摩訶迦羅天

文字数 2,112文字

 それから一週間後、倉島の事務所を訪ねる機会を得ました。
 部屋の中に入ると荷物はそのままで、掃除も行き届いており、あの風体からは想像できないくらい小奇麗(こぎれい)な印象を受けました。神経質なくらい家具や調度品(ちょうどひん)が整頓されていましたから、逆に気味が悪くなりましたね。

 ――事務所を調べていく内、倉島も私と同じ病状に悩まされていた事が分かりました。
 死体は髪の毛が(ほとん)ど残っていなかったそうですし、何故か右手の小指と中指が根元から歯で嚙み切られていたと聞きました。体中に()(むし)ったような傷があって、腕の皮膚の所々が剥がれ落ちていたのだそうです。事務所の洗面所にも(うみ)の染み付いた包帯が大量に落ちているのを見つけました……おそらく、体の傷を隠すためのものでしょう。
 私にとって肝心なのは、あのカセットテープの出所(でどころ)です。倉島が几帳面(きちょうめん)な男で助かりました、棚にあった帳簿から誰があのテープを倉島に売却したのか分かったのです。

 テープの持ち主は兵庫県に住んでいる「尾形尚行」という男でした。

 また、帳簿に挟んであった二枚の写真が目に留まり、それを見て私は驚きを禁じ得ませんでした。写真には真っ黒な仏像の姿と、山頂に建てられた巨大な寺院が写っていたのです。
 倉島が何故、私にテープの内容を調べて欲しいとお願いしたのか、そこで悟りました。

 ――あなた、不思議に思いませんでしたか?
 私のような堅物(かたぶつ)の学者が、どうしてオカルトじみた『朱鬼村』の存在を知っているのか……それを今からご説明します。

 写真の一枚目には、阿修羅像のように三面の顔があり、全身の肌は漆黒の様相で背後に火炎を(まと)い、髑髏(どくろ)と蛇で装飾された冠を被る『摩訶迦羅天(まかからてん)』を模した仏像が写っていました。摩訶迦羅天はインドのシヴァ神の日本名で、日本では七福神の一人である大黒様の前身で知られています。
 兵庫県には西の叡山(えいざん)と呼ばれる『圓教寺(えんきょうじ)』がありますが、現在の姫路市書写山に建立された本山の他に、宗派となる天台宗の宝物庫として利用された「幻の寺」が存在したという噂があります。おそらく、この二枚目の写真に写る巨大な寺が、それに該当(がいとう)するはずです。

 戦国時代、比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)を焼き討ちした織田信長の軍勢は、財力を蓄えている僧兵を危険視し、決して侵攻の手を緩めませんでした。当時の信長は、一向一揆など宗教に関わる内乱に頭を悩ませており、影響力の強かった寺院には容赦しなかったのです。
 また、幻の寺は大坂商人とも密接な関係を築いていたため、いずれ脅威となる存在を早めに排除し、あわよくば蓄えた財を押さえておきたいという意図もありました。

 一方で、宝物庫として活用されていた幻の寺は、本山となる圓教寺から絶縁(ぜつえん)され「禁忌(きんき)の地」として()み嫌われていた事が分かったのです。そして、その寺が建立する山の(ふもと)に「日本語を話さない民」の住む村があると言われていました。
 信長だけでなく、戦国時代の武将たちは血眼(ちまなこ)になって寺を探しましたが、運良く見つかったのはその村だけと言われています。しかし、「村を見た」という(おぼろ)げとした記録があるだけで、不思議な事に詳しい資料が一切残っていないのです。

 では、どうして圓教寺から禁忌の地として絶縁されたのでしょうか? それは、財を蓄え過ぎた故に自ら権力を欲し、寺の僧たちが胴欲(どうよく)と酒色に走ったのが原因だと言われています。
 圓教寺の本尊は『如意輪観音(にょいりんかんのん)』ですが、この菩薩は人間の煩悩を打ち払う力があるため、僧たちも我欲に依存するような立場であってはなりません。
 また、天台宗の開祖である最澄は、酒に溺れる僧を蛇蝎(だかつ)(ごと)く嫌っており、酒色に溺れた寺の存在を教義のもと切り捨てたのだと考えられます。

 禁域となった幻の寺で(まつ)っていた仏像が、鬼神である『摩訶迦羅天』です。

 一時期、関西地域で権力を誇示したその寺は、摩訶迦羅天を祀る事でより財力を強化しようと考えており、後に七福神の一人『大黒様』として大衆の人気を集めたのも、その影響があったからだと言われています。
 つまり幻の寺を探し出せば、宝物庫にある莫大な金銀財宝を手にする事ができるだけでなく、歴史学においても重要な発見となる訳です。

 ――だが、見つけるための手掛かりがまったくない。
 唯一の手掛かりは、「寺に至る道の途中に日本語を話さない人々の住む村がある」という事だけ。
 もうお分かりだと思いますが、その村こそ『朱鬼村』と言われています。

 くっくっく……そりゃ資料なんて残っている訳ないですよねぇ。
 あの村の連中と話せば誰もが呪われてしまいますから。
 体中の痒みに藻掻(もが)き、肉体が溶け落ちてゆく侍の姿が私には目に浮かびますよ。

 ――帳簿に記載してあった尾形尚行の話に戻しましょう。
 私は早速、尾形の住んでいたアパートの住所を書き写して兵庫に向かう事にしました。あまり期待はしませんでしたが、このまま悶々(もんもん)としているよりかは、行動した方が良いと判断したのです。
 正直なところ、朱鬼村の存在を知りたいという欲求よりも、その時は自分の体がどうなってしまうのか不安が勝りました。事務所にあった洗面所には、排水溝に小さな卵が大量に詰まっているのを見ましたからね……。
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