禁忌の地

文字数 2,261文字

 問題の農村は更に山奥にあり、途中では暗い森の道を抜けなければならず、私は何度も「この道で合っているのだろうか?」と不安に思いながら運転を続けました。
 ようやく農村へ続くと思われる古びたトンネルを見つけたのですが、手前の看板に「保全不可ノズイ道ノ為、通行禁止ト致シマス」と書いてある。
 しかし、このまま引き下がる訳にもいかず、私は祈るような気持ちでトンネルの中を進みました。

 明かりもなく、出口の見えないトンネルが、あれほど怖いものだとは……こんな暗く寂しい場所で事故でも起こしたら助かる可能性はないと思いましたが、(にじ)む汗を拭いながら慎重に車を走らせました。
 ――緩いカーブの先に微かな光が見えた時は、思わず安堵の溜息が出ましたね。
 途中でボロボロの廃車を何台か見た時は帰ろうかとも思ったのですが、迷わず進んで良かったと胸を撫で下ろしましたよ……その時は。
 後で考えれば、引き返した方が幸せだったのかもしれません。

 トンネルを抜けた後は濃い霧に包まれた道を進みました。
 周囲に人が住んでいる様子はなく、辛うじて道は舗装されていましたが、罅割(ひびわ)れだらけの酷いもので車が上下に揺れたのを覚えています。
 霧のため視界も(すこぶ)る悪かったですし、道が途切れて崖でも現れたら車と一緒に落ちてしまいそうで恐ろしかった。もちろんガードレールのようなものは一切なく、細心の注意を払いながらアクセルを踏み続けました。進むのは良いが、果たして安全に帰る事ができるのか怪しいものでした。

 ――そしてしばらく道を進みましたが、前方に茅葺屋根(かやぶきやね)の民家が突然現れたのです。
 驚きましたよ、世間から隔離されたような場所に立派な民家が現れた訳ですから。

 私は車から降りて民家の中に入りました。幸い鍵は掛かっておらず、人が住んでいる様子もないため、すんなり入ることができました。
 家の中に一歩足を踏み入れると、やけに息苦しい感じがして何度も(むせ)て咳き込みました。空気中に(かび)(ほこり)が混じっているようで、口の中が異様にザラザラしたのを覚えています。
 それに奇妙に思えたのは、意図的にとしか考えられないほど、全ての部屋が真っ暗なのです。外からの光が部屋の中へ届きませんし、明かりを灯す道具すら見当たらない。ここの家主はこんな暗がりでも平気な人だったのかと、少し気味が悪くなりましたね。

 長居しても収穫はなさそうだと判断して、早々に外へ退却しました。しかし、あれほど息苦しい場所に今まで居たにも関わらず、外に出ても清々しい気分には全くならないのです。

 ――何と言いますか、その土地の雰囲気があまりに重たいのです。音もない、風もない、生き物が活動しない世界のような気がしました。
 周囲は枯れた葉と折れた枝ばかり散乱し、傍にある樹木を見上げても生い茂る葉が一枚もありません。まるで生きる活力を吸い尽くされたように、ただその場に存在しているだけです。あの世とはこんな場所なのかと思いましたね。

 呪詛に涕涙し慟哭する自然の摂理が、私の耳元で愁嘆し率土囁き続けました。
 時代の趨勢により廃絶された民は極めて陋劣な存在であり、呪歌を呈して此の地の災厄が笊耳である私にも憫笑の意識を植え付けるのです。
 波の如く狂濤する呪詛に、私は懊悩、煩悶を続け乍ら、陰鬱な山気に依る空嘔を繰り返し、草木が叢生する禁忌の地で繁縟な言葉を聞き続けました。

 ああダメだ、少しずつ少しずつ、あいつらの言葉を思い出してゆく。

 イヒヒヒ……呪いとは何か? それは人の脳裏に植え付けられたイメージそのものです。
 あなたが私の話を聞き、尾形尚行という存在をイメージすれば、それはあなたの中で「形」として生まれた事になります。
 呪いは「形」にできるのですよ。
 私はすでに尾形が傍にいる事を感じていました。
 あなたもそうでしょう?

 ――私は何とも不快な気持ちになって、逃げるように車に乗り込みました。少し頭がおかしくなっていたのかもしれません。あまりに不可解な現象が私の周りで起こり始めたので、今から考えれば無理もない精神状態だったと思います。

 不思議に思えたのは、先ほど探索した民家を一通り見て回った時、文字というものを一切見掛けませんでした。
 新聞もない、書物もない、壁に暦すら掛かっていません。住人は引っ越したのか分かりませんが、家財道具が一通りありましたので、少なくとも戦前までは住んでいたように思えます……あくまで推測の域ですが。

 ――文字がないという事は、外界から完全に隔離していたという事になります。
 情報を取り入れる必要がないから、文字を読む必要もない訳です。
 本当に日本語を話さない民が住んでいた……ここが『朱鬼村』なのかもしれないと、私は淡い期待を抱きました。

 車で行ける限界の場所まで辿り着いた後、私は降りて一時間ほど村の中を歩き回りました。最初に見た茅葺屋根の家と同じ建築方式の住居も何軒か見掛けましたが、探索しても中の様子は似たようなもので、家主の存在しないただの廃屋でした。
 その時は、収穫になるようなものが何も出ませんでしたね。

 しばらく歩くと、奇妙な形の鳥居を見つけました。普通の鳥居は全体的に見ると門のような四角形をしているのですが、その村の鳥居はアーチ状なのです。まるで虹を再現しているかのような、今まで見た事のない形をしていました。
 私は鳥居を潜り、奥へと進んで神社を目指しました。いくら日本語が必要ないとはいえ、神社は神様を奉る場所なので、それなりの書物が必ずあるはずだと考えたのです。
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