呪詛

文字数 2,269文字

 夜中に一人になった時、カセットデッキを引っ張り出してテープを再生してみました。
 一通り聞いてみたところ、あまりに不愉快な内容で呆れましたよ……本当に言っている事がさっぱり理解できないのです。日本語の名残(なごり)があるかと思い、最後まで聞き流しましたが、もう全く別の言語表現になっている。いい加減な言葉を並べただけの、悪戯(いたずら)目的の録音としか思えませんでした。

 ――しかしですね、何か心の中で引っ掛かるものがあったのです。

 上手く説明する言葉が見つかりませんが、端的に言うのであれば、寺でお経を聞いているような気分になりました。
 お経や念仏は何を言っているのか理解できないでしょう?
 ――あれにはちゃんとした意味があるのですが、理解している人間は一握りだと思います。宗教にでも凝らなければ、普段の生活でお経など聞く機会は滅多(めった)にありませんから。
 そのお経とテープの内容が似たようなものである気がしたのです。言葉の理解はできないが、何か特殊な意味が込められているのではないかと、直感的に受け取りました。
 それから何度もテープを聞き返して、日本語に近い意味の言葉がないか探し続けました。幾ら独特な言葉とはいえ、表現が統一されている日本に住んでいる以上、似ている文脈があっても良さそうなものです。何度聞いたのか分かりませんが、もう覚えてしまうくらい頭に叩き込みました。

 しかし、一週間くらいは熱心に調べてみたのですが、成果はまるでありませんでした。冷静に考えれば、こんな与太話を誰が信じると思いますか? 知り合いの学者に聞けば、「そんな事を調べるのは時間の無駄だ」と(ののし)られるのは目に見えています。
 私はふて腐れた気持ちになりながら、あの木乃伊男に電話しました。しかし不思議な事に、彼と連絡が一切取れなくなってしまったのです。
 人に頼み事をしておいて結論は聞かないのかと、私も少しだけ腹を立てましたが、別に大した成果もなかったので連絡するのを止めました。カセットテープも捨てようかと思いましたが、小さなものですし、あの男の気が変わって取りに来られたら面倒なので、机の奥に仕舞(しま)っておくことにしました。
 無駄な時間を過ごしたものだと、私は大きな溜息(ためいき)が出ましたよ。

 ――だが、ちょっとした異変がその夜に起こったのです。寝床に就く前に髪を(くし)()いたのですが、櫛を通す度に髪が抜け落ちました。年齢(とし)所為(せい)だと思い、その日は特に気にしなかったのですが、次の日は更に抜け落ちたのです。
 白状しますが今は(かつら)を被っています。ほら、鬘を取ったところを見てください、もう一本も髪の毛が残っていないでしょう。ははは、笑い話にもなりませんがね。

 それから私の周りで奇っ怪な事ばかり起こるようになりました。髪が抜け落ちるだけじゃありません、次は体中が異常に(かゆ)くなり出したのです。
 最初は皮膚炎か何かだと思ったので、素人判断で軟膏でも塗れば治るだろうと気楽に考えていました。そんな事で治るのであれば、今頃この病院にいないはずです。昂進(こうしん)する痒みはいつしか全身に回り始めました。

 ――体に異変が起きたのは、それだけではありません。
 寝ている間、あのテープの声が耳元で囁き始めたのです。体調の変化でとうとう幻聴まで加わったのかと困惑しました……それも夢の中まで(ささや)き声が聞こえるため、(たま)ったものではありません。
 何度も何度も、繰り返し繰り返し「何か」を語る声が聞こえる。頭がおかしくなったと言われても構いませんが、脳髄(のうずい)に直接響き渡るような声でした。

 私はすっかり眠れない体になっていました。髪は抜け落ち、体中は痒くなり、幻聴まで聞こえるといった三重の苦しみです。これでぐっすり眠れるとしたら、それこそ図太い神経の持ち主だとは思いませんか?
 私はあの木乃伊男を探さねばならないと思いました。この現象はカセットテープを聞いた時から起こったものです。何としてでも、あの男に事の詳細を聞き出さねばならないと思いました。
 それからというもの、不眠不休の体に鞭打って彼を探し続けました。そして幸いな事に、彼の足取りを掴む事に成功し、郊外にある民宿に泊まったという情報を得ました。何せ体中が包帯だらけの目立つ格好ですから、地道に調べればいつかは見つかるだろうと、街中に聞き込みをして回ったのです。
 個人情報なので、私が訪ねた時は断られましたが、警察の知り合いに頼み込んで何とか民宿の主人に宿帳を見せて(もら)いました。

 その宿帳には丁寧な字で『鈴木太郎』と書いてあったのです。

 ――誰にでも分かる偽名(ぎめい)ですよ、私は自嘲気味(じちょうぎみ)に笑ってしまいました。名前がこれですから、書いてある住所も出鱈目なのはすぐ分かりました。どうやら私の捜索はここまでのようだと悟り、激しく落ち込んだのを覚えています。
 それからしばらくは八方塞(はっぽうふさがり)の状態でした。前にも増して体の痒みが昂進するため、疲労が蓄積されて仕事が手に付かなくなり、教師の職まで奪われそうになったのです。

 ところがある日、警察の知り合いから私に連絡がありました。あの木乃伊男が水死体で見つかったというのです。
 木乃伊男の名前は『倉島洋一』。
 何でも古物商を生業(なりわい)としている男らしく、詐欺紛(さぎまが)いの商売に手を染めていたのだそうです。

 死体の(かたわ)らに自殺と思われる遺書が見つかり、警察も事件性は皆無だと結論して早々に倉島の一件から手を引こうとしました。
 ですが、警察にとって興味のない話でも私にとっては重要な事件です。早速警察の知り合いに連絡し、倉島が経営する事務所を見せて欲しいとお願いしました。
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