第8話

文字数 3,878文字

 さて、たおれたおとこの子はさっそく小鳥たちが集まってやさしく抱き起こしてくれましたが、その一瞬でも、おんなの子がきえてしまうかとおそれずにいないのでした。おとこの子はすぐ顔を上げると、おんなの子に向かって叫びました。
「ねえ、もっとそばにきてよ。そんなにはなれないで、きみからぼくのそばにきてよ」
 その叫びにおどろいて小鳥たちが一斉に飛び去ると、おとこの子は今度はあおむけにたおれてしまいました。それでも、やっぱりそのひとときの空白が怖くて、すぐに起きなおったおとこの子でしたが、
「あっ」
 おとこの子は目の前に見る光景にびっくりしたのでした。
 おんなの子のきらめくかがやきが一つはなれ、小さなともし火となって近くにともりました。すると、そのともしびからまた一つのともし火が生まれ、またその新しいともし火からつぎのともし火がつくられ、そうしてかずかずのともし火がつぎつぎに生まれて、お星様のような高みにあるおんなの子のきらめきがかずしれず続いて、ついにおとこの子とおなじ高さまでおりてきているのでした。どれにも初めのおんなの子の清らかなかがやきが移され伝えられて、小さいともし火ではあるけれどもどれもおなじかがやきを保って、それが近くまでおりてきていることにおとこの子は感動しました。そして、おんなの子が自分の呼びかけに応えてくれたようで胸が一杯になりました。
 その時、一番手前の小さなともし火がやさしいほほえみをなげかけてくれました。
 おとこの子ははっとしました。そのともし火には美しいおんなのひとの顔がありました。見ると、どのともし火にも美しいおんなのひとの顔がうかびあがっています。もちろん、おさない、かわいいおんなの子の顔もあります。小鳥たちに見た顔のようにも見えます。いづれもが、どこかで見たことのあるおもかげを宿した、なつかしい美しいあこがれの顔なのでした。近くそばにきてくれたのはおんなの子自身ではないけれども、そうしたなつかしい、そして美しいおんなのひとたちの列が、自分のつい近くからはるかへとずうっとおなじかがやきの清らかなそのともし火をかかげ、そうやって天高くおんなの子につながっているのが、おとこの子の心にもとてもありがたいことだとおもいました。
「わかった? ね、お花はいつもここにあるのよ。ただ姿をかえてるだけ。姿をかえるということはその姿を隠しているということ。いつもここにあるために。反対にね、いまという時がかわるから姿もかわる。そして、隠れているものは、いつもいまという時と一緒。そして、ここに。わたしはいつもあなたからはなれてはいないわよ」
 一番身近なおんなのひとがお花を示して言いました。
「あ」
 おとこの子はその時それが誰だかおもいだしたようにおもいました。でも、おもっただけで結局誰だかつかめませんでした。ただずっとながい間、隠れていたひとだということだけわかりました。それはいつまでもかわらない姿のままだということでした。だからなつかしい。いえ、なつかしいを通り越して、おとこの子は心なついて身を委(ゆだ)ねんばかりでした。かわらない時のふところをゆりかごにして、憩(いこ)いねむってしまいそうです。
「さあ、おねむりなさい、よい子だから」
 おとこの子は本当にねむってしまいたくなりました。でも、おとこの子はおんなの子のことをわすれていず、ずっと気にかかっていました。そして、かくれんぼうのことがやはりひっかかっていました。
 ねむっている間にみんな隠れる。目がさめたらみんなきえている。そしたら、再びいまのようにみんなを見つけ出せるだろうか。もし見つからないとしたら。たとえいっときでも、みんなを見失うのはいやだ。何度もくりかえし、のがれられないこのおもい。おとこの子にもわかっているけれども、心の不安はどうしようもないのでした。
 そして実際に、おんなの子の姿はまたたきのなかでしだいにきえてゆきそうな気配に見えました。
「おねがい。きえないで」
 おとこの子はおんなの子にうったえかけました。
 しかし、その声はおんなのひとのながいともし火の列をかき乱してしまったのでした。列は乱れ、おおきくうねり、おとこの子のそばからもはなれてしまいました。とうとう、おとこの子はおんなの子を見失いました。
「ああっ」
 おとこの子はがっくりして力が抜けました。
「どうしたの? どうしてみつける喜びをおぼえないの? きっとみつけられるというのに」
