第2話

文字数 3,463文字

 オニはその間ずっと目隠しがとれませんでした。もうとっぷり日がくれて、目隠しをとっても目隠ししている時とおなじかもしれない。それを知ったが最後、まっくらやみの世界に生きている様々な物の怪たちがおおわらいする。そのあと、実際に姿をあらわした物の怪たちにいたぶられながら自分が少しづつとって食われるような気がしました。オニはますますからだを縮こめ、目をきゅっとおさえました。
 あたりは本当に静かでした。ひとり光も音もとどかない深い谷底におちてしまったような感じです。
 オニはさすがに心細くてふっと声を出しました、言いなれたせりふで自分をひとりにしないために。
「もういい――よ」
 もういいよ……
 ところが、なんと声に出てきたのは、いままで一度も言ったことのないせりふでした。それはオニのせりふぢゃありません。でも、オニだって本当は、オニでないみんなとおなじせりふが言ってみたかったのにちがいないのです。
「なあに、だめよ、まだかくれてないわ」
 どこからかの声。
 とつぜんそう言われて、おとこの子はおもわず起ち上がってしまいました。目隠しがはづれました。不思議なことに、くらやみはまだおとづれていませんでした。むしろさっきより、薄明るくさえなっているようです。おとこの子の心のなかにはもっと明るいものが射し込むようでした。
「もういいかい?」
 いつのまにかおとこの子がそう言われる番になっていました。かれはまわりを見まわしました。でも、誰も見えない。どこからきた声かもわかりません。ひとりぼっちのところにふいに声だけあらわれて、おとこの子はただただびっくりするばかり。
「もういいかい?」
 見えない声は重ねて返事を求めてきます。おとこの子に言えるせりふは二つしかありません。その一つは相手が言っていましたから、残るせりふは一つきりでした。本当は別のもう一つのせりふが言ってみたかったのだけれども、経験がないのでしようがない。
「もういいよ」
「うそ。ちゃんとかくれて」
 ようやく声は上のほうからするのがわかりました。小鳥の声のような気がする。それがとてもきれいで、そのうえおちゃめでなかよしらしいやさしい感じの声であったので、おとこの子はそれまでの怖さやひとりぼっちの暗いおもいがすっときえて、心が晴れやかに澄むようにおもいました。相手の声が自分を遊びのなかまにくわえてくれているような気がして、とてもうれしい。
「まあだだよ」
 やっと第三のせりふが言えるようになりました。
 いよいよこれで本当に遊びにくわわることができました。おとこの子はまだ言いなれていないせりふを一度言い二度言いしながら、どこかいい隠れ場所はないかと探しまわりました。
 そのようにしておとこの子は、いつのまにか山のおくふかくへ誘いこまれるようにはいりこんでしまっているのでした。もし、空を飛ぶものもかくれんぼう遊びにくわわるのなら、空をさえぎる鬱蒼(うっそう)とした樹々の杜(もり)でかくれんぼうをはじめるよりほかありません。でもおとこの子はそれを意識していたわけではなかったし、実のところ山にはいりこんだこと自体少しも気づいていませんでした。
「もういいかい?」
「まあだ・・」
 とにかくどうせ隠れるなら、とびきりのいい隠れ場所を見つけて、絶対にオニに見つからないようにしなくちゃとおもいました。自分だって隠れるがわになれば、上手に隠れてオニをあざむくことができるはずだとおもいました。
 なにもできないよわむしぢゃない。オニでさえなかったら、ぼくだってみんなとおんなじようにちゃんと隠れることができるんだ。ばかなオニに勝つくらい、ぼくにもできる。
 おとこの子は初めてオニの立場から解放されて、人並みに自信を意識したようです。
 そうやって自分にだってちゃんととおもいながら、だからこそ本当にそれを証明するために慎重になって、なかなか隠れ場所を見つけることができません。まだ探しあぐねて、「まだだよ」「まだだよ」と自分にも言いきかせるようにくりかえしていましたが、さすがに「もういいかい?」と何度も呼びかけられながら一向によい隠れ場所を見つけられないことに焦りをおぼえてきました。隠れる準備ができるまでオニを待たせる権利が自分にある。いよいよちゃんと「まあだだよ」と相手に言わなくちゃとおもいます。何度目かの
「もういいかい?」
に、しっかりしたおおきな声で言おうとしました。
「まあだだよ」
でも、それを声に出す前に、
――不意に、
「もういいよ」
という声。誰かに先に言われてしまいました。
 誰かに? 誰?
