪っているという感じがした。三好にとって本来必要なはずの何かを浪費させているという感じがした。それは時間であり、性欲であり、感情であるかもしれなかった。毎月子宮から流れ出ていく「赤ちゃんのベッド」、それを眺めるときに感じるほんの小さな罪悪感を何十倍にも煮詰めたような感覚に近かった。
 また、わたしたちが性行為に道具を一切用いなかったのも、それを使えばわたしたちの不完全性が露呈してしまう気がしたからだった。三好から聞いたわけではないが、おそらく三好も同じように思っていたのではないかと思う。特に、男性器の形を模した道具なんかは絶対に使えなかった。それを使うことは敗北だった。開き直りでもあった。わたしたちはそんなふうにあっけらかんとした、明るい絶望みたいな性行為はできなかった。しかし、例えば女性器をすり合わせたりペニスバンドを使ったりできる関係のほうが、ずっと伸びやかで健康的で、また建設的なのだとも感じた。わたしは内心できるならそうありたいと思っていた。しかし「セックス」をしようと努める三好の態度を前に、わたしはとうとう言い出すことができなかった。
 三好は普段あまりたくさん煙草を吸うほうではなかったが、性交のあとはときどきベランダに出て煙草を吸った。わたしは三好が煙草を吸ったあとは決まってその頭を引き寄せて唇を吸った。煙草の匂いがするキス、そういう典型にわたしも酔っていた。

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