第2話:三河島列車事故

文字数 2,057文字

 1962年4月からに貝塚俊充は地元の中学校に入学し自転車通学を始めた。5月3日、常磐線三河島駅構内で列車の二重衝突事故で160人が死亡する三河島事故が発生。この事故は、常磐線三河島駅構内で貨物線から進行方向右側の下り本線に進入しようとした田端操車場発水戸行の下り第287貨物列車45両編成が停止現示の出発信号機を冒進し安全側線に進入した。

その後、止まり切れずに先端の砂利盛り「第一種車止め」に衝突し脱線して停止した。これにより先頭の機関車と次位のタンク車が下り本線上に飛び出した。その直後に三河島駅を4分遅れで出発し下り本線を進行してきた上野発取手行きの下り第2117H電車「6両編成」が下り本線を塞いでいたタキ50044に衝突した。

 先頭車「クモハ60005」と2両目の車両「クハ79396」が脱線し上り本線上に飛び出した。さらに約7分後、その現場に上野行きの上り第2000H電車「9両編成」が進入し、線路上に降りて移動中だった2117Hの乗客多数をはねた上、上り本線上に停止していた2117Hの先頭車と衝突した。これで2117Hの先頭車と2両目の前部が原形を留めず粉砕された。

 上り2000Hは先頭車「クハニ67007」が原形を留めず粉砕され2両目「モハ72549」は築堤下に転落し線路脇の倉庫に突っ込み、3両目「サハ17301」も築堤下に転落、4両目「モハ72635」が脱線した。この結果、死者160人、負傷者296人を出す大惨事となった。1つ目の事故:4月30日に発生した宮城県北部地震による鉄道損壊、5月末まで続く余震の影響が残った。

 さらに事故当日に東北本線古河駅で発生した脱線事故の影響で常磐線のダイヤが乱れており夜になってもわずかながらダイヤの乱れの影響が残っていた。287列車は通常ならば三河島駅を通過してそのまま下り本線に入るが取手行2117Hが上野駅出発の時点で2分30秒ほど遅れていた。そのため、三河島駅で同列車の到着・出発を待つことになった。

 287列車の機関士は三河島駅の場内信号機を注意現示で進入した。しかし、その先の出発信号機の停止現示を見落とした。通過直前で気付き、あわてて非常ブレーキを作動させるも間に合わずオーバーラン。安全側線に進入し脱線、下り本線側に傾斜する状態で停車した。その数秒後、三河島駅で客の乗降を終えて定刻より4分遅れで発車した2117Hが287貨物列車の脱線現場に差し掛かった。

 運転士が非常制動処置を行ったが間に合わず、287貨物列車に時速40キロで衝突。前2両が上り線を支障する形で脱線・停止した。この時点で2117Hでは乗客25名が軽傷を負っただけだった。しかし、1~2両目の車両についてはパンタグラフが架線から外れた。そのため停電し乗客は6両目に乗車していた車掌の操作によって開けられたドアから上り線側に降り三河島駅に向って線路上を歩き始めた。

 また車掌は運転士と連絡するために車内電話を操作したが応答がなかったので車外に出て連絡を図ろうとしていた。一方、現場近くの三河島駅信号扱所の係員は事故発生を受けた。そして、下り本線の信号を停止現示に切り替えた上で三河島駅の助役に事故発生を連絡した。助役は常磐線の運転指令に事故発生を通知した。助役は関係箇所に事故発生を通知し、下り線の後続列車の運行を停止させた。

 しかし、この時点では支障状況が確認されていなかった上り線へは事故発生通知のみを行った。取手発上野行きの2000Hは地震の影響で定刻より約2分ほど遅れて南千住駅を発車した。同じ頃三河島駅信号扱所から「上り線支障」の電話連絡が南千住駅の信号扱所に入り信号手は直ちに出発信号を停止現示に変えようとしたが、その時点で2000Hは既に信号扱所の前を通過中であり間に合わなかった。

 2000Hの運転士は事故発生を知らずに運転を続け、事故現場の近くに接近したところで線路上を歩く乗客に気付いて非常ブレーキを掛けたが間に合わず、次々と乗客を撥ねながら2117Hの1両目に激突した。2000Hは先頭車「クハニ67007」が粉砕した、そして、2両目~4両目が高架下の倉庫に転落して大破し、2117Hの1両目と2両目も原形を留めない状態となった。

 この結果、2117Hと2000Hの乗客・運転士併せて160名が死亡、296名が負傷する大惨事となってしまった。死傷者の中には、脱線した2000Hから脱出する際に高架下に転落した者もあったという。この事故で未だに身元不明の犠牲者が一人おり、駅近くの寺に行旅死亡人として葬られている。

 線路を歩いて事故に巻き込まれた、20代後半から30代ぐらいの丸顔の男性だった。その身長は163センチ、手に数珠「じゅず」を持っていたと言われている。遺体からモンタージュ写真が作成され公表されたが、知り合いであると名乗り出た人はいない。この事故の犠牲者の中には当時の人気漫才コンビであったクリトモ一休・三休のクリトモ一休も含まれている。
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