 それは、声?
 それは、ただの声でしょうか。ただの声にしては、音色が美しすぎるようでした。一体誰の声というのでしょう。
 しばらくの間おとこの子はその場に立ちすくみました。
 なんてやさしいきれいな声なんだろう。ちかくに誰かいる。まだかくれんぼうの誰かいる。
 でも、こんなきれいでかわいらしい声ってあるだろうか。
 ともだちの声ぢゃない。しらない子だ。しらない子だけれども、素晴らしく素敵な子だというのがわかる。きいたことのないきれいな声だもの。きっと見たことのないきれいな子にちがいない。でも、本当にきれいっていうのは、どんなお顔をしてるのかな。まるでおもいうかばない。かわいいっていうならわかるんだけど……。ああ、お顔を見てみたい。会ってともだちになりたい。
 声がきれいっていうことでは、さっきの小鳥のような声――おとこの子に初めて「もういいかい?」ってきいてくれた声もそうだったのだけれども、今きいた声はそれよりもずっと、いえ世のなかにどんなに美しいものがあったとしてもこんなにまで美しいものは想像できないというくらいまで素晴らしくきれいな声だったのです。
 おとこの子は、今の声の響きの残り香がまだただよっているような方向へ誘(いざ)なわれるように歩いていったのでした。不思議なことに、耳も鼻もとても敏感なのに、目だけはほとんど見えていないといった感じ、それでも美しいものは十分に感じられています。本当に美しいその子を一目見るまでは目など働かないでもいいといった感じでした。ですから、わけのわからぬまま方向をおぼえぬままに、しまいにあるおおきな樹にごつんと行き当たってしまったとしても、それはやみくもな衝突ではなく、きちんとお目当てのものに行き着いていたのです。今までオニとしてなにも見つけたことのないおとこの子だったのに。
「あら、みつかっちゃった」
 今きいたきれいな声だ。木の反対がわからした。
「こんにちは、オニさん」
 きれいな声が続けてあいさつをしました。
 重ねてきれいな声。それも身近に。その声を耳にするだけで、この上なくきれいな姿が立ち現われるように感じます。まだ実際には目にしていないけれども、目も耳もからだのすべての感覚が幸福な感動に満たされる。
 自分なんかとても言葉をかわせないほど、つまり自分とはまるで住む世界がちがって、近くにいてもその天と地ほどのへだたりは絶対のものであって決して越えられないくらいに、その美しさはおとこの子の身でさえまぶしいかがやきを感じるものなのでした。したがってそれに接してはどんな言葉も失われてしまうわけなのですが、不思議なことにおとこの子の気持ちは一番自然になって、口からふっと言葉がながれでたのでした。
「ぼく、オニぢゃないよ」
 もうオニぢゃない。そうおもいながらもなにか自分をごまかしたような気になって、ちょっとどきどきしました。でも、本当はその美しい声の子と話ができたうれしさで胸がはづんでいたのでした。
「ごめんなさい」
 相手もちゃんと承知してくれました。そして、
「一緒にかくれません?」
 おとこの子に誘いかけの言葉をくれたのでした。すると、それに呼応するように……
「もういいかい?」
 小鳥たちも一緒のなかまにちがいありません。
「もういいよ。――さあ、はやくはやく」
 もうおとこの子はひとりぼっちではない。そしてオニでもない。一緒に隠れるおともだちが、それもとびきりの素晴らしいおともだちがいます。
 本当にうれしくなっておとこの子は「もういいよ」と声をはりあげます。そして急いで樹の向こうがわへまわる。もう梦中(むちゅう)でした。でも、梦・中だからこそ、そこでその子と出会えるはずでした。だけど、そこには誰もいない。
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