 あの小鳥たちのやさしい声がおとこの子を励ましました。おとこの子はもう一度目をこらしました。たしかにおんなのひとのかかげるともし火の列をずっとたどれば、おんなの子に行き着くとおもいました。でも、いまその列はおおきくうねって、その長さははてしなく、どこまでもきりがなくおもわれます。どこまで求めても、おんなの子までは果てしがないのです。そして、おとこの子は無限大の宇宙のうねりのなかに巻きこまれ、距離の感覚も時間の感覚も途方もなくなって、ただめまいをおぼえるだけです。
「ああ、ここはどこ? ぼくはどこにいるの? いまという時はどうなったの?」
 おとこの子はむなしい問いかけをするばかりです。
「そう。あなたはどちらの星にいるの? かぞえきれないいくつもの星のどのひとつ?」
 向こうからもおなじような問いかけがかえってきました。と、おとこの子のほうこそいっそうそういう気持ちがするのでした。おんなのひとたちのかかげるともし火はいまはるかな星でした。それは無数にあって、金銀の砂子(いさご)をちりばめたようにきらめき、まるで銀河のようであります。その数かぎりない星のどれがおんなの子のかがやきをあらわしているのでしょう。一番明るい星でも一番遠くにあれば、どれがどの星か区別がつきません。
「どちらかの星にいらっしゃるにはちがいないわといっても、どの星もとても遠い。星の遠さははてしない時間をあらわしてもいる。もし、あなたをどこかの星にみつけたとおもっても、その時はあなたにとってはもう別の時。ふたりがぴったり一緒にならなければ、いまという時も別々ではないかしら。目で見るいまはもういまではないし、目で見たものはそれそのものでもない。あなたの目にとどく光は相手の姿の本当をおしえてくれてはいないわ。だから、本当のものはみんな隠れるのよ」
「小鳥さんたち。きみたち、一体どこから声をかけてるの? ぼく、見えないよ。星ばっかりで、ほかにはなんにも見えないよう」
 だけど、どうしてこんなに星が数かぎりなくあるのに、お空には光より暗いところが一杯あるのだろう。おまけに、銀河の一部に明るい星の集まりをさえぎるように黒い炭のかたまりのようなものまである。おとこの子はとても不思議におもいました。けれども、そういう暗いところにもぎっしり星がつめこまれているのにちがいない。そうやって星にもあらわれている星と隠れている星がある。おとこの子は不満におもいながらもそう感じずにはいませんでした。
「きみたち、ずるいんだ。なんにでも姿をかえて。そうして、おんなの子まで隠して。きみたちがなんと言ったって、ぼくは知ってるんだ。さっきまでおんなの子はそこにいた。きみたちがあれこれかわった姿であらわれたりきえたり、ぼくをからかって遊んでいるうちにとうとうおんなの子を隠してしまったんだ。いま、いまといって、きみたちはいつもからかってる。いまがいつもだなんてあるものか。さっき、おんなの子のいたさっきをかえしてよ」
 おとこの子はとうとう見えない小鳥たちに文句をつけました。
「ああ、そうなのね、あなたのいまっていつもかわってしまうのね。本当はかわらないいまという時も、あなたにはかわってみえる。そして、なつかしんだり、おしんだり、くやんだり。あなたは自分から、いつかの時、どこかのところに紛(まぎ)れていらっしゃる」
 小鳥たちの声があわれむように言いました。
「だからこそあなたは、かくれんぼうのお遊びにくわわって、かわりないいま、ここをみつけてくださらなくちゃ。ほら、あなたはかくれんぼうのお遊びでわたしたちと一緒にいまここにいらっしゃるのよ。いつものいま、どこでもあるここに」
「ああ、だけど、あなたにはわからない。あなたのここはすぐおなじでなくなってかわってしまう、移り動いてゆく。あなたのいまという時はどんどん過ぎ行きて、移ろってしまいます。ああ、どうしてあなたは、おなじところにいつもかわりなくいらっしゃるわけではないのでしょう? あなたのいまはなぜ、いつもかわることのないおなじ時ぢゃないのでしょう? あなたの世界はわたしたちにはわからないことです」
「だから、どうぞ、かくれんぼうでわたしたちの世界へ。いつもどこもかわりなくそのまま一緒の世界へ。いつもご一緒だから、かくれあってみつけあうこの世界へ」
「この世界ではいまここにそのまま一番いい幸せをおもうこと」
「そうおもったら、ほら、」
 小鳥たちの言葉にしたがっておとこの子もだんだん安心した気分になり、身を委ねてもよいように感じていると、おとこの子の目に自然とおんなの子の姿もうかびあがってきました。やはり身近にも、ともし火をかかげ花を持った、あのやさしく美しいおんなのひとの姿もよみがえっています。
 おとこの子はうれしくなっておんなの子に呼びかけようとしたとたん、おんなの子の姿はきえてしまいました。